1059【愛媛紀行】実は愛媛県松山市で最も高い建造物『石手川(いしてがわ)ダム』

四国地方(Shikoku)
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四国は愛媛県松山市。
四国を代表する街である松山市ですが、この街は夏になるととあることでよくニュースになったりします。
それは慢性的な水不足。
実は松山市なのですが、目の前が瀬戸内海に面し、年間を通して雨の少ない地域となっています。
場所的なことが起因して、雪が降ることもほぼなく、台風の被害もあまり多くはありません。
そのため、年間降水量は1300mmと、日本の中でもけっこう少ない方になります。

その反面、松山市というと人口50万人以上を抱え、これは香川県の高松市よりお10万人ほど多い人口となっています。
そのような雨が少ないという条件と、人口が多いという理由から、夏になるとよく水不足に見舞われていました。
そこでそういった課題を解決するために考えられることといえば、ダムの建造ですよね。
この松山市の上水道確保として建造されたのが同じく松山市にある石手川(いしてがわ)ダムなのです。
1972年に完成したこの石手川ダムは、建造されてから50年以上が経つ歴史あるダム。
ここが建造されたことで、松山市の生活のみならず、農業用水としても人々の生活を支え続けているのです。

今回はこの愛媛県松山市にあるダム、石手川ダムについて紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 愛媛県松山市の多くの人々の生活を支えるダム、石手川ダム。実は松山市で最も高さのある建造物でもある石手川ダムを見に行ってみよう。

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石手川(いしてがわ)ダム

石手川(いしてがわ)ダムは、四国の愛媛県にあるダムです。
この石手川ダムなのですが、堤高が87mもの高さがある建物となっています。
この高さは、松山市の中でも最も高さのある建築物となっており、ダムとしての機能だけではなくそこからの展望も素晴らしい建造物となっています。

石手川ダムなのですが、すでに建造されてから50年を経過した建造物なのですが、もともとこのダムは松山市の位置する場所が、慢性的に水不足となる場所であることから建造されています。
北を瀬戸内海に面しし、年間降水量が1300mmと非常に少ないこの松山市では、水不足に陥りやすい条件がそろってしまっていました。
そのため、市の発展と人々の生活を支えるためには水資源の確保という点が非常に重要なポイントでした。
そのため、松山市へと流れる石手川に石手川ダムが設けられました。
このダムができたことによって、松山市中心部の大部分の上水道を賄うことができるようになっています。
また、灌漑用水や洪水調整機能としてもこのダムは有効に働いており、年々水不足に悩まされることは少なくなってきているのだそうです。

石手川ダムが造られたことによって、そこにはダム湖が生まれます。
石手川ダムのダム湖は白鷺湖(しらさぎこ)と呼ばれ、この白鷺湖畔には全部で6か所の公園が整備されています。
それぞれの公園では、近隣の人々が楽しむことができるような整備が行われています。
四季折々の自然の景色を楽しんだり、バーベキューなどを楽しむことができるようになっています。
また、白鷺湖ではブラックバスなどの釣りを楽しむことができます。
さらには2kmほど下流域には奥道後温泉もあり、道後温泉とはまた異なった趣の温泉も楽しむことができる場所となっています。

アクセス

松山市の中心部からは、北東に12kmほど行ったところに石手川ダムはあります。

石手川(いしてがわ)ダムへ行ってみた

それでは、石手川(いしてがわ)ダムへ行ってみましょう。

こちらが石手川ダムの管理支所です。
国道317号線でダムに向かい、ダムの天端を越えていくとこの管理支所に到着します。
ダムカードが欲しい場合はこちらへまずは向かいましょう。

けっこうダムカード前面に押し出した管理所になっています。
訪れた時期は年末だったのですが、四国のダムカレンダーも一緒にもらうことができました。

石手川ダムはダム内の監査廊内の見学もできるようです。
なかなかこのような見学ができるところというのはありませんよね。
ただし、400段近い階段を降りて、再度上ってくる必要があるので、かなり体力に自信がある人でなければ、見学は難しいかもしれませんね。
しかし、できるのであればダム内見学体験というのは魅力的ではないかと思います。

というわけで石手川ダムの全景です。
堤高が87mというかなりの高さのあるダムです。
舌をのぞき込むと少し怖くなってしまいますね。

そして反対側にあるのは石手川ダムによってできたダム湖、白鷺湖(しらさぎこ)です。

石手川ダムのダム湖である白鷺湖の湖畔には、全部で6か所の公園が造られています。
四季折々の自然を楽しんだり、バーベキューや釣りを楽しんだりと、地元の人々にとって憩いの場となっているのですね。

いかがだったでしょうか。
都心部の水資源不足を主な目的として建造された石手川ダムですが、いかんなくその効果を発揮し、市の人々の生活を支えるとともに、ダムとその周辺そのものが人々の憩いの場となっているわけですね。
四国にも数多くのダムが存在します。
それぞれの地域ごとに様々なダムの表情があることに気が付くことができるのがダム巡りであり、そのきっかけともなるダムカード集めなのかもしれませんね。