1075【愛媛紀行】大三島の農業用水や生活用水すべてを支える『台(うてな)ダム』

四国地方(Shikoku)
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今回はとあるダムの紹介記事です。
さて、このダムなんですけど・・・。
読めますか??

台ダム

だいダム??
と呼んでしまいますよね。
もちろん、そんな読み方ではないのです。
台と書いて『うてな』と読むのだそうです。
こんな世味方したことないなあ・・・、とだれもが思うことでしょう。

そんな台ダムがあるのは、愛媛県今治市。
この詩に属していますが、瀬戸内海に浮かぶ島、大三島にあるダムなのです。
島にダムがあるというのもなかなか珍しいのかなあと思いますが、実際このダムが設けられている台本川なのですが、それほど長い川ではありません。
全長3.7kmほどしかなく、はたしてここにダムが必要なのか?とも思われるのですが、全長が長い川というものはえてして危ない川になってしまうことがあるのです。
それは豪雨などの時。
短い川を一気に大量の水が流れるため、下流域にはそれに伴った災害が多発することになるのです。

そんな経緯で大三島に造られることになった台ダム。
はたしてどのようなダムなのでしょうか。
今回はこの台ダムについて紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • とにかく読み方が難しいことで印象に残る台ダム。訪問者向けの設備も充実した台ダムに行ってみよう。

愛媛県関連の記事です。

1119【愛媛紀行】三方を山に、海はリアス式海岸。日本でも有数の良港が広がる『宇和島の町』
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台(うてな)ダム

台(うてな)ダムは、愛媛県の今治市にあるダムです。
今治市ではありますが、実際にあるのは瀬戸内海に浮かぶ大三島という島にあるダムです。
島を流れる約3.7kmというかなり短い台本川の上流部に建設されています。
この台ダムなのですが、国内唯一の離島のダムでもあるのです。
確かにこれまで、そのような状況にあるダムというものには巡り合ったことはありませんでした。

なぜこの小さな島である大三島という場所にダムが建設されたのかというと、この場所にダムがなければならなかった複数の理由が存在しているからなのです。
一つは、洪水対策です。
前述したように台ダムのある台本川は全長3.7kmと短い川でした。
そして、その源流である鷲ケ頭山は標高436mあります。
この短い川を、4336m地点から水が一気に流れるということは、ひとたび豪雨が島を襲ったりすると、流れる水があっという間に恐ろしい勢いと水量となり、下流域を襲うのです。
実際、大三島の台本川沿いでは、古くからたびたびの洪水額を受けてきたのです。

もう一つの理由は水不足対策です。
大三島のあるこの地域は、海に囲まれ、本州、四国と南北を山々に囲まれた地域になります。
この地理的な特徴から、大三島をはじめこの周辺の諸島では、毎年のように深刻な水不足に悩まされ続けた地域だったのです。
そういった地域では、ダムの建設が喫緊の課題だったのです。

最期に、農業用用水の確保です。
生活用水としての水が不足するということは、農業用用水も同じくの状況なのです。
ここでもダム建設が熱望されることがわかりますよね。

そうした、大三島が抱える課題とその解決を図るために台ダムは建設されました。
地齋に建設されるまでには、大三島の各町村が結集してダムの建設要請運動を国に対して展開したのだそうです。
1991年に完成し、すでに30年をこえ大三島の生活を支えている台ダムは、これからも大三島をはじめ周辺の初頭の生活を支えるライフラインとして非常に重要な施設なのです。

アクセス

大三島の大山祇神社から南に3kmほどの山間部にあります。

台(うてな)ダムに行ってみよう

それでは、台(うてな)ダムに行ってみましょう。

大三島の山奥、対向車もほぼない道を進んでいくと、台ダムの管理事務所が見えてきます。
ここに来る前に寄った石手川ダム、玉川ダムもそうなのですが、愛媛県のダムの管理所におられるスタッフの方々は、総じて非常に親切です。
管理所に訪れるととても歓迎してくれますし、ダムカードだけではなく愛媛のダムカレンダーなどもくれたりしました。
訪問して非常に気持ちの良くなるダムだということもお薦めです。

そこそこ小さな島にあるダムですが、この大三島にある標高440mほどもある鷲ヶ頭山から流れる台本側は全長3.7kmしかありません。
これだけの前兆であるにもかかわらず、そこそこ標高のある場所から流れる。
短い区間に大量の水が流れる、そこには災害が起こる危険性がかなり秘められているのです。

台ダム案内板です。
この案内板ですが、かつていろいろとダムを見てきましたが、初めての機能が搭載されていました。
案内板の隅にスイッチがあるのですが、これを押すとかなりの音量でしっかりと台ダムについての解説をしてもらえることができてしまうのです。

こちらは台ダム碑文です。
大三島を流れる台本川が幾度となく洪水被害を引き起こしてきたことについて書かれています。
また、そうした川の状況から、この地域では深刻な水不足にもたびたび悩まされてきたそうです。

そんな大三島の状況を打開するために、人びとの悲願だった台ダムの建設。
現在の豊かで住みよくなった尾三島は、そういった数々の人々の願いによって今現在まで受け継がれてきているのです。

ダムといえばダム湖ですよね。
台ダムによってできたダム湖はうてな湖といいます。

それでは台ダムの堤上へと行ってみましょう。

こちらが台ダムの堤の上です。
高さ約42mを誇るダムからの景色は、なかなかの絶景です。

ここから放出された水は、台本川を通り、約3km西にある海岸から瀬戸内海へと流れ込みます。

そして、その反対側を見るとうてな湖があります。
うてな湖の周りには3つの公園が設置されています。
大三島の自然を堪能するにもうってつけの場所かもしれませんね。

いかがだったでしょうか。
数々のダムをこれまでも見てきましたが、島にあるダムというのはなかなか見たことがない珍しい場所でしたね。
この台ダムに訪れるためには、しまなみ海道を途中で下りなければいけません。
そう考えるとなかなか寄っていこうとはなりにくいかもしれませんが、当ブログでも紹介している大山祇神社や、道の駅今治市多々羅しまなみ公園といった場所に訪れたりすることに合わせて、この台ダムに行ってみるのも面白いかもしれませんよ。