日本という国も、かつて自分たちで国土を開拓し、開発しながら現在のような形になっています。
その中でも、現在では日本である北のエリアや南のエリアというものは、かつては異なった歴史をたどっていたわけです。
北のエリアというと北海道。
明治に入り多くの人々によって開拓されたこの地域は、多くの人々の命を懸けた努力によって開拓されていった大地なのです。
そんな北海道の東の端にあるのが根室です。
この根室には、かつて開拓使根室出張所というものが置かれていました。
この根室に出張所を置くことによって、根室だけではなくこの辺りの花崎や野付と呼ばれる地域が管轄されていました。
その出張所があった場所に、現在は標柱が建てられており、『開拓使根室出張所跡』として残されています。
根室市内には、このようなかつてあった史跡などを紹介する標柱が数多く残されています。
その中でも今回はこの開拓使根室出張所跡について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
これまでの根室の記事です。













開拓使根室出張所跡
開拓使根室出張所跡は、根室市内にあるかつて開拓使根室出張所のあった場所に建つ標柱です。
明治2年に北方開拓のために設けたられた官庁が開拓使であり、開拓使庁が東京に設けられました。
その出張所が北海道の函館と根室に開かれたわけです。
開拓使が設立されたのは、明治に入り、それまで蝦夷地と呼ばれていた北海道。
そこはまだまだ未開の地でした。
北方開拓のために開拓使が明治2年に設置され、同年に名称も蝦夷地から北海道へと改称され本格的に北海道の開拓が進んでいきます。
開拓使の本庁舎は札幌に置かれることとなりました。
本庁舎の建設と共に札幌の町づくりも進められ、明治3年には仮庁舎を設置。
そして明治6年には現在の北海道庁少し北側のところに設けられました。
ところがわずか6年後には火災で焼失してしまいます。
札幌ではこのような動きがあった時と並行して根室にも出張所開設の動きが始まります。
開拓使判官であった松本十郎がこの根室の地に根室出張所開設のためにやってきました。
明治2年に設置された開拓使根室出張所は、明治2年に設置され根室と、花咲、野付の3郡を管轄する出張所となります。
その際、役人や移民など130人を率いて根室にやって来て、牢屋・病院・教育所などを設けました。
そうして造られた出張所でしたが、明治5年になり、北海道を6つに区分して統治することが認められ、その際に開拓使根室支庁という名前になりました。
根室出張所は根室のほかに、釧路や千島、北見の一部も治める施設となったのでした。
明治15年になり開拓使が廃止された後の北海道には県が置かれ、それぞれ札幌県、函館県、根室県が設立されることとなりました。
根室支庁の管轄はこの際に根室県へと引き継がれることになったのです。
しかし、それもわずかの間であり、さらに明治19年にはその三県も廃止され、新たに北海道庁が設置されるなど、わずか数年の間に激動の時代を北海道は迎えていたのです。
アクセス
根室駅から1.2km北の街中にひっそりとあります。
開拓使根室出張所跡へ行ってみた
それでは、開拓使根室出張所跡へ行ってみましょう。

これが開拓使根室出張所跡に立つ標柱です。
現在は何か建物があるわけではなく、個の標柱のみが残っていますので、なかなか見つけるのは難しいかもしれません。
自分も根室市内の散策をしているときに、たまたま見つけて写真に収めたものなのです。

標柱には根室出張所の説明と共に、当時の建物の写真が掲載されていました。
根室だけではなく、現在の道東と呼ばれる部分のかなりを治めていたとされる場所です。
北海道の開拓時代には、かなり重要な場所であったことは間違いないのでしょう。
いかがだったでしょうか。
根室市内にはこういった歴史的な跡に立つ標柱がいくつもあり、町ぐるみでそれらを紹介したりしています。
全部で36もの標柱が用意されている根室市。
これらは、根室市が持つ歴史的な多々物跡などを広く市民や訪れた人々に知ってもらいたいという思いから、昭和62年から整備されてきたものなのだそうです。
この開拓使根室出張所跡も現在は住宅と姿を変えてひっそりと現在に至っています。
ここから根室の歴史が始まっていったのだと考えると、その歴史の重みがひしひしと伝わってくるかのようです。
根室散策ではこの標柱から標柱へと、歴史の跡をたどっていくという町散策も面白そうですよね。
ぜひ根室に訪れたときにはチャレンジしてみたい旅ではないかと思います。