日本百名城・続日本百名城と、登録されている城が全国で200か所日本には存在します。
日本百名城では、都道府県各地を代表するような名城が選定され、それまでも賑わいがありましたが、さらに盛り上がりを見せ、それは周囲にまで広がってきていることと思います。
そして、その後選定された続日本百名城。
こちらは日本百名城では選定されなかった名城の数々が選定されたわけですが、なかなかにマニアックな場所も多かったりします。
当ブログでも数々紹介してきていますが、特徴の一つが非常に山城が多いなあというところでしょうか。
しかし、それだけではないのが続百名城ですのです。
今回紹介している愛媛県にある能島城は、200ある城の中でも非常に特徴ある城なのです。
なにせこの能島城、能島という小島1つが丸々と能島城となっているのです。
城の分類としては水軍城と呼ばれます。
ここでいう水軍というのは、かつて瀬戸内海を牛耳っていた村上水軍(村上海賊)の一派である能島水軍が設けた水軍城だったのです。
この村上水軍ですが、海賊とは言われていますが、瀬戸内海で活躍した村上水軍は、現在認識されているような、略奪や戦いを生業とした海賊ではありません。
瀬戸内海の航路を安全に行き来するために、不燃尾水先案内人として活躍していたのが村上水軍であり能島水軍なのです。
その能島水軍が拠点として城が能島城なのですね。
現在でも小島であるこの能島、そして能島城。
他の百名城の数々とは異なり、上陸すること自体が大変な城なのです。
今回はこの能島城に訪れてきました。
ただし、上陸はできなかったのですが、潮流ツアーの中で間近にまで迫った能島城を見ることができたので、その時の写真を基に紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
愛媛県関連の記事です。







能島城(のじまじょう)
能島城は、愛媛県に属する城跡です。
愛媛県ではありますが、瀬戸内海に浮かぶ能島、そしてその属島である鯛崎島とに築かれていた城でした。
現在もここへ訪れるためには船が必要である孤島丸ごとに築かれたこの能島城。
なぜこんなところに城が?と思うかもしれませんが、日本各地にある他の城々とは造られた目的が異なります。
この能島城を作ったのは戦国武将たちとは異なり、かつてこの瀬戸内海で活躍していた海賊でした。
別名水軍とも呼ばれるこの集団。
現在であれば海賊というと、海のならず者といったようなイメージもありますが、この時代の瀬戸内海で活躍していた海賊とはかなり意味合いが異なります。
この瀬戸内海で活躍していた水軍は村上水軍という集団でした。
この村上水軍は、瀬戸内海を訪れる船が、激しい潮流もある瀬戸内海を安全に航行し、目的地に宇治にたどり着くための水先案内人としての役割を担っていたのでした。
そのため、この村上水軍の印を船に掲げることが、一種の通行手形他のようになっていたのでした。
その村上水軍の一派であった能島水軍が、能島を拠点とするために設けた水軍城が能島城だったのです。
この能島城が築城されたのが室町時代。
その中でも室町時代前半の南北朝時代と考えられています。
当時は能島と鯛崎島とが橋で結ばれ、この地域一帯の制海権を握っていたと考えられています。
水軍上の中では規模の大きな能島城。
その城の周りは干満時には激しい潮流が発生し、島に近づくこと自体が難しい天然の要害となります。
そのような海を知り尽くした能島水軍だったからこそ、この地域一帯をコントロールできたわけなのでしょうね。
しかし、そんな能島城も豊臣秀吉による海賊停止令によって水軍自体が存続できなくなってしまい、必然的に能島城も廃城となってしまいます。
その後は島に何か構造物が造られることはなく、無人島として時を重ねていったため、現在もなお能島城の遺構状態よく残されています。
アクセス
しまなみ海道の途中にある大島にある村上海賊ミュージアムから、能島城上陸ツアー及び潮流体験ツアーが出発しています。
能島城へ行ってみた
それでは、能島城へ行ってみましょう。

能島城へは、村上海賊ミュージアムの前にある乗り場からツアーが行われています。
ただし、上陸ツアーは土日と祝日だけと日が限られているので注意が必要です。
上陸はできませんが、能島周辺の潮流を体験できるツアーは月曜日以外は行われています。
こちらのツアーでは上陸はできませんが、かなり間近で能島城を見ることができるので、意外とおすすめです。

出発までは村上海賊ミュージアムでじかんをつぶしましょう。
こちらは、能島にあるかつては杭などが建てられていたのではないかと考えられている大穴です。
後の潮流体験でも実物を見ること事ができます。

ミュージアムからは、遠くに能島城を見ることができます。

能島城は、能島とその属島として鯛崎島とで成り立っています。
かつてこの2つの島の間には桟橋が設けられていたようなのですが、現在はそれぞれ独立した島となっています。


ツアーの時間になったらミュージアムを後にして、乗り場に向かいます。

ミュージアムからは徒歩1分もかからない場所に乗り場があります。
駐車場はミュージアムの駐車場を利用しましょう。

それでは能島に向かって出航です。

潮流体験ではこのような船に乗ります。
潮流体験なので、途中かなり揺れる箇所もあります。

出発して数分経つと、早速能島野誓に到着です。

最初は南側からゆっくりと回って見せてくれます。


そして、島の東岸のあたりに到着すると船のエンジンが切られます。


こちらが能島の周りに渦巻く激しい潮流です。
干満時にはとてつもなく激しい潮流が発生するため、船などもあっという間に流されてしまいます。
そのことから、この能島は天然の要害として抜群の場所にあったのでした。

そして船は北側に回っていきます。

ミュージアムからは見えなかった面ですね。
斜面の崩落を防ぐために保護が行われていました。

そして船は、数十㎝というところまで近づいてくれます。


ここには先ほどミュージアムで見た大穴が並んでいます。
かつては、数多くの船がこちらの岸にやって来て、人の行き来があったことでしょう。

ここまでの距離に来ながらも上陸できないのは残念です。
いつかはリベンジしたいものです。

潮流体験では、北にある伯方・大島大橋まで行って、巨大な橋を下から眺めることができます。
その後、再び南下して能島城近くに再びやってきます。

再び能島城付近にまでやってくると、

ここにも潮流があります。

その先には能島の西側に到着です。
東や北側とはまた異なった雰囲気ですよね。




最後には、能島の南にある属島である鯛崎島の周りに行きます。
かつては、能島と鯛崎島とは橋でつながれていて、二つの島で能島城を構成していたようです。

鯛崎島の先にはくじら地蔵という像があります。
この像は、クジラの親子が島の周辺で遊んでいた時に、歯は鯨が取り残されて海に戻れなくなってしまったときに、お地蔵さまが海の生き物に呼び掛けて、力を合わせて葉は鯨を海に戻したという昔話があることから、この場所に安置されています。

この辺りは穏やかな海でした。

というわけで乗り場にまで戻ってきました。
一時間ほどの潮流体験でしたが、やはり潮流もすごいのですが、能島という世にも珍しい水軍城を眼前にできるというのが、素晴らしいツアーだったと思います。

いかがだったでしょうか。
世にも珍しい水軍城。
かつて、この能島城を拠点にして、多くの人々が能島水軍を先頭に、この場所を行き交っていたというのが、よくわかる施設の数々でした。
なかなか他にはない城の種類であるため、ぜひとも訪れてほしい場所の一つですね。
なお、上陸ツアーの実施が少ないこともあるので、その日を狙ったしっかりと予約もしたうえで、能島城上陸にチャレンジしてみてください。