今回紹介する人物はハイラム・ビンガム3世といいます。
おそらくほぼすべてに近い具合の人がこの人物の名前を聞いても”?”ではないかと思います。
そのような事実から、実際この人物がどのようなことをしたのかについてもほとんどの場合知らないことでしょう。
しかし、この人物が発見したものを言うと、知らない人はいないのではないかと思います。
現在、1100件以上いも及ぶ全世界の世界遺産と呼ばれるもの。
その中でも、行ってみたい世界遺産で常に上位にある世界遺産があります。
その世界遺産とは、南米ペルーにあるマチュ・ピチュです。
険しい山の頂にあり、今でこそ天空のインカ帝国遺跡としてよく知られるマチュ・ピチュではありますが、今でもその遺跡に到達するまでは非常に大変ですよね。
マチュ・ピチュのある場所まで鉄道で移動し、麓のマチュ・ピチュ村についてもそこからつづら折りになっている山をバスで登りながら、標高2430mに位置するマチュ・ピチュに到達します。
このマチュ・ピチュ遺跡なのですが
実は400年近く幻の遺跡だったのです。
そして、この幻の遺跡だったマチュ・ピチュを発見した人物こそがハイラム・ビンガム3世なのです。
マチュ・ピチュの周辺はアンデス山麓に属するウルバンバ谷と呼ばれるとにかく起伏の激しい場所。
そのような場所でこのマチュ・ピチュを発見したことは、実はインカ帝国時代の実をの探索をしていた際に偶然発見したものなのでした。
今回はこのマチュ・ピチュを発見した人物、ハイラム・ビンガム3世について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
ハイラム・ビンガム3世

世界でもトップクラスの人気を誇る世界遺産、マチュ・ピチュ。
そのマチュ・ピチュに向かうためには、遠くクスコから列車に乗ってマチュ・ピチュ村へと向かうわけなのですが、そこへ向かう列車の中にひときわ豪華な列車があります。
この列車の名前をハイラム・ビンガム号と言います。
この列車に乗って訪れた先にあるのはマチュ・ピチュ遺跡。
その光景は、一度見たら忘れられないものになるでしょう。
ところでこの列車の名前にもなっているハイラム・ビンガムという名前ですが、これは人の名前からきているのです。
その名前の元となった人物とは、ハイラム・ビンガム3世と言います。
マチュ・ピチュに向かう列車の名称にもなっているほどなのでなんとなくわかるとは思いますが、この人物、マチュ・ピチュ遺跡を発見した人物なのです。
ハイラム・ビンガム3世とは、1875年から1956年までの生涯を生きた探検家です。
彼がマチュ・ピチュ遺跡を発見したのは1911年のこと。
そもそもマチュ・ピチュ遺跡を見つけようとしてペルーを探索していたわけではなかったハイラム・ビンガム3世。
元々は、インカ帝国時代の都市に対して強い興味を持っていたハイラム・ビンガム3世は、インカ時代の道を探索していた中で、このマチュ・ピチュを発見したわけなのでした。
現在バスが通っているルートではなく、急な崖となっているところからハイラム・ビンガム3世一行はこの尾根にまで登ってきたとのこと。
どうやってこのような崖を登ってきたのか??というようなところではありますが、そうして発見したのがマチュ・ピチュ遺跡なのです。
ただ、地元の人々はすでにこの遺跡について確認していたということだったらしく、ハイラム・ビンガム3世が発見するよりも10年早く地元の農夫がこの地を訪れていたことが明らかになっているのだそうです。
しかし、発見したマチュ・ピチュ遺跡について、論文などを発表したことでハイラム・ビンガム3世は一躍有名な探検家となっていきます。
こうして考古学者として名を上げたハイラム・ビンガム3世ではありますが、その後は学者の道から軍人へと転向し、航空学校の指揮官などを務めるようになります。
さらには軍人から政治家へと転身し、アメリカが酬国コネチカット州の州知事に当選し、乗員ぎ位にまでなってしまいます。
しかし、その後上院議員選挙で落選してからは、再び議員となることはなく、それまで自らが発見してきた考古学的な発見についての伝記を執筆したり、会社の経営を行うなどして晩年を過ごします。

いかがだったでしょうか。
世界に数多ある数々の遺跡には、それぞれそれらを発見した歴史に名残す人物がいるのです。
このマチュ・ピチュを発見したハイラム・ビンガム3世もそのような一人なのです。
しかし、後々の世の人々が苦労して、ようやく発見できたような遺跡。
この遺跡をそもそも15世紀の段階で構築し、そこをかつようしていたインカ帝国の技術力の高さにも驚かされるばかりです。
しかし、こういった話を聞くと、考古学者というものはドリームがある仕事だなあと思います。
もちろん、何千何百という考古学者たちが挫折した来た中で、ごく一握りの成功者がいるということも事実なのです。