1107【愛媛紀行】伊予の小京都として名高い。一人でも家族でも楽しめる『大洲の町』

四国地方(Shikoku)
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愛媛県は四国四県の中でも最も西側に位置する都道府県です。
そんな愛媛県の中でも最も有名なのは、県庁所在地である松山
伊予松山城や、道後温泉といったところが非常に有名な都市ですね。
ではそれ以外となると?
次に名前が挙がるのは今治ではないでしょうか。
しまなみ海道の玄関口としての今治は、今治タオルなどの産業も非常に有名ですね。

ではそれ以外となるとどうでしょうか?
あまり聞いたことがなあ、となってしまうかもしれません。
しかし、愛媛県の城を巡るとなると、これら以外の町も名前が挙がってきます。
それが、宇和島と今回紹介する大洲ではないでしょうか。
これらの町は日本百名城にも選定されている城をもつ町であり、城めぐりをするのであれば必ずと言っていいほど訪れることになる町なのです。

今回は、以前当ブログでも紹介したことがある大洲城をもつ大洲の町についてです。
松山からは南西に30kmほどの場所にあり、比較的アクセスもしやすい大洲の町。
その町にはいったいどのようなものがあるのでしょうか。

今回は、愛媛県の大洲の町について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 伊予の小京都とも呼ばれる大洲の町。大洲城をもつこの町はどのような特徴のある町なのでしょうか。

愛媛県関連の記事です。

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大洲の町

肱川(ひじかわ)が中心に流れる大洲の町は、大洲城を中心として開かれていった城下町です。
伊予の小京都とも呼ばれた大洲の町は、現在は4万人余りが生活をする町となっています。

かつてこのちには大洲城を藩庁とした大洲藩がありました。
その大洲は藤堂高虎が所領としていました。
しかし、後に高虎は転封となったため、後に脇坂家、そして加藤家が入り、明治にまで続いた半でした。
廃藩置県の際には大洲県となりますが、その後周辺県と合併し宇和島県となります。
宇和島県では支庁が大洲におかれました。
その後、宇和島県が神山県と改称されますが、最終的に愛媛県へと編入され、現在に至ります。

アクセス

JR予讃線の伊予大洲駅から南に徒歩約20分で到着します。

大洲の町に行ってみよう

それでは、大洲の町に行ってみましょう。

大洲の町は、大洲城を中心とした旧城下町を基にした町となっています。
かつては内堀とその外に外堀というお堀が張り巡らされた城下町でしたが、現在は堀は埋められています。
しかし、その堀の痕跡や、遺構などは数多く残されているのが特徴なのが大洲の町なのです。

こちらが現在の大洲市民会館です。
建物自体はかつての二の丸曲輪のあった場所に建っていますが、前にある広い駐車場はかつての内堀を埋め立てた場所なのです。

そして、この場所にあったのが大洲城の大手門でした。

大洲市民会館の横からは大洲城への上りとなっています。

一部にはかつての石垣跡も残っています。
石垣とそれに民家が続いているような造りになっています。
城跡が再開発され、様々な建物が建造されています。

NIPPONIAホテルがちょうど天守を見上げられるところにあります。
なかなか高いホテルですが、かなりの好立地にあるホテルですね。

大洲城天守を見上げたところです。
すぐ手前の右側に見えるのは愛媛県の文化財にもなっている下台所と呼ばれる建物です。

それでは町に繰り出してみたいと思います。
大洲城周辺はあまり食事をするところはありません。
訪れた際は、城跡からすぐ近くにあるこの白石うどん店でお世話になりました。
庶民的なお店で非常においしいお店でした。

城から南に向かって歩いていきます。
かつての三之丸であったこの辺りには現在は公共の建物が数多く建てられています。
こちらの建物は裁判所です。

そして、裁判所の前には三の丸南隅櫓が残されています。

こちらが三の丸南隅櫓です。
三の丸南隅櫓の正面は現在はグラウンドになっていますが、ここはかつての外堀だったところです。
なお、こちらの建物は重要文化時となっています。
内部に入ることもできるんですよ。

三の丸南隅櫓は、お殿様公園という公園内に配置されています。
こちらには旧加藤家住宅主屋という旧宅も見学することができるようになっています。

なお、大洲市はかつて朝の連続テレビ小説である『おはなはん』の舞台として取り上げられた町なのだそうです。
こちらが放送されたのは、1966年から翌年にかけて。
朝の連続テレビ小説としても第六作として放送されたかなり早い段階のドラマだったのです。
そのような時代に舞台として取り上げられた町だったのですね。
そのドラマの名前が付けられたおはなはん通りという通りが、大洲城の南に東西に走っています。
この通りは特に明治屋大正時代の面影を残す町並みとなっていており、その雰囲気が多くの人を惹きつける街並みとなっています。

いかがだったでしょうか。
大洲の町と言いながらも、大洲城の周辺しか見て回っていなかったのであまり写真が紹介できていないのですが、肱川にそって形成された大洲城の城下町跡には、その他にも見どころが点在しています。
遠方から愛媛県へ訪れると、この大洲が目的地に、というのはあまりならないかもしれませんが、都会の喧騒から離れた、静かな時間がこの大洲の町には流れていました。
かつての城下町を存分に堪能したいときには、この大洲に訪れるというのはいいかもしれませんよ。