大阪の南にあるの市町村の中に、藤井寺市という市があります。
かつては、プロ野球球団近鉄バファローズの球場であった藤井寺球場があったこの市。
その名前からも、おそらく葛井寺というお寺があるのだろうなあ、と思うことでしょう。
しかし、この藤井寺市の中で藤井寺というお寺を探しても見つかりません。
では、なぜこのような名前が市の名前となったのでしょうか?
実は、藤井寺市という名前は、ふじいでらというお寺からきているのは確かなのです。
しかし、漢字が違うのですね。
実は実際に存在する藤井寺は『葛井寺』と書きます。
これを、”ふじいでら”と読むのはなかなかに難易度が高いですよね。
それはそうと、古墳やらお寺やら、かなりの歴史をもつ史跡や建造物が残る大阪中南部のこのエリア。
この葛井寺というお寺もかなりの歴史をもつお寺だったりするのです。
なにしろこのお寺が創建されたことに関する人物の名前としては、聖武天皇という名前が出てくるほどの歴史があるのです。
実際訪れてみると、それだけの歴史の長さがうなずけるほどの規模であり、国宝も有するほどのお寺なのです。
今回はこの藤井寺市にある葛井寺について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
葛井寺
葛井寺(ふじいでら)とは、大阪府藤井寺市にあるお寺です。
藤井寺市の名前の由来ともなっているこのお寺は、7世紀に建立されたといわれている、長い歴史をもつお寺です。
元々は現在の朝鮮半島にあった百済やってきた渡来者によってこの地域は反映したとされています。
そして、そんな渡来者の中の葛井氏によって創建された寺とされています。
葛井氏代々の家系によって伽羅の建設がなされ、その当時には2平方メートルもある境内の中に、東西の両塔と、七堂伽羅を有するお寺でした。
725年には聖武天皇によって千手観音菩薩が造像され、かの有名な僧である行基を導師として迎えた寺でもありました。
しかし、南北朝時代になると、楠木正成が陣をしいた場所であったりするなどして、戦禍にさらされたこともたびたびあったのだそうです。
そのため、かつては存在していた東西2つの三十塔をもった伽羅や、その他の建物も次々と焼失したという歴史をもっています。
また地震などの自然災害の被害も受けたため、現存する建物は近世以降に再建されたもので構成されています。
それだけの歴史をもつお寺であるため、本尊もかなりの歴史を有するものが鎮座されています。
乾漆千手観音座像が本尊なのですが、国宝にも指定されている者であり、毎月18日と、8月9日の千日参りの時のみ開帳されていて、一般の人々も拝むことができるようになっています。
また、境内にある四脚門は重要文化財に指定されているものです。
西国三十三箇所観音霊場の五番目として全国から多くの参拝者が訪れています。
アクセス
近鉄南大阪線藤井寺駅から、南東に300mほどのところにあります。
葛井寺に行ってみた
それでは、葛井寺に行ってみましょう。

葛井寺にやってきました。
元々はなんと7世紀の頃に、建立されたとされているお寺です。
その歴史は何と、1300年近く!!?
それだけの歴史がある場所なので、建物自体は何度かの修理や改築が行われて現在に至っています。

お寺の前には、藤井寺市の史跡にまつわる地図が置かれていました。
ぱっと見て古墳が多くあるのが目につきますね。
それだけではなく、今回紹介している葛井寺や道明寺といった有名なお寺や神社など、歴史的な遺構が数多く残されている地域であることがわかります。

そしてこちら葛井寺です。
そして上の写真にあるのが、藤井寺の南側にある南大門です。
この時はちょうどお正月シーズンだったので、”初詣”の文字が掲げられていました。

葛井寺の歴史について書かれていました。
飛鳥時代
聖武天皇
南北朝時代・・・などなど
歴史の授業で聞いたような時代名や人物名が次々に現れる葛井寺の歴史。
そんじょそこらのお寺とは格が違いますね。

境内の中に入ってきました。
左の修繕工事中の物が阿弥陀堂(二十五菩薩堂)です。
この時は、囲いの中で一旦解体が行われており、お堂を支える支柱などがむき出しの状態になっていました。
むしろ、このような状態のお堂が見れるということは貴重な機会だったのかもしれません。

近寄ってみてみると、かつての阿弥陀堂(二十五菩薩堂)内部の写真を見ることができるようになっていました。

現在はこのようになっています。
阿弥陀堂の解体修理と同時に、ここにお堂にお祀りする阿弥陀三尊、二十五菩薩像の修復も行われてるそうです。

そして正面に見えるのが本堂ですね。
葛井寺を構成する様々な建物は、長い歴史の中で自然災害や戦乱によって焼失激しい歴史をたどってきています。
そのため、こちらの本堂は1776年に建造されたものだそうです。

阿弥陀堂の正面にある大師堂の前には旗掛けの松と呼ばれる松があります。
個の松は、楠木正成の息子である正行と正時、正儀が戦いを続け、幕府側だった細川氏に大勝をしたとき、この松の木に旗を立てかけたとの言い伝えがある由緒ある松です。
実際、この木からは不思議な力が授かると語り継がれているのだそうです。

阿弥陀堂の再建、また仏像の修復などのために寄進のお願いが行われています。

こちらは重要文化財の四脚門です。
もともとは豊臣秀頼によって南大門として建造されたものだったのだそうです。
いかがだったでしょうか。
大阪中南部というと、実は今回の葛井寺の様に驚くような歴史ある場所が数多くあったりするのです。
そのため、歴史好きにとってはこの藤井寺市周辺はたまらないスポットなのです。
歴史の授業などで聞いたような内容が数多く飛び出してくるこれらの地域散策は、また新たな発見を私たちに提供してくれそうな場所なのですね。