現存12天守とはご存じでしょうか?
日本国内に往年の姿を残した天守が12あるわけなのですが、今回書いている香川県にある丸亀城もそんな現存12天守のうちの1つです。
丸亀城は4段にも連なる壮大な石垣が有名な城なのですが、2018年に悲劇が起こります。
なんと、西日本豪雨及び度重なる台風被害によって地盤が緩み、見事だった石垣が崩落してしまったのです。
というわけで、今回のわきみちは、
香川といえばうどんですね。

長ーい階段で有名なこんぴらさんです。


同じく香川県にある城の記事です。


現存12天守とは
日本全国は、豊臣秀吉時代の最盛期に3000もの天守が存在していたそうです。
しかし、その後、度重なる政策や歴史的な出来事によってそのほとんどが姿を失うこととなります。
最初は、徳川幕府の「一国一城令」です。
これは1つの国に対して1つの城しか認めないというものですね。
これにより90%以上もの天守がなくなったそうです。
その次が明治時代「廃城令」であり、この際に陸軍省として必要かそうでないか判断され、不要となった場合は廃城にされたそうです。
そして最後が第二次世界大戦です。
戦前までは20基の天守が残っていたそうですが、原爆で被害を受けた広島城をはじめ、8つの天守が被害を受けたために、残ったのが現在の現存12天守となります。
そんな現在残っている12天守です。
- 弘前城(青森県)
- 松本城(長野県)
- 丸岡城(福井県)
- 犬山城(愛知県)
- 彦根城(滋賀県)
- 姫路城(兵庫県)
- 松江城(島根県)
- 備中松山城(岡山県)
- 丸亀城(香川県)
- 松山城(愛媛県)
- 宇和島城(愛媛県)
- 高知城(高知県)
3分の1が四国に残っているんですよね。
戦災が少なかったことも影響しているのでしょうか。
丸亀城とは

丸亀城は1600年ごろに生駒親正によって築城され、高松城の支城として讃岐の地を治めてきたきた城です。
1615年の徳川幕府による一国一城令によって、高松城が残されることとなり、支城であった丸亀城は一旦廃城となります。
しかし、当時の藩主による計らいによって、城自体の取り壊しからは免れました。
その後、1641年に丸亀藩が立藩されたことにより、丸亀城は再び日の目を見ることとなります。
この丸亀城ですが、現存12天守の1つであり、その中でも最も小さな規模の天守が残っています。

現存天守
それでは、天守に向かって行きたいと思います。



壮大な石垣で囲まれており、どの角度からも栄えますね。


訪問した時は、修繕工事中であり、外側が囲われていましたが、中に入ることはできました。

現存天主なので、内部はもちろん往年の姿を見ることができます。

歴代城主の生駒家、山崎家、京極家の詳細の解説が展示されています。
丸亀城の石垣

そして、何よりも有名なのが壮大な石垣です。
4段の石垣になっており、60m以上もの高さは日本一を誇ります。

緩やかな曲線をえがく石垣の美が有名ですね。
幸運の♥石

石垣の一角に、幸運の♥石と呼ばれるところがありました。
有名なスポットみたいですね。
石垣の崩落
ところがこの丸亀城のシンボルでもある石垣なのですが、2018年に一部の大規模な崩落が起きてしまいました。
2018年というと、記憶にあるのが西日本豪雨です。
そして台風による被害です。
これにより城の南側にある三の丸と、その下にある帯曲輪を囲む石垣の隅角部分が崩落してしまいました。
実際、この周辺は長らく危険性が指摘されていた部分であり、修復工事にようやく着手かという矢先にこの事故が発生してしまったとのことです。
崩落現場を上から順に見てみる

では、崩落現場を上から順にみていきたいと思います。

現場は立ち入り禁止になっているため、これ以上先に行くことはできません。

徐々に崩落していった様子が写真に残されていました。
一気に崩れたのではなく、徐々に崩れていったことが分かります。

先ほどの立ち入り禁止の柵の横からは、崩落現場がよく見えます。
滑り落ちるように崩落していったことがわかりますね。

石垣の一番下まで降りてきました。
崩落現場の全景が見えます。
かなりの規模で崩落したことがよくわかります。
石垣の復旧工事は進められていますが、史跡の復旧作業というのはただ単に修復すればよいというものではありません。
ある程度資料は残っているということですが、それでもなおしっかり史実に基づいて調査や設計が求められる難工事であることには違いはありません。
復旧完了は2024年3月を予定されているそうです。
丸亀市のシンボルでもある丸亀城の石垣。
その復旧が待ち望まれます。

まだまだ完全な復旧までは時間がかかるようです。
しかし、完成の暁には、また優美な石垣がを見ることができることを楽しみにしておきたいと思います。