1140【神奈川紀行】鎌倉幕府の大倉御所西御門があった場所にある 『来迎寺(西御門)』

関東地方(Kanto)
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今回も鎌倉にある観光スポットです。
賑やかな鶴岡八幡宮とは異なり、その近くにあるにもかかわらずあまり多くの人ば訪れないお寺があります。
そのお寺とは来迎寺といいます。
この来迎寺は、かつて鎌倉幕府の大倉御所、西御門にあるお寺なのです。

かつて西御門には数多くのお寺が建てられていましたが、この来迎寺はその中でも唯一残っているお寺です。
その創建は1293年とされており、次週の開祖としても有名な一遍上人によって建立されたといわれていますが、その沿革には不明な点が多くあります。

かつての大倉御所の西にあったとされるこの西御門にある来迎寺。
なお、来迎寺は鎌倉にはなんと2か所あります。
この西御門にある来迎寺と、材木座と呼ばれる場所にある来迎寺です。
今回は、西御門にある来迎寺について紹介をしていきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 鎌倉は西御門にある来迎寺。700年以上の歴史をもつ鎌倉を見守り続けてきた来迎寺を見に行ってみよう。

鎌倉に関する記事です。

1189【神奈川紀行】鎌倉の閑静な住宅地に建つ、ひときわ目立つランドマーク的な邸宅『加賀谷邸』
甘縄神明神社につながる小道を歩いていると、その途中にふと気になる住居がありました。訪れたときには改修工事?を行っていたようなのですが、それであってもまわりの家とはかなり趣の異なるこの家。実は、鎌倉市景観重要建築物に選ばれている家なのです。その家を加賀谷邸といいます。
1188【神奈川紀行】ここにかつて若宮大路を代表する大鳥居が存在していた『浜の大鳥居跡』
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1187【神奈川紀行】鎌倉幕府の創設に多大な貢献を果たした伝説の武士 畠山重忠の邸宅があったとされる場所に残る碑『畠山重忠邸址』
今回はとある人物の邸址の史跡となります。その人物とは畠山重忠。鎌倉幕府創設期の有力御家人として活躍したものの、北条時政の計略によって謀反の疑いをかけられ、一族が滅ぼされることになってしまった人物です。大河ドラマの鎌倉殿の13人での好演も印象深いこの人物なのですが、その畠山重忠の邸宅があったとされる場所が鶴岡八幡宮のすぐ東側に残されています。それが畠山重忠邸址の碑なのです。
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大江広元は大河ドラマの鎌倉殿の13人でも登場した源頼朝の側近として、頼朝亡き後も文官として鎌倉幕府を支え続けた人物であったため、この地にその墓があるというのは納得ですよね。ところが、そのすぐ横に毛利氏の墓があったり、島津氏の墓があったりするのはなぜなのだろう?となるかもしれません。
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鎌倉幕府の創設期から幕府を支えてきた三浦一族なのですが、最後には北条一族と争った結果敗れてしまい、一族もろとも自刃するわけなのです。そんな三浦一族を法務経ったとされる場所が今回紹介している三浦一族のやぐらなのです。 皮肉にも、北条義時を祀っている法華堂があったとされる場所のすぐ裏手にあるこのやぐらと呼ばれる場所。鎌倉散策では必ず訪れておきたい場所ですよね。
1183【神奈川紀行】かつての大倉幕府にあった4つの門の一つ。東門があったとされる場所に残る碑『東御門』
鎌倉にかつてあった大倉御所というものは影も形も残っていません。御所の中心は現在は清泉小学校という小学校の敷地になっています。そしてその御所の東西にあった門は、東御門そして西御門というものがありました。これらは現在は地名などでしか残っていません。
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1180【神奈川紀行】 鎌倉十井の一つ。鉄の観音像の伝説が残る『鉄の井(くろがねのい)』
今回取り上げているのは、鉄の井といいます。"てつのい"ではなく、"くろがねのい"と言います。鎌倉十井の中でも、とにかく人通りの多い小町通りの北の端にあるため、おそらく見かけたこともある人は多いのではないでしょうか。この井戸が"鉄"と呼ばれるのは、ここの井戸からとあるものが掘りだされたことに由来するのです。今となっては真偽はわからないその出来事。では、この鉄の井に残る伝説とは何なのでしょうか。
1172【神奈川紀行】和田塚につながる江ノ電の駅『和田塚駅』
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、大人気となった登場人物である和田義盛。幕府のために尽力した人物であったものの、最後は北条義時との対立によって和田合戦を誘発され、討ち取られてしまった人物です。和田義盛が眠る場所である和田塚は、江ノ島電鉄のとある駅の近くにあります。その駅とはそのままで『和田塚駅』と言います。駅名になるほどの史跡なのですよ。
1169【神奈川紀行】由比ヶ浜に散った和田合戦の犠牲者たちを弔った『和田塚』
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。序盤から終盤まで登場し、殺伐としたドラマにひと時の安ど感を与えた、同ドラマ内でも大人気にキャラクターがいます。その人物とは、和田義盛です。鎌倉幕府の中でも初代侍所長官などを務め、鎌倉政権の立ち上がり時になくてはならなかった人物です。
1165【神奈川紀行】長谷駅周辺は、新たなスパイスカレーの集まる地『Woof Curry』
今回紹介するお店は、Woof Curryというお店です。スパイスをふんだんに使用したカレーであることは確かですが、ジャンルとしてはどちらかというと欧風カレーのお店です。そのためスパイスカレーって初めてだなあという人にとってもなじみやすい味なのではないかと思います。
1164【神奈川紀行】鎌倉の大仏へ行くときには必ずお世話になる、江ノ電の名物駅『長谷駅』
日本に数ある鉄道の中でも、ここほど有名な鉄道も他にはないのではないでしょうか。家々と鉄道とが共存する光景がなんだかほっこりとさせてくれる鉄道。それは、神奈川県南部を走る江ノ島電鉄、通称江ノ電ではないでしょうか。そして、鎌倉から始まるこの鉄道は、鎌倉観光の際には必ずと言っていいほど利用する鉄道でもあります。
1161【神奈川紀行】ここが鎌倉の武家政治の拠点があった場所『大倉幕府跡(大蔵幕府跡)』
鎌倉幕府の中心出会った場所は、今は何も建物は残っていません。石碑が残るのみなのです。その幕府の政務が行われていた場所というのは、大倉御所と言います。そして、その場所で政務が行われていたため、史跡としては大倉幕府跡として残されているのです。
1155【神奈川紀行】源頼朝の墓のすぐ横にあるもう一つの墓『法華堂跡(北条義時墓)』
北条義時が眠る場所というのはどこにあるのでしょうか。実は、源頼朝と並び、同じく法華堂に葬られていたのだそうです。その北条義時が葬られていた場所は法華堂跡として源頼朝の墓のすぐ東側に残されているのです。
1148【神奈川紀行】かつて世の中を牛耳った天下の将軍。しかし、その墓は今はひっそりと『法華堂跡(源頼朝墓)』
何百年も続く武家を中心とした社会の基盤を作り上げたこの源頼朝ですが、今も鎌倉の地に眠り続けているわけです。では、その源頼朝の墓ってどこにあるの?実は鶴岡八幡宮の近くにあるのです。
1143【神奈川紀行】鎌倉市最古の神社。源氏将軍家から代々大切にされ続けていた『甘縄神明神社』
鎌倉殿をたどる鎌倉散策。今回はそんな鎌倉にある神社です。鎌倉時代を彩った歴史上の人物たちが物心ついたころにはすでにこの地にこの神社はあったわけなのです。その神社の名を甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)といいます。
1138【神奈川紀行】北条得宗家の屋敷があったとされる地に建つ寺 『宝戒寺』
今回紹介している場所は、鶴岡八幡宮のすぐ近く。境内にある三の鳥居の道を東に向かってしばらく行くとこの場所は見えてきます。そこは宝戒寺というお寺なのです。なんだ、お寺かあ・・・。と思うかもしれませんが、ここは鎌倉幕府に非常にゆかりのある寺なのです。鎌倉幕府の時代にはここにお寺はありませんでした。では、何がここにはあったのかというと、ある邸宅があったのです。
1134【神奈川紀行】関東大震災で倒壊したものの、唯一元通りに復元された『一の鳥居』
鶴岡八幡宮へと向かう若宮大路にあって、一番最初に現れる鳥居ということで、その存在感は抜群です。日光東照宮、八坂神社、これらの場所にある石鳥居と合わせて、日本三大石鳥居にも数えられるほどの鳥居なのが、この一の鳥居なのです。
1132【神奈川紀行】実は、鶴岡八幡宮に延びる大通りをさらに偉大に見せるための工夫が施されている『若宮大路』
前回は畠山重保の邸宅跡を紹介しましたが、この邸宅跡は鎌倉の鶴岡八幡宮へと続く大通りが若宮大路です。鎌倉が面する由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へと続く参道であり、鎌倉のメインストリートですよね。参道自体は1.8kmもの長さがあり、その途中に3つの鳥居があります。そして、鳥居を抜けた先にあるのがかの有名な鶴岡八幡宮なのですね。
1127【神奈川紀行】いよいよ鎌倉シリーズスタート!その第一弾は若宮大路 一の鳥居のそばにある『畠山重保邸跡・重保供養塔』
今回紹介するのは『畠山重保邸跡・重保供養塔』と呼ばれる場所。畠山重保?畠山重忠であれば、序盤から終盤にかけて物語の要所を固めた人物の一人でしたよね。しかし、でっちあげから始まった畠山重忠の乱によって一族は滅亡してしまうわけです。その畠山重忠の乱の際に、鎌倉の武士たちの謀略によって殺されてしまった畠山重忠の息子。その人物こそが畠山重保なのです。

来迎寺(西御門)

来迎寺は、鎌倉の西御門と呼ばれる場所にあるお寺です。
西三門とは、源頼朝が開いた鎌倉幕府の大倉御所、その西門があった場所にちなんでつけられている地名です。
かつてこの辺りには、鎌倉幕府の重鎮たちが邸を構えていたのではないかと考えられています。
鶴岡八幡宮からは北東に500mほどと、非常に近い所にあります。
鎌倉には実は来迎寺というお寺が二か所あります。
そのうちの一つがこの西御門にある来迎寺なのですが、もう一か所はJR鎌倉駅から1kmほど南にある来迎寺です。
二か所あるのでどちら?となりそうですが、今回紹介しているのは、鎌倉駅から北にある来迎寺です。

この来迎寺なのですが、一向上人によって開山された時宗のお寺です。
1293年に建立されており、すでに700年以上が経過している由緒あるお寺なのです。
この年には鎌倉大地震が鎌倉の地を襲いました。
そのため多くの民の命が失われたのです。
そんな大地震によって亡くなってしまった人々を供養するために、一向上人が同年に創建したのが来迎寺なのです。
1293年というと鎌倉時代後期。
9代執権北条貞時の時代です。
それではなぜこの来迎寺が鎌倉幕府との関連があるのでしょうか。

来迎寺の本堂内には、御本尊である阿弥陀如来坐像あがあります。
時宗では阿弥陀如来を御本尊にするということであり、極楽浄土に坐している仏さまを表しています。

また、客仏として南北朝時代の作と言われる地蔵菩薩像
本尊脇にある如意輪観音像
そして跋陀婆羅尊者(ばったらそんじゃ)とがあります。
本尊以外の3体の像なのですが、これらが源頼朝を葬った法華堂にあったものなのでした。
明治になって、政府による神仏分離が行われた際に、法華堂が神社となったため、近隣にあったこの来迎寺に移されたとされています。
そのため、源頼朝と関連があるお寺なのですね。
しかし、その法華堂にあったとされる3体の像も、法華堂以前に異なった寺から移されたとされています。
地蔵菩薩像と跋陀婆羅尊者は、廃寺となっている報恩寺から。
如意輪観音像については同じく現在では廃寺となっている光福寺から移されたということが分かっています。
両寺ともこの来迎寺の近くにあったとされています。

この中でも如意輪観音像は、鎌倉特有の仏像装飾技法である土紋の装飾が美しく、鎌倉で最も美しい仏像と言われるほどなのです。
厄除けと安産にご利益があるとして人々から敬われています。
土紋とは、土や漆を混ぜて作った型を像に張り付けることによって、像の衣の文様を立体的に表現する技法です。
鎌倉時代作の像に見られるものであり、現存するものはこの如意輪観音像を含めわずかしかないそうなのです。

跋陀婆羅尊者の像は浴室で悟りを開いた仏さまを表しており、こちらの像は頭部や目、肩、腰、そして足などの病気の治癒にご利益があるとされています。

アクセス

鶴岡八幡宮から北東に500mほどの場所にあります。

来迎寺(西御門)へ行ってみた

それでは来迎寺(西御門)へ行ってみましょう。

この辺りがかつての西御門だった場所です。
今は住宅地が立ち並ぶ場所になっており、見渡す限り観光客はいませんでした。
そんな住宅街の中に、来迎寺の案内が見えます。

こちらの階段の上が来迎寺になります。

来迎寺の由来が書かれています。
建立は鎌倉時代の1293年ということで、700年以上の歴史がある由緒あるお寺です。

階段を上っていきます。
参拝者はいませんでした。
境内を手入れしている方がいるのみでした。

こちらが本堂です。

階段を上ると、この本堂とお墓があるのみのこじんまりとしたお寺です。
この周辺には、源頼朝の墓や北条義時の墓のある法華堂跡などがあります。
あわせてまわりたいところですね。

いかがだったでしょうか。
こちらの来迎寺ですが、前述したように、歴史的な価値のある場所というだけではなく、厄除けや安産祈願でもご利益があるとされているお寺。
それを目的にして訪れるというのもいいかもしれませんね。
しかし、鎌倉には軽く数百年を超えた史跡がたくさんあるので、見ていて飽きることがありませんね。