1164【神奈川紀行】鎌倉の大仏へ行くときには必ずお世話になる、江ノ電の名物駅『長谷駅』

関東地方(Kanto)
この記事は約4分で読めます。

日本に数ある鉄道の中でも、ここほど有名な鉄道も他にはないのではないでしょうか。
家々と鉄道とが共存する光景がなんだかほっこりとさせてくれる鉄道。
それは、神奈川県南部を走る江ノ島電鉄、通称江ノ電ではないでしょうか。
そして、鎌倉から始まるこの鉄道は、鎌倉観光の際には必ずと言っていいほど利用する鉄道でもあります。

駅は、始発駅である鎌倉をはじめ、鎌倉の大仏へ訪れる際に利用する長谷駅
さらには由比ヶ浜や極楽寺。
そして藤沢駅へと向かうまでの10kmの中に15駅が存在しています。
この江ノ電を目的として訪れる人も数多くいるほどの人気の鉄道なのですね。
その中でも今回紹介する長谷駅は、鎌倉観光のメインでもある鎌倉の大仏へのアクセス駅ということで、一日の利用客数が10000人近くという駅なのです。

江ノ電の駅は基本的には小さな駅舎が多くなっています。
その沿線駅では半分ほどが無人駅でもあります。
長谷駅はそのような中でも駅舎自体はそこまで大きくはないものの、常に多くの人で溢れかえっている駅なのです。

そして、他にも必見なのがこの駅の持つ歴史。
実はすでに100年を超える歴史をもつ駅でもあるのです。
今回はこの江ノ電の長谷駅について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 鎌倉の大仏の最寄り駅。いつも人で溢れる長谷駅について今回は見ていってみよう。

鎌倉に関する記事です。

1165【神奈川紀行】長谷駅周辺は、新たなスパイスカレーの集まる地『Woof Curry』
今回紹介するお店は、Woof Curryというお店です。スパイスをふんだんに使用したカレーであることは確かですが、ジャンルとしてはどちらかというと欧風カレーのお店です。そのためスパイスカレーって初めてだなあという人にとってもなじみやすい味なのではないかと思います。
1161【神奈川紀行】ここが鎌倉の武家政治の拠点があった場所『大倉幕府跡(大蔵幕府跡)』
鎌倉幕府の中心出会った場所は、今は何も建物は残っていません。石碑が残るのみなのです。その幕府の政務が行われていた場所というのは、大倉御所と言います。そして、その場所で政務が行われていたため、史跡としては大倉幕府跡として残されているのです。
1155【神奈川紀行】源頼朝の墓のすぐ横にあるもう一つの墓『法華堂跡(北条義時墓)』
北条義時が眠る場所というのはどこにあるのでしょうか。実は、源頼朝と並び、同じく法華堂に葬られていたのだそうです。その北条義時が葬られていた場所は法華堂跡として源頼朝の墓のすぐ東側に残されているのです。
1148【神奈川紀行】かつて世の中を牛耳った天下の将軍。しかし、その墓は今はひっそりと『法華堂跡(源頼朝墓)』
何百年も続く武家を中心とした社会の基盤を作り上げたこの源頼朝ですが、今も鎌倉の地に眠り続けているわけです。では、その源頼朝の墓ってどこにあるの?実は鶴岡八幡宮の近くにあるのです。
1143【神奈川紀行】鎌倉市最古の神社。源氏将軍家から代々大切にされ続けていた『甘縄神明神社』
鎌倉殿をたどる鎌倉散策。今回はそんな鎌倉にある神社です。鎌倉時代を彩った歴史上の人物たちが物心ついたころにはすでにこの地にこの神社はあったわけなのです。その神社の名を甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)といいます。
1140【神奈川紀行】鎌倉幕府の大倉御所西御門があった場所にある 『来迎寺(西御門)』
かつて西御門には数多くのお寺が建てられていましたが、この来迎寺はその中でも唯一残っているお寺です。その創建は1293年とされており、次週の開祖としても有名な一遍上人によって建立されたといわれていますが、その沿革には不明な点が多くあります。
1138【神奈川紀行】北条得宗家の屋敷があったとされる地に建つ寺 『宝戒寺』
今回紹介している場所は、鶴岡八幡宮のすぐ近く。境内にある三の鳥居の道を東に向かってしばらく行くとこの場所は見えてきます。そこは宝戒寺というお寺なのです。なんだ、お寺かあ・・・。と思うかもしれませんが、ここは鎌倉幕府に非常にゆかりのある寺なのです。鎌倉幕府の時代にはここにお寺はありませんでした。では、何がここにはあったのかというと、ある邸宅があったのです。
1134【神奈川紀行】関東大震災で倒壊したものの、唯一元通りに復元された『一の鳥居』
鶴岡八幡宮へと向かう若宮大路にあって、一番最初に現れる鳥居ということで、その存在感は抜群です。日光東照宮、八坂神社、これらの場所にある石鳥居と合わせて、日本三大石鳥居にも数えられるほどの鳥居なのが、この一の鳥居なのです。
1132【神奈川紀行】実は、鶴岡八幡宮に延びる大通りをさらに偉大に見せるための工夫が施されている『若宮大路』
前回は畠山重保の邸宅跡を紹介しましたが、この邸宅跡は鎌倉の鶴岡八幡宮へと続く大通りが若宮大路です。鎌倉が面する由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へと続く参道であり、鎌倉のメインストリートですよね。参道自体は1.8kmもの長さがあり、その途中に3つの鳥居があります。そして、鳥居を抜けた先にあるのがかの有名な鶴岡八幡宮なのですね。
1127【神奈川紀行】いよいよ鎌倉シリーズスタート!その第一弾は若宮大路 一の鳥居のそばにある『畠山重保邸跡・重保供養塔』
今回紹介するのは『畠山重保邸跡・重保供養塔』と呼ばれる場所。畠山重保?畠山重忠であれば、序盤から終盤にかけて物語の要所を固めた人物の一人でしたよね。しかし、でっちあげから始まった畠山重忠の乱によって一族は滅亡してしまうわけです。その畠山重忠の乱の際に、鎌倉の武士たちの謀略によって殺されてしまった畠山重忠の息子。その人物こそが畠山重保なのです。

長谷駅

長谷駅は、神奈川県の鎌倉市にある駅です。
江ノ島電鉄(通称江ノ電)の駅の一つですが、有名な観光地である鎌倉の大仏や長谷寺といった場所への最寄り駅として、多くの人に利用されています。
その利用乗降数は多く、一日1万人近くの人々が利用しています。
その数は、江ノ島電鉄の駅の中でも4番目の多さなのだそうです。

長谷駅駅舎ですが、江ノ島電鉄の駅はどれもこじんまりとしているイメージがありますが、この長谷駅も乗降客数の割にはこじんまりとしている駅舎となっています。
構内が狭くなっていることももちろん、対面するホーム同士も駅構内の踏切で結ばれ、地上を歩いて対面のホームへと向かう形となっており、駅構内高架も設けられていません。

そんな長谷駅ですが、その歴史はすでに110年を超えるほどの歴史がある駅なのです。
1902年の明治35年に開業した江ノ島電鉄ですが、最初は藤沢から片瀬間が開業していました。
そこから延伸が行われ、1907年の明治40年に極楽寺駅から大町駅間が開業した際に、長谷駅もその途中駅の一つとして開業しています。
驚くほどの歴史をもった駅の一つなのですね。

この長谷駅からは有名な観光地の多くにアクセスすることができます。
その中でも最も有名なのが高徳院の鎌倉大仏ではないでしょうか。
鎌倉=大仏、
と言っても過言ではないほどの鎌倉観光のシンボル。
実はその大仏は鎌倉駅ではなく、長谷駅からアクセスしなければいけなかったのですね。
さらには長谷観音を有する長谷寺もここから訪れることができます。
さらには御霊神社や、当ブログでも紹介した甘縄神明神社も長谷駅からすぐにあります。
力餅屋や三留商店といったお土産を求める場合にもこの長谷駅が抜群のアクセスを誇ります。
南東に歩いていくと由比ヶ浜へも訪れることができる場所と、とにかくどこへ江観光に行くとしても抜群の立地にあるのがこの長谷駅なのです。
一日の乗降客数がこれほどまでに多いことも納得の駅なのです。

アクセス

江ノ島電鉄鎌倉駅から3駅で長谷駅に到着します。

長谷駅へ行ってみた

それでは、長谷駅へ行ってみましょう。

長谷駅の名前の由来は何と言ってもここ。
長谷駅から徒歩5分ほどで到着する長谷寺です。
ここもいつも人で溢れていますね。

では、長谷駅へと行ってみましょう。
駅方面へと歩いていくと踏切が。
そのすぐそばにあるのが長谷駅の駅舎であり、近年リニューアルされたばかりだとのこと。

江ノ島電鉄が通りすぎるのを撮影している人は、よく見かけますね。

こちらが駅構内です。
こじんまりとしていますが、一日1万人近くが利用する駅。
列車が到着するたびにホームを埋め尽くすほどの人々が降りてきます。

いかがだったでしょうか。
鎌倉観光のもう一つの中心地である長谷。
大仏から長谷寺、足を延ばせば由比ヶ浜にまで行くことができる長谷駅。
鎌倉では外すことができない場所ですよね。
その際に利用する江ノ島電鉄と長谷駅。
目的地へと到着することを急ぐあまり、ゆっくりと駅を堪能、というのはそこまでやることもないかもしれませんが、江ノ島電鉄の駅一つ一つにも味わい深いものがあります。
次の鎌倉は、この江ノ島電鉄を中心にめぐってみてはいかがでしょうか。