1176【大阪紀行】日本最初の本格的な平炉をもつ製鋼所。明治期の史跡が残る『日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡』

近畿地方(Kinki)
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明治に入り、急速に近代化が進められることになる日本。
そんな日本をけん引した出来事が、当時勃発した日清・日露の両戦争でした。
戦争がはじまると様々な物資が必要になります。
そのような中でも非常に重要なものの一つに鉄があります。

日本の重工業発展政策のために、製鉄というものは欠かせないものです。
製鉄というと真っ先に思い浮かぶのが八幡製鉄所ではないでしょうか。
しかし、そんな有名な八幡製鉄所よりも早く稼働をしていたの場所が大阪にはあるのです。
それが日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)といい、その跡が大阪市の此花区に残されているのです。

様々な紆余曲折はあったものの、明治末期までこの場所で製鉄が行われた日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)。
その後は、同此花区内の別工場閉店することとなるのですが、そんな日本でも有数の場所には、現在は碑のみが残されているのです。

日本の近代化を支えた史跡の一つである日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡。
現在は、ひっそりと小学校の敷地内に碑が残るのみなのですが、全盛期にはどのような施設がこの場所にはあったのでしょうか。

今回はこの、大阪市にある日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 日本の製鉄技術発展の歴史がわかる大阪市此花区の日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡へと行ってみよう。

伊能忠敬宿泊地(庄屋五郎兵衛宅)

日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡とは、大阪市此花区に残る史跡です。
ここは、日本でも初めての本格的な平炉をもつ製鋼所の跡です。
日本では江戸時代には、江戸幕府をはじめ、いくつかの藩は反射炉と呼ばれる装置を用いて製鉄を行っていました。
時代は明治に入ると、国の近代化のためにそれまで以上い鉄の需要が高まっていきます。
そのため兵器用などに必要な鉄を、輸入していた炉によって製鉄が行わるようになります、
そういった最新型の製鉄炉は、横須賀や大阪にあった砲兵弾丸製造所などにも築造されました。

そういった中で日本は日清戦争へと突入します。
この戦争の後、日本は重工業発展政策がとられるようになります。
そういった日本の製鉄の歴史でまず最初に語られるのは、1901年に創建された八幡製鉄所ではないかと思います。
しかし、この大阪にある日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)は八幡製鉄所よりも早い1899年に、創建されています。

日本発の製鉄所であるこの場所は、3.5トンという平炉とガス発生炉をもった本格的なもので、1900年に本格的に稼働を始めます。
さらには工場の拡張も行いますが、まだまだ技術的に未熟であったことから不良品が排出され、そのことも影響して需要が少なかったということもあり、製造する製品も一定しなかったこともあり、一気に経営困難に陥ってしまいます。

結果として、住友家がこの土地と日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)、その他一切を譲り受けることとなり住友鋳鋼所(ちゅうこうしょ)となります。
ところがこれも長続きはせず、1907年には同区島屋にある工場へと移転することになりますが、それまでの数年間はこの場所で営業が続けられました。

後にこの場所には伝法小学校が設けられるようになります。
伝法小学校内には、日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡の碑が残されており、かつてここで営業していた日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)の名を現代にまで残しているのです。

アクセス

阪神なんば線、伝法駅から徒歩1分もかからず到着します。

日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡に行ってみた

それでは、日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡を見に行ってみましょう。

阪神なんば線の伝法駅を降りるとすぐに、伝法小学校が近くにあります。
小学校の敷地内なので、許可なく関係がない人は敷地内に入ることはできません。
必ず、関係者に確認をとってからということが大前提となります。

敷地内に入るとすぐに上の写真のような日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡の碑が立っています。
海が近いこの場所では、原材料の移動や、できあがった製品の運搬にも都合の良い場所だったことでしょう。

日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡の歴史に関する説明文もあります。
現在は何か建物が残っているわけではなく、ただ単に碑が残っているだけです。
しかし、明治期に日本の発展に向けて初めて設けられた国産の製鉄所跡。
なかなか広く知られている場所であるというわけではありませんが、八幡製鉄所よりも前にこういった製鉄所が大阪にあったということは驚きですよね。

いかがだったでしょうか。
大阪という街は古くから多くの人々が集まり、長い歴史が紡がれてきた場所です。
そのため、今回の日本鋳鋼所のような日本で初めてというようなものも探してみると残されていることがわかります。
その多くは今はもうなくなっていることが多いのですが、今回の場所の様にその歴史を今に伝えるものは残されているのです。
そういったものを探しながら旅に出てみるというのも面白いかもしれませんよ。