ちょこちょこ行っているダム巡り。
今回は三重県にまで赴いてみましょう。
今回紹介しているのは、三重用水の供給源でもあるダム、中里ダムです。
ダムといえば高低差のある大迫力の光景。
しかしここ中里ダムはそういった光景は広がっていません。
むしろのどかな湖の風景が広がるダムなのです。
しかし侮ることなかれ。
ここの貯水量や堤の体積などは、日本でもトップクラスを誇るアースダムなのです。
そして、この中里ダムと以前紹介した打上調整池とが連携して、下流域の人々の生活を支えているのです。
今回はこの三重県にある中里ダムについて紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
三重県に関する記事です。








中里ダム
中里ダムは三重県のいなべ市にあるダムです。
以前紹介した打上調整池のすぐ南にあり、同じく三重用水の水瓶として周辺区域や、鈴鹿山脈から水を引いて生活をしている下流域の人々の生活を支え続けています。
1972年に着工され、、ダム堤体の材料のほとんどをダム近傍から採取して、約3年間の工事を経たのち完成しました。
ダムの形式は台形上に造られたアースダムとなっており、その体積は国内でも最も大きなものとなっています。
この中里ダムによって作られているダム湖は鈴養湖(れいようこ)と呼ばれています。
実はこの中里ダムなのですが、1976年に完成してから約20年間もの間、このダム湖には愛称がありませんでした。
そこで2000年代に入ってようやく公募が行われることになり、この名称が尽きました。
鈴鹿山脈と養老山地に囲まれていることから、そこから一字ずつをとって”鈴養湖(れいようこ)”となったのです。
中里ダムが造られた経緯としては、やはりこの地域の農業用水や水道用水などを十分に確保するために設けられたものであるということです。
三重用水として確保されている水資源は、員弁川・牧田川などの8つの慶州から水を採取し、今回紹介している中里ダムの鈴養湖、宮川調整池、加佐登調整池、打上調整池、菰野調整池などの5つのダムでいったん貯水されます。
そして、水が足りなくなった時にそこから補給することで、下流域の人々の生活を支えているのです。
三重用水は、水道用水としてだけではなく、農業用水や工業用水としても使われており、中部地域の生活や経済全てに寄与しているといっても過言ではない水資源なのです。
そんな経緯があって造られた中里ダム。
数々の記録を持っており、堤の体積が日本でも第一位であることだけではなく、堤高でも第7位。
総貯水容量でも第6位と、数々の記録を誇るダムでもあるのです。
そしてダムの周囲も開発されており、様々な見どころがあります。
まずは公園が整備されており、梅林公園や、いなべ市農業公園などでは、梅の花やボタンなどを見ることができる場所として親しまれています。
また、ダム下流域には阿下喜温泉もあり、北に隣接している打上調整池では、日本昭和音楽村が設けられていることから、多くの人々に利用されている地域ともなっているのです。
アクセス
JR関ヶ原駅から南に15kmほどの位置にあります。
中里ダムへ行ってみた
それでは中里ダムへ行ってみましょう。

こちらが中里ダムです。
一般的に高さがあるダムとは違って静かな様相のダムです。

ダムの長い堤防です。

こちらが管理所です。
ダムカードはこちらでもらうことができます。

中里ダムの湖畔には、かつて中里ダムが造られて、ダム湖である鈴養湖ができたときに湖に沈んだ集落や田畑などについての案内が多く残されており、今でも感謝の念を忘れないようにしているようです。
それだけこの地域の人々の協力があってこそ、今の恵まれた水があることを忘れてはいけないということです。
ここには在りし日の村の姿が写真とともに残されています。
豊かな自然と共にあった人々の生活の姿は、私たちが忘れてはいけないものであるのでしょう。

治水神社跡の碑です。
いかがだったでしょうか。
日本各地に数あるダム。
どこのダムも、その地域にかつて住んでいた人々の協力あってこそのダムであること言うことは忘れてはいけないですよね。
自分たちが生まれ育った故郷が水の底に沈む。
そこには、想像もできないような厳しい決断があったことと思います。
そんなあたりまえのことを思い返させてくれるのがこの中里ダムだったのではないかと思います。
今では三重用水として多くの人々を支えることにつながっている中里ダム。
そこにいた人々の思いを次の世代にも受け継いでいかなければなりませんね。