福井県でおさえておきたい場所。
今回は、日本百名城『一乗谷城跡(一乗谷朝倉氏遺跡)』です。
この史跡ですが、長らく水田の下に埋もれていた『日本のポンペイ』とも言われていた史跡です。
50年ほど前に発掘されたこの一乗谷城跡ですが、現在はその遺構が復元され、往年の町並みが再現されています。
そんな一乗谷城跡ですが、再現された町で面白い試みがなされているのです。
というわけで、今回のわきみちは
福井県の日本百名城・続日本百名城の記事はこちらです。



近隣にある禅宗曹洞宗の総本山 永平寺の記事です。

福井県にある有名な海食崖『東尋坊』の記事です。

一乗谷朝倉氏遺跡 アクセス
福井駅にてJR西日本の越美北線に乗り換え、一乗谷駅まで行きます。



駅に着くと一面この光景です。
あたり一面がのどかな田園風景。
まずは駅から徒歩5分で到着する一乗谷朝倉氏遺跡資料館を目ざします。

一乗谷朝倉氏遺跡資料館

こちらが一乗谷朝倉氏遺跡資料館です。
ここから、一乗谷城跡までのコミュニティバスが出ているので、ここが起点になります。

バスは1時間に1~2本なので、それまでの時間は資料館で待つのが良いかもしれませんね。

資料館内には、一乗谷城跡のジオラマがあります。
これを見ると、いかに面白い地形の所に町が形成されたことが分かりますよね。
他にも一乗谷城にまつわる資料展示がたくさんあります。

そうこうしていいると周遊バス(バン?)がやってきます。
一乗谷城跡へと向かってみましょう。
一乗谷城跡(一乗谷朝倉氏遺跡)
バスに揺られること10分ほど。
一乗谷城跡へ到着します。
正確には、一乗谷城跡は山頂にありますので、一乗谷朝倉氏遺跡ですね。


『大河ドラマに!』とありますね。
今年の大河、麒麟が来るにはガッツリ朝倉氏出ていますね。

入場料はけっこうお安めです。
一乗谷城跡(一乗谷朝倉氏遺跡)の歴史

一乗谷は周囲を山や川に囲まれた天然の要害です。
両サイドが山のため、その間1.7キロメートル区間に武家屋敷や町屋といった建物が建てられ、城下町が形成されていたとのことです。
1470年頃に形成されたとされているこの地ですが、最盛期には人口1万人を超える越前の中心地だったそうです。
この山あいの地にそのような町が形成されていたというのは驚きですね。
ただ、戦国期にあってはこの天然の要害が非常に都合がよかったのでしょう。
しかしこの一乗谷の地ですが、1573年に信長によって火を放たれ、越前一向一揆が平定された後に越前の中心地が移されたため、一乗谷は田畑の下に埋もれしまったということでした。
そんな田畑の下に埋もれていた一乗谷。
今から50年ほど前の1967年から発掘が始められ、多くの遺構が発掘されて、今に至っています。

水田の下にあったこともあり、遺構の保存状態はよかったようですね。
そんな経緯からも『日本のポンペイ』と言われているのです。
一乗谷復原町並
さて、この一乗谷の地なのですが、現在ここには一乗谷復元町並が再建されています。



当時の町並みがあたり一帯に再現されています。
これだけのエリアに1万人が生活していたとなると、かなりの賑わいを誇った城下町だったのでしょうね。
さて、このような一乗谷復原町並なのですが、ここにはとても面白い試みがなされているのです。
一乗谷劇場!?

上のです。写真を見てください。
誰?
となるかもしれないのですが。ここ一乗谷復原町並にはいたるところに、往年の衣装をまとった町の人々がいます。
そして、あちらこちらで当時の生活を物語ったお芝居が始まるのです。
まるで、本当に歴史の一場面に入り込んだような体験ができるのです。

町のお茶屋さんで休む旅人と、売り子の一場面。

右側の売り子さんも近づいていくとお芝居が始まります。

こちらは八百屋ですね。


着付けの体験もできますよ。


国からも史跡指定されており、過去には天皇陛下や皇太子殿下の訪問もあったようです。
見学した後は?

一通り回ってきた後は、休憩所で越前そばなどを味わうことができます。
いかがでしたでしょうか。
なかなかこのような史跡跡としては面白い試みを取り入れているところですよね。
じわじわとその面白さが伝わってきているようで、観光客もけっこう増えてきているようです。
北陸へ行く際には、行先としてぜひ考えてみてください。