大阪府の柏原市。
この東部にある奈良県との県境近く。
この場所に亀の瀬地すべり地と呼ばれる場所があります。
地すべりというと、斜面になった滑りやすい地層の上に堆積した土砂が、大雨などによって流れ出し、無数の土砂が斜面の下の地域に押し寄せる災害のことです。
この亀の瀬地すべり地と呼ばれる場所ですが、そんな地すべりが古くから多発していたほどの地域だった場所なのです。
なぜこの大阪でも東の端にある地域がそれほど重要な場所なのかということなのですが、この亀の瀬地すべり地の土砂が流れ着く先には大和川があります。
万が一この亀の瀬地すべり地で地すべりが起きてしまうと、この大和川をふさいでしまうことになるのです。
ふさがれた大和川の水は最初は奈良盆地にあふれかえります。
そして、あふれかえる水は勢いをもって大阪平野に流れ込みます。
この亀の瀬で地すべりが起きてしまうと、奈良だけではなく、大阪市の大半に壊滅的なダメージを与えてしまうほどの未曽有の大災害を起こしてしまう危険性があるのです。
そういった意味でこの亀の瀬では、この地すべり対策に力が入れられてきました。
そんな地すべり対策の歴史と、現在の対策の状況を実際に目にすることができるのが今回紹介している『亀の瀬地すべり資料室』なのです。
ここの地すべり対策をする多くの人々の尽力によって、奈良や大阪の生活が支えられているという驚きの事実がこの資料室で説明を聞くことによって伝わった来るのです。
今回はこの亀の瀬地すべり資料室について紹介していきたいと思います。
生駒山に関する記事です。








亀の瀬地すべり資料室
亀の瀬地すべり資料室は、大阪府の柏原市と奈良県との県境近くにある、古くから地すべり災害が多発していた場所にある資料室です。
奈良盆地と大阪平野に東西に囲まれ、北は生駒山地、南は金剛山地に囲まれた、東西を横断できる希少な場所にこの亀の瀬があることがわかります。
このような立地条件であることから、古くは万葉の時代から亀の瀬は大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として発展してきたのです。
しかし、滑りやすい地層の上に土砂が堆積して出来上がったこの場所は、幾度となく地すべり災害のあった場所なのでした。
その影響は非常に大きく、奈良と大阪の多くの部分に壊滅的な被害をもたらすことが想定されています。
この地域では、古くから何度も地滑り災害が発生しており、明治の近代以降でもそれは起きています。
特に昭和6~7年に起きたとされる地滑り災害では、30mも土地が流れ、かつてこの亀の瀬を走っていた関西本線の鉄道トンネルを崩壊させ、麓に流れる大和川を9mも隆起させることにつながったことから、上流に大きな浸水被害をもたらしました。
その後も、幾度となく数十m規模の地滑りが起こり、大きな被害がもたらされています。
亀の瀬で地滑りが起こることによって最も恐ろしいのは、大和川の流れがせき止められることによって上流に浸水被害をもたらすのみならず、その水の流れがド社を崩壊させてしまうことになれば、大和川の下流に土石流が一気に流れ込み、大阪市内東部の地域甚大な被害を与えるといわれているからなのです。
そのため、この亀の瀬の地域には、1km四方の範囲に対して高度な地滑り対策が施されてきました。
非常に高度な技術が必要とされた地すべり対策ですが、国交省を中心に入念な調査・検討が行われ、最先端の対策工事が繰り返し行われました、
半世紀にも及ぶ対策工事の結果、近年では地すべりの動きはほどんど見られない用意なってきています。
しかし、それでもなお奈良と大阪の安全を確保するために、24時間体制で地滑り発生の監視が続けられているのです。
このような先人から続く地すべりに対する対策に対して、少しでも理解を深め、その歴史に触れてもらおうとして設けられたのが亀の瀬地すべり資料室なのです。
ここでは、ガイドによる資料室内の案内に加え、対策で設けられた排水トンネル内部にまで入ることができます。
また、排水トンネル施工の際に発見された旧関西本線の亀の瀬隧道跡も実際に見ることができるという、なんとも贅沢なツアーを無料で受けることができてしまうのです。
アクセス
JR河内堅上駅から1.5kmほど北東に歩いた場所にあります。
亀の瀬地すべり資料室に行ってみた
それでは、亀の瀬地すべり資料室に行ってみましょう。

こちらが亀の瀬地すべり博物館です。
こじんまりとしていますが、内容はとても充実。
定期的に案内ツアーが行われているので、しばらく館内で待っているとツアーに参加することができます。
なんと、無料で参加できてしまうのです!

こちらの地図が亀の瀬地すべり地と呼ばれる場所です、
奈良と大阪を結ぶ交通の要衝と呼ばれたことがこの地図からもよくわかります。

地滑り対策のために古くから工事が行われ続けた様子の写真ですね。

地滑りによって生じた地割れの様子や、あふれかえった水による洪水の様子などです。

地すべりの影響は非常に大きく、昭和43年の災害時には、全体で26mも土地が移動してしまったのだそうです。

地すべりのメカニズムです。
亀の瀬の地層は数百年前の火山噴火に伴ってできた溶岩層です。
その溶岩層の境目に風化によって年度化した層があり、その層がすべり面となっています。
すべり面となっている層で採取された溶岩も展示されています。
このすべり面の上にド社が堆積することによって、大規模な地滑り災害が発生するわけですね。

亀の瀬の地層の展示です。
どこにすべり面があるのかがわかるようになっています。

亀の瀬の地滑りによって大和川がせき止められたしまうと、これだけの範囲に影響があります。
大阪市の東部に大規模な被害があることがわかります。

ここからは地滑り対策でどのようなことが行われているかの展示です。
地べり対策には、地滑り運動を停止させたり緩和させるための抑制工と呼ばれる対策と、地滑り運動自体を止めようとする抑止工とよばれる対策があります。
抑制工として行われているのが、集水井工と呼ばれる約54基の巨大な管が撃ち込まれ、そこからさらに地下に掘られた排水トンネルを通って常に地滑りの原因になる水を抜くための対策が行われています。
また、よく思考としては、地滑りでそれ以上地層が下流域に流れ込まないようにするための無数の深礎工、鋼管杭が斜面に打ち込まれています。

亀の瀬の地域に施されている対策の地図です。
縦横無尽に掘られた排水トンネルと、打ち込まれている集水井、鋼管杭といったものがどのように配置されているのかがよくわかりますね。
なお、JR関西本線が現在は大和川の南側につながっていますが、かつてはこの路線は大和側の北側の、まさしく地滑り地域に走っていました。
しかし、過去の地滑り災害によってその路線は壊滅的な被害を受けてしまったため、今のような路線となっているのだそうです。

深礎工はすべり面が地中深くにあり、土砂が滑ろうとする力がとにかく大きなところにはこの深礎工が用いられたのだそうです。
大きなものは直径6.5mもあり、地中100mにも及ぶのだそうです。
こういった深礎工が全部で170本あり、その中でこれだけ巨大なものは55本もある、世界最大規模の地滑り対策を施しているのだそうです。

地滑りを食い止めるための深礎工の実物大の大きさがこちらです。
とてつもなく巨大なことがわかります。

深礎工が作られるまでの工程です。


現在では地滑りの兆候がいつ発生してもすぐに対策できるように24時間監視が行われています。

そしてこちらがこの亀の瀬地すべり地で新た目玉になっているかつての関西本線亀の瀬隧道のコーナーです。


亀の瀬隧道はかつて昭和6~7年に起きた地滑りによって完全に破壊されたと考えられていました。
しかし、平成20年、亀の瀬地域最後の排水トンネルの工事中に、その一部の区間がほぼ完全な形で残されていることが発見されました。
何とかその遺構を残したいという地元の人々の願いによって、このかつてのトンネル以降は柏原市の今後の地域発展の目玉としても考えられているそうなのです。
いかがだったでしょうか。
大規模な災害を人間が克服してきたという証がこの場所にはあふれていました。
そして、同様の地滑り対策に悩む地域からは、ここでのとりくみが全世界的に注目されているのだそうです。
柏原市も新たな目玉としてこの場所を活用しようとしているとも聞きます。
今後、この場所の話を耳にすることは多くなっていくのではないでしょうか。
なお、地すべり対策のために掘られた亀の瀬トンネル及び、その際に発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道については、第二回で紹介していきます。