082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町

世界の世界遺産(World Heritage)
この記事は約5分で読めます。

海外でも何でも、慣れてきたころが一番危ないですね。

とまあ大げさに書きましたが、これまでに21カ国を回ってきましたが、それほど危険な目に合ったことはないんですよね。

運が良かったこともあるのでしょうが、危険を避けるための心がけもそれなりに実践はしてきました。
いずれ記事にはするつもりですが、海外で危険を回避するノウハウはblog化しようかなと考えています。

そんな中でも、あやしい人についていかないのは、どこの国でも鉄則ですが、このウズベキスタンのブハラでは少し冒険してしまいました。
反省しきり。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 怪しい人についていかないのは万国共通。

ウズベキスタンに関する記事です。

498【ウズベキスタン紀行】泉が湧き出た伝説が残り、今もなお水が湧き出続けている『チャシュマ・アイユブ』
様々な建造物の残るブハラの町の北西端には、丸い屋根のドームや円錐形のドーム、それが一つの建物の上に立ち並ぶアンバランスな建物が見えてきます。ここは、チャシュマ・アイユブという建物であり、預言者ヨブの伝説が残る場所なのです。
492【ウズベキスタン紀行】モンゴル来襲で破壊されず、9世紀建造のまま残るサーマーン朝の霊廟『イスマイール・サーマーニ廟』
これまでにブハラの建造物をたくさん紹介してきましたが、そのほとんどが13世紀のモンゴル軍の来襲によって破壊しつくされてしまっています。しかし、そのような中で今回紹介しているイスマイール・サーマーニ廟は破壊を免れ、今も9世紀ごろに造られたままの姿で残る、中央アジアで最古のイスラム建築なのです。
485【ウズベキスタン紀行】ブハラの支配者の権威の象徴であり、死の塔とも呼ばれる『カラーン・ミナレット』
ブハラの町にあるカラーン・ミナレットは、約900年近い歴史を持ち、大きな戦禍や地震に見舞われながらも倒壊することなく、現在までその姿を残しているブハラの町の建造物の中では稀有な建造物なのです。ところがこのカラーン・ミナレットですが、『死の塔』という別名があるのです。
477【ウズベキスタン紀行】ブハラにて、20世紀前半に発掘されるまで深い砂の中に埋もれていた『マゴキ・アッタリ・モスク』
これまでブハラにある建造物では、メドレセ(神学校)や、それに付随する建物を中心に紹介してきましたが、イスラム教国家であるウズベキスタン。もちろんモスクも多数存在します。そんなモスクの中で今回紹介するのが、マゴキ・アッタリ・モスクです。
474【ウズベキスタン紀行】サマルカンドを代表する場所であり、謁見の儀式や処刑なども行われていた『レギスタン広場』
かつては、シルクロードの主要な道路の交差点として数多くの隊商が行き交い、活気あふれる場所だったこのレギスタン広場。政治や経済、そして人々の文化の中心でもあったこの場所は、今もなお数多くの人が集まり、当時の輝きが残り続ける場所です。
470【ウズベキスタン紀行】力ずくで造られたとの伝説もある、メドレセやハナカに囲まれた街中のオアシス『ラビハウズとその周辺』
ブハラ観光でホテルを出発して最初の起点になるのが、この巨大な人工池であるラビハウズではないでしょうか。まずこの周囲には有名なメドレセやハナカなどが建ち並んでいます。ここから西のタキやさらに北に行ったところにあるカラーン・モスクやアルク城のあたりへと進んでいくことになるでしょう。
467【ウズベキスタン紀行】ヒヴァで最も高く、一般の観光者も登ることができるミナレット『イスラーム・ホジャ・ミナレット』
今回紹介しているイスラーム・ホジャ・ミナレットは、ヒヴァの中でシンボル的な建物の一つであり、高くそびえるその姿遠くからも見えることでしょう。どこからもその姿を見ることができるとなると、このミナレットから生活のある世界遺産ヒヴァの全貌を上空から眺めることができてしまうスポットなのです。
464【ウズベキスタン紀行】スザニで有名な砂漠のバザール。しかし、ここでゆっくりと買い物をするのは至難の業『ウルグット』
ウズベキスタンに訪れたからには、制作された地方ごとにその柄にもいろいろな種類があるスザニを、いろいろと見比べながら購入してみたいとは思いませんか?あるんです。それが今回紹介しているウルグットのスザニバザールなのです。
461【ウズベキスタン紀行】ブハラで見つけた巨大な城郭。日本の城にも通じるものを感じる『アルク城』
ブハラの中心地を外れた街の北西に、それまで見てきた建物とは全く雰囲気の異なる城砦が残されています。ウズベキスタンのヒヴァのような雰囲気もあるのですが、その中は一部は復旧されているものの、大部分は崩れ去った石の平原のようになっています。ここはアルク城といい、ブハラで唯一の城砦の遺跡です。
458【ウズベキスタン紀行】サマルカンドにあるティムールとその家族の霊廟『アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)』
今回紹介しているアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)は、その名の通りティムールを葬っている廟です。ティムールはモンゴル軍によって破壊しつくされたサマルカンドを復興させよみがえらせたのが英雄でした。現在のサマルカンドに残る建造物のほとんどは、このティムール以降の物なのです。
454【ウズベキスタン紀行】4本の尖塔が4人の美しい娘を意味して造られたとされるメドレセ『チョルミナル』
今回は初めてウズベキスタンのブハラにある遺跡を紹介していきたいと思います。ブハラは、その旧市街がユネスコの世界文化遺産にも登録されている、ウズベキスタンを代表する古代からの栄えていたオアシス都市です。今回紹介しているチョルミナルはそんなブハラを代表する建造物です。
316【ウズベキスタン紀行】砂漠の中にあるヒヴァ・ハン国の首都『ヒヴァのイチャン・カラ』
巨大な砂漠に囲まれたヒヴァは、元はヒヴァ・ハン国の中心だった都市です。都市全体が博物館都市として世界遺産に登録されているヒヴァですが、今もその都市の中心であるイチャン・カラには、歴史的な建造物が立ち並ぶとともに、人々の生活も見ることができる街なのです。
227【ウズベキスタン紀行】首都なんてこんなもんか!?旅人がスルーする?独特の雰囲気『タシケント』
ウズベキスタンの首都タシケント。ここは、古くはシルクロード、砂漠地帯のオアシスにある中継都市として、東西から多くのものが集まる物流の中心地として発展していました。現在でも、ウズベキスタン国内最大の商都なのですが、いざこのタシケントに踏み込んでみると・・・!?
069【ウズベキスタン紀行】旅人が集まるサマルカンドのB&Bバハディールの3日間
ウズベキスタンのサマルカンド。有名なレギスタン広場の近くに、世界各国から旅人の集まる宿があります。B&Bバハディール。ここでの体験は、その後、いろいろな国に行きたくなるきっかけにつながっていきました。そんなお宿について今日は紹介していきたいと思います。
022 【ウズベキスタン紀行】シャフリサブス歴史地区は、世界遺産登録でテンション上がりすぎて危機遺産
数々の世界遺産が残される中央アジアの国『ウズベキスタン』この国の中でも、少し行きにくい世界遺産を紹介。しかし、行きにくい理由はその立地だけではなく・・・。

ウズベキスタンの世界遺産

このウズベキスタンには4つの世界遺産があります。

・ヒヴァのイチャン・カラ
・ブハラ歴史地区
・シャフリサブス歴史地区
・サマルカンド‐文化交差路

今回書いているブハラ歴史地区はその1つです。
地域として世界遺産登録されているため、その中に歴史的な建造物が多数残されています。

ブハラ

ウズベキスタンの都市ブハラは、サマルカンドの西、ウズベキスタン中部に位置するブハラ州の州都です。
乾燥地帯にありながら水資源が得られるオアシス都市であり、歴史的には政治・文化の中心都市であったこともありました。

では、ブハラの町並みを紹介していきたいと思います。

チョル・ミナル

旧市街の中にある、なかなかコンパクトな作りです。
中には土産物屋が入っています。
1000cym(10円位)で上まで登れます。

ここのてっぺんには昔コウノトリが住んでいたそうですが、今は代わりにたくさんの鳥が往来しています。

ラビハウズ

ブハラ観光の中心地で、ここを中心に色々回っていくのが定番ルートになっています。
大きな池のまわりに建てられています。

タキ

タキとは商店街のようなもので、民芸品などたくさん売っています。

ウルベルク・メドレセ

メドレセとは神学校のことです。

カラーン・ミナレット

このミナレット(塔)がかなり有名なようであり、かのチンギスハンがブハラに侵攻したときに唯一壊されなかった建物ということです。

大昔、罪人やら不貞をやらかした女性は、袋詰めにされてこのミナレットの上から落とされる処刑をが行われていたとのことです。

カラーン・モスク

カラーン・ミナレットの真横にある、ブハラでも最大規模の建物です。

とにかく広い。ソ連時代には倉庫にされていたそうです。

マゴキ・アッタリ・モスク

ここは入場料の割に中が狭く、1~2分で観光終了します。
ずっと土地に埋もれていたモスクらしく、独特な雰囲気は味わえます。

周辺では今も発掘が続けられています。

アルク城

中心地から少し離れたところにある城です。
城というだけあってかなり巨大です。

しかし、観光客が入れるのはごく一部のエリアのみです。
それ以上入りたかったら、+αの費用が必要そうな感じでした。

ブハラ・ハン時代の物もあり、ソ連時代のものもありました。
入口付近には昔の牢獄があってなかなかに不気味さを醸し出しています。

バラハウズ・モスク

こちらも池の付近にある建物です。

アブドゥーラ・ハン・メドレセ

かなり装飾の細かいメドレセです。

イスマィール・サーマーニ廟

900年前後に建築されたとのことですが、その後は砂の中に埋もれていたとのこともあり、13世紀のモンゴル帝国の侵攻の際には破壊から免れています。
その後1926年に発掘されるまでは、砂の中に埋もれ続けていたそうです。

チャシュマ・アイユブ

ここはモスクの中では珍しく、モスク内に水が湧いています。
その湧き水は眼病に効くということで、地元の人々も訪れていました。

ブハラの夜の出来事

夕食のために街中をうろついていると、ウルベルク・メドレセ前あたりで変なおじさんに声をかけられる。
どうやら『ウチで飯を食わないか』、と言っているようす。

まあ、どうせボッたくられるだろうなあ、と思ったが、民家を見てみたかったんでついていってみることに。

ついていくと本当に一般の民家。
こっちの人は夕方くらいになると中庭に絨毯をひいて夕涼みをするらしい。
その絨毯にテーブルが置かれ簡易食卓に。

メニューはディムラマという日本で言うと肉じゃがみたいなもの。

食べて、『いくらなんだ?』と聞いてみるが、なんかそんなもんいいから日本の土産送ってくれみたいなことを言っている。

まあ、受け取ろうとしないんで先ほどのウルベルク・メドレセ前あたりまで連れていってもらう。
そして、帰ろうとしたら突然、『お前から金もらったっけ??』ということを言い出した。

『だ・か・ら!!さっきいくらいるんだって聞いただろ!!!』

と無駄な口論に。

結局、要求するんだったら先に言えっての。
結局、約10$。他で食うよりも全然高い。「うち、安いだろ?」とか言ってたけどフザケンナ!!!

まあ予想通りぼったくられた経験です。これは自分で防げたけどねw

しかし、防ぐ手段ありますよねw
慣れてくるとスリルを求めだすのはダメなところです。自制せねば・・・。

最後は夜のライトアップモスク。