1016【人物あれこれ】あの時代に、驚くほど精巧な地図を作り上げた偉人『伊能忠敬』

人物あれこれ(Person)
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この人物の名前は誰しもが習ってきたことがあることと思います。
そして、歴史上の数々の人物の中でも、この人の名前は非常に印象に残っている人が多いのではないでしょうか。
かつて江戸の時代にこれだけの偉業を成し遂げることができるなんて・・・。
その人物の名前は、伊能忠敬といいます。

この人物が存在した時代、世界がどのような形になっているか正確に把握することなどは夢のまた夢でした。
地図というものは存在したものの、どこか形が違う。と感じるものばかりです。
しかし、この伊能忠敬の作った日本地図をご覧になったでしょうか。
いま私たちが知っている日本列島の形そのものの地図を、今から200年ほど前の時代に完成させてしまっていたのです。
現代では、Google mapなどを用いて、誰でも簡単に世界中の地図を手に入れることができます。
しかし、伊能忠敬が自らの地図を完成させるために要した時間はなんと17年。
この途方もない時間をかけて、人生の大部分をかけて、伊能忠敬は驚くほどの日本地図を完成させたのです。

今回はこの日本発の正確な日本地図を作った伊能忠敬について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 人工衛星も機械もない時代に、驚くほどの正確な測量術で日本地図を完成させた伊能忠敬とはどのような人物なのでしょうか。

伊能忠敬

伊能忠敬は江戸時代に日本初の正確な日本地図、大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず:伊能図)を完成させた人物です。
元々は商人だったものの、晩年に天文学者・地理学・測量家として活躍しました。

伊能忠敬の生まれは現在の千葉県でした。幼少のころから読み書きそろばんなどの教養を教え込まれていた伊能忠敬は、満17歳の時に伊能家に婿入りをし、伊能忠敬という名前となります。
婿入りした現在の千葉県と茨城県の境にある佐原村では伊能家は大きな力をもっており、酒や醤油の醸造業や貸金業などを営んでいました。

伊能忠敬は36歳の時に佐原村の名主となるまで力をつけます。
婿入りしたときは落ち目になってきていた伊能家ですが、忠敬が伊能家に入ってからは家を再興し、かなりの財産を築くまでになっていました。
しかし、忠敬が名主の時代、日本を大きな飢饉が幾度となく襲います。
そのため、資産はあるものの家の状況は必ずしも良いというわけではなかったようです。

そんな名主としての半生を過ごした伊能忠敬ですが、その後半生はガラッとその生き方に変化が訪れます。
50歳の時に家督を長男に譲り、江戸に移った忠敬は、天文学者であった高橋至時(よしとき)に弟子入りすることとなります。
20歳近く歳の若い人物に師事することになったのです。
至時の元で、天文学や測量について熱心に学んだ忠敬は、その知識を生かしたチャンスがその後訪れるようになります。

時代は北方の帝政ロシアの力多強まってきた時代でした。
徐々にロシアの脅威のために蝦夷地開拓の必要性が高まっていきます。
そこで、高橋至時は、蝦夷地の正確な地図作成を幕府に願い出ます。
その担当者として伊能忠敬が選ばれるのです。
伊能忠敬は限られた測量器具しかない中で蝦夷地の測量を進めます。
約半年の測量の中蝦夷地の正確な地図を完成させることになります。
この測量活動の際に、かの有名な間宮林蔵に弟子入りしたといわれています。

蝦夷地の測量で高い評価を得た伊能忠敬は、次は伊豆半島そして東日本の東海岸を測量する活動を始めます。
さらに、東北の日本海川沿岸の測量、東海・北陸の測量。
近畿・中国地方の測量へと進み、四国・九州の測量を始めます。
17年間もかかったこれらの活動でしたが、全ての測量作業を終えたのちに地図作成作業へと取り掛かります。
もちろん日本全国の測量を行ったわけなので、各地域の地図を1枚に合わせる作業や修正作業などがうまくいかなかったため、地図作成作業は予想以上に時間がかかったのだそうです。
しかも、その地図作成の作業の際に伊能忠敬は病床につき、ついには74歳で生涯を終えることになりました。

地図の作成作業はその後で市に引き継がれ、伊能忠敬の死後3年後に大日本沿海輿地全図が完成するのです。
伊能忠敬をはじめ弟子たちが作り上げた地図の正確さは驚くべきものであり、その後に日本にやってきた欧米列強の人々もその正確さに驚いたということなのでした。

いかがだったでしょうか。
日本地図作成で有名な伊能忠敬ですが、その偉業に取り掛かったのはなんと人生の後半生。
この時代の50歳というと、今よりも寿命が短かった時代であることを考えると、残された時間というのはあとわずか。
そんな中でも、新たな学問に取り組み、自分の人生と財をかけて新しい試みにチャレンジした伊能忠敬。
人生100年時代になって、50歳といっても若いなあと言われる時代。
そんな時代には、誰もがこの伊能忠敬のように新たな人生のスタートを始めるチャンスは広がっているのかもしれませんね。