本当にこの路線にある駅名は、難読駅名がたくさんだなあと改めて思わされます。
前回、この路線の駅の一つを紹介しました。
その駅名とは、
『京終駅』
一度紹介したけれど、あらためて突然読んでみ、といわれてもまだ読めないぐらい難読な駅名ではないでしょうか。(ちなみに、”きょうばて”です。)
そんな奈良県にあるJR万葉まほろば線(桜井線)の駅の数々。
今回紹介する駅も、なかなかに難読漢字の地名の駅なのです。
その駅とは、『帯解駅』なのです。
初見だと、はい!読めない!ではないでしょうか。
たいかい?
たいと?
おびかい?
などなど、いろいろと読み方が出てきそうですが、この駅の名称は
“おびとけ“
です。
読めるかい!
かもしれませんが、この独特な名称。
この駅の近隣にあるあるお寺の名前からきているのです。
そのお寺の名前がまさしく帯解寺(おびとけでら)。
実は、9世紀創建であり、江戸幕府の将軍とも縁のある非常に歴史のあるお寺なのです。
そのお寺が近くにあるということで名称を拝借した由緒ある駅なのです。
駅そのものもそのスタートは明治時代と歴史ある駅
今回はこの帯解駅について紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
奈良の駅に関する記事です。



帯解駅
帯解駅は、奈良県奈良市にあるJR桜井線(愛称:万葉まほろば線)の駅です。
その設立は1898年。明治31年のことであり、かつて奈良鉄道と呼ばれていた時代から存在する歴史ある駅です。
しかも、その駅舎は開業当時から残っているとあって、登録有形文化財ともなっている駅舎なのです。
何よりこの駅できになるのは、その名称。
帯解?
まず初見で”おびとけ”とは読めないでしょう。
この難読な駅名なのですが、一体どこからこの名称がきたのでしょうか。
それはこの駅のすぐそばにある帯解寺からきています。
この帯解寺も858年創建というとてつもなく歴史あるお寺。
元々は、文徳天皇の時代にその皇后が祈願をしたところ、後の聖和天皇が生まれたという、出産・安産祈願で有名なお寺なのです。
その名は西日本だけにとどまらず、江戸時代には2代将軍の徳川秀忠や、その息子である徳川家光共にこの帯解寺に祈願したところ、世継ぎが誕生したという非常にご利益のあるお寺なのです。
その名は現代でも知られており、現在の上皇后や皇后、皇族一族もこの寺にて安産祈願を行っているほどのお寺なのです。
そんなお寺をそばに抱える帯解駅。
この一帯が歴史的な由緒ある地域なのですね。
アクセス
JR桜井線(万葉まほろば線)奈良駅から2駅で到着します。
帯解駅へ行ってみた
それでは、帯解駅へ行ってみましょう。

こちらが帯解駅の駅舎です。
帯解駅の歴史は、今から120年以上前の明治31年。
京終駅ー桜井駅間で奈良鉄道が路線を開業した際に設けられた駅となります。
なお、この駅舎は、1898年の開業当初からの駅舎だということ。
何気ない建物ではありますが、登録有形文化財の建物なのです。
しかし、ここを通る鉄道は、基本は1時間に1~2本。
朝夕の比較的人の多い時間帯は2~3本ともなりますが、一日の乗降客数900人前後の小さな駅です。
そのため、もちろんのことながら無人駅です。
万葉まほろば線の駅のほとんどが無人駅なのですがね。。。
その内部はシンプルそのもの。
京終駅は、駅舎内にカフェが設けられるなど、古さの中に新しさを見出すような取り扱いが行われていましたが、帯解駅はその歴史そのものに価値を見出せるような扱いかなと感じます。

そんな歴史ある駅舎ですので、駅舎内には、その歴史についての展示(掲示?)があります。
こちらの掲示物には、昭和時代の帯解駅の写真があります。
窓は今とは異なるものですが、駅舎はそのままであることがわかりますね。
また、現在はホームとホームは跨線橋によって結ばれていますが、昭和時代には線路を渡って対面のホームへと移動していたようです。
基本的には開業当時から利用者数は増加して、最大では一日の乗降客が2000人までは増えたそうです。
しかしその後は、バス路線の充実があったために、乗降客数は激減し、現在の様に900人前後で落ち着いているのだそうです。
いかがだったでしょうか。
今回は、奈良県の万葉まほろば線の駅第二弾ということで帯解駅を紹介しました。
全14駅の中に、数多くの難読駅名を抱える万葉まほろば線。
しかも、その一つ一つが、歴史ある駅だというと、この路線巡りが一つの旅の目的になりそうですね。
なかなか利用客数が少ないため、鉄道そのものの本数が少ないので、鉄道を利用しながら駅散策というのはかなり時間が必要かもしれませんが、奈良県の人々の生活を指させてきたこの古き良き路線巡りというのは、奈良県のもう一つの歴史を感じさせてくれそうですね。