1073【愛媛紀行】全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社。瀬戸内海の大三島にある『大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)』

四国地方(Shikoku)
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今回は、とある神社について紹介していきたいと思います。
この神社なのですが、それがある場所は何と離島なのです。
まあ、今は橋で結ばれているのですが、古くこの神社が創建されたころにはそのような橋はなかったわけで。
その神社の名前を大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)と言います。

この大山祇神社なのですが、その場所は瀬戸内海に浮かぶ大三島という島にあります。
大三島という島ですが、大山祇神社があることから神の島としてしられている島なのです。
実際、この神社を訪れてみると、ほとんどの人々が驚くのではないかと思います。
島にある神社だけれども、全国各地にある三島神社、そして山祇神社の総本社でもあるのです。
そして総本社の名にふさわしいほど、途轍もなお敷地内に鎮座する壮大な神社なのです。

しかし、大三島につながら橋は、しまなみ海道を構成する橋の一つ。
その多くの人々は、橋から橋へ、そのほとんどが過ぎ去っていってしまうわけです。
少し立ち止まって見てみれば、これほど壮大な見どころ抜群の神社があるというのに。
今回はそんな瀬戸内海にある大三島にある神社、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 日本全国にある神社の中でも特別な扱いを受ける別表神社である、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)へ、橋を下りて見に行ってみよう。

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大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)

愛媛県今治市。
本州と四国とをつなぐしまなみ海道を構成するある一つの島が瀬戸内海に浮かんでいます。
この島の名前を大三島と言います。
その大三島に大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)と呼ばれる神社があります。
天照大神の兄神にあたる大山積大神一座を御祭神とするこの神社は、日本各地にある三島神社および山祇神社の総本社として非常に由緒ある神社なのです。
かつては国幣大社とされており、数ある神社の中でも相当に格の高い神社の一つなのでした。
現在はこの官制は廃止されていますが、それでもなお神社本庁に別表神社として指定されているほどの神社なのです。

敷居内には、伊藤博文ゆかりの記念楠樹をはじめ、山本五十六のような軍に関係する人たちにとってはずせない神社のようでした。

なお、この大山祇神社には重要な武具などを保管するためのをはじめとして国宝館や紫陽殿といった建物もあります。
なんと、これらの施設には、数多くの重要文化財が並んでいます。
ここに保存されているかつての武具類の数は、なんと日本全体の8割にも及ぶのだそうです。
それだけでもこの島の重要性が伝わってきますね。

アクセス

しまなみ海道の大三島ICで下りてから、15分ほどで到着します。
なお、鉄道は走っていませんので、車は必須です。

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に行ってみよう。

それでは、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に行ってみましょう。

しまなみ海道途中にある、大三島インターチェンジを下り、西に向かって10kmほどのところに大山祇神社があります。
意外と道路沿いに同化してあるので、見落としてしまう場合もありそうなところにありました。

こちらが大山祇神社ニの鳥居と呼ばれる鳥居です。
駐車場のすぐそばにあるのがこちらの鳥居ですね。

鳥居をくぐると、すぐ右手に斉田と呼ばれる神田があります。
この小さな田では、大山祇神社伝統の神事である御田植祭、抜穂祭といった伝統行事が行われ、愛媛県無形民俗文化財の一人相撲が奉仕されるとのことです。

さらに進んでいくとその先には赤い色をした建物が見えてきます。
こちらは大山祇神社総門・翼舎というものです。

総門の手前には、御棧敷殿(おさじきでん)という建物もあります。

総門には像が飾られています。
よく見かける仁王像などではないようですね。

では、総門をくぐってみます。
するとその先には区大な敷地が広がります。

とにかく大きな神社ですよね。
別表神社であるということもうなずけます。

こちらは天然記念物の大山祇神社 大楠です。
この大楠の存在がこの神社の神聖な空気をより高めているような気がします。

大楠のすぐ横手にある十七神社です。
愛媛県指定の重要文化財に指定されているものです。

大山祇神社の手水舎です。
こちらでしっかりとお清めですね。

先ほどの大楠のそばにはまた別の楠が立っています。
なんと樹齢2600年とも言われている乎知命御手植の楠です。
途方もなくこの場所に生き続けている楠なのですね。

御神木に囲まれて、葛城神社があります。
こちらもなんと1000年を超える歴史があるのだとか。
葛城神社だけではなく、祓殿神社、伊豫國総社といった三社が大山祇神社敷地内に祀られています。
これは、かつてはバラバラに存在していたお社でしたが、徐々に荒廃していった社殿を新たに造営することができなかったために、この場所に集められて現在に至ると伝わっているようです。

まだまだ先があります。
この先にある大山祇神社の本殿・拝殿に向かって歩いていきましょう。
広い空間を抜けると、大山祇神社の神門があります。

この神門のそばに植えられているのは、伊藤博文公記念楠樹と呼ばれるものです。

こちらが神門です。
神門自体は2010年代に建て替えが行われています。

神門の先にあるのが大山祇神社の拝殿であり、その奥には本殿があります。
これらの建物は、国の指定重要文化財に指定されている建物です。

本殿・拝殿の周りにも立派なクスノキ群が立ち並んでいます。

さらに進んでいくと、大山祇神社宝物館があります。
ここは大三島海事博物館でもあるようです。
残念ながら、閉館時間が比較的早いこともあって、入ることができませんでした。

宝篋印塔(ほうぎょういんとう)と呼ばれる鎌倉時代に建設されたものだそうです。

いかがだったでしょうか。
いかに広大な敷地の中に建てられている神社であることが伝わったでしょうか。
大三島というしまなみ海道の途中にある神社ということもあって、これほどの規模の神社であるにもかかわらず、あまり人は見かけません。
このように、数々の島々の上を通過していくしまなみ海道。
しかし、一つ一つの島々を見ていってみると、今回の大三島のように面白いスポットがまだまだ隠されているわけですね。