1199【タイ紀行】アユタヤに残るかつてのポルトガル人たちの居住地跡『ポルトガル人村』

タイ(Thai)
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タイのアユタヤといえば、現在のタイの王朝が誕生するまでタイの中心だった前王朝都市。
そして、世界遺産にもなっている街ですね。
連日のようにバンコクからもツアーが敢行されており、タイに行ったら外すことができな観光先ではないでしょうか。

そんなアユタヤですが、バンコクからの日帰りツアーが一般的であり、それらのツアーでは主に6大遺跡と呼ばれる場所をまわります。
その6つの遺跡とは、
70mを越える仏塔のあるワット・ヤイチャイモンコン
おそらく一番有名ではないか、木の根の間から顔を出す仏像が有名なワット・マハタート
そのすぐ隣にあるワット・ラーチャブラナ
巨大な涅槃像が有名なワット・ロカヤスタ
3つの仏塔が並ぶワット・シーサンペット
クメール様式の仏塔が特徴的なワット・チャイ・ワッタナーラーム
ですね。
おそらくほとんどのツアーがこれらをまわってバンコクへと戻っていくことでしょう。
そして、ツアーによってはここにとある場所がプラスされることがあるのです。
それこそが、日本人村なのです。

なぜアユタヤに日本人村?となるかもしれませんが、実は歴史的にアユタヤと日本人には深いつながりがあったのです。
そのため、かつてのアユタヤには日本人が居住する地域がありました。
それと同時期、同じようにアユタヤにはヨーロッパからやってきた人々が、それぞれの国々でまとまって居住していた地域が点在していたのです。

今回紹介するのは、そのような地域の一つであった場所であり、かつてポルトガル人が住んでいたポルトガル人村です。
ツアーでここが入ることはないアユタヤの中でもレアな史跡であるポルトガル人村について今回は紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • たっぷりの写真が特徴の情報誌、旅の手帖を片手に、新しい発見の旅に出てみよう。

ポルトガル人村

ポルトガル人村とは、アユタヤ中心のアユタヤ島の南にある史跡です。
日本人村のちょうど対岸にあり、建物の基礎の跡と、墓地の発掘現場が公開さえ提案す。

かつてタイの中心地だったアユタヤは、チャオプラヤ川を通して海まで通っている街であったことから、様々な国々との貿易で栄えた王朝でした。
そのため、世界をまたにかける様々な国がこのアユタヤにやってきていました。
その中でもポルトガルは、アユタヤ王朝に最初にやって来て国家間の関係を築いた最初の国でした。

1511年、アユタヤは度重なるビルマとの戦争中に、当時の王朝はポルトガル人を民兵として雇用します。
そしてアユタヤにやってきた多くのポルトガル人のために、1540年頃にこのポルトガル人村のあるアユタヤ中心部から南、チャオプラヤ川西岸の地に彼らのための土地を用意します。
そして、宗教的にも独立が認められるという特権まで得ることができていました。
ポルトガル人には少なくとも民兵だけでなく商人や造船の職人など3000人という人が住み、アユタヤの中では最大の西洋人居住区となっていました。
そしてコミュニティにはきりすときょうの3つの宗派それぞれのカトリック教会が設けられていました。

アクセス

アユタヤ日本人村の対岸にあります。徒歩でも15~20分ほどで到着します。

ポルトガル人村に行ってみた。

それでは、ポルトガル人村に行ってみましょう。

その前にまずは位置関係を把握しておきましょう。

上の古地図がかつてのアユタヤの状況を表している地図です。
いくつかの大小さまざまな島があった場所だったのですね。
そして、中央上部にある前方後円墳のような形の島が、タイの王室などがあった中心部です。
現在でも主要な遺跡はこの島にありますよね。

そして、周辺の島に様々な国々からやってきた人々の居住地があったことがわかるようになっています。
赤い丸がついが場所が、かつての日本人村です。
そのすぐ西側にあるのが今回紹介しているポルトガル人の居住地です。
かなりの広範囲に住居があったようですが、現在残っているのはそのほんの一部分だけです。

地図をよく見てみると、それ以外にも中国人居住区、マレー人居住区などがあることがわかりますね。

今回は対岸の日本人村から歩いてポルトガル人村に行ってみることにしました。

日本人村から見たポルトガル人村はこのような感じです。
直線距離では近いのですが、なにぶん間にチャオプラヤ川があるので、すぐそばにある橋を経由して対岸に向かいます。

大通りに沿って歩いていきます。
途中にはこのような仏像や祠なども置かれていました。

橋は階段が設けられているので、徒歩でもわたることができます。

チャオプラヤ川です。
右側が日本人村で、左側がポルトガル人村です。
こう見るとかなり近いですね。

南国の風景を眺めながら歩いていくと、15~20分ほどでポルトガル人村につきます。

こちらがポルトガル人村です。
施設としては何となく整備されていますが、特に入場料なども不要です。
スタッフなども誰もいませんので、自由に入って見学しましょう。

施設は、手前側にかつての建物の基礎部分の遺跡が残っており、奥には建屋が建てられています。
手前には協会らしき建物があったようであり、奥の建屋のところは墓地だったようで、この場所から200体ほどの人骨が発掘され、今もその様子の一部が展示されています。

遺跡部分は事由に入ることができます。
レンガで組まれた建物の基礎であり、かつてここに協会があったのでしょう。

それでは奥の建屋の方に向かって行きましょう。

こちらは、墓地の発掘現場の上にこの建物がすっぽりとかぶせられたような造りになっています。

中に入ると、ここで人々がどのように埋葬されていたのか、発掘当時の状況がそのまま残されています。

また、ここで発掘された2体の人骨も展示されていました。
唐突に目の前に現れるのでびっくりするかもしれません。

なおその奥には、このポルトガル人村にまつわる説明のパネルがたくさん設置されています。

建物の裏側に出てきました。

少し歩くとチャオプラヤ川につきます。
ここからは対岸の日本人村を見ることができます。
上の写真には、日本人村があることの案内が書かれていますね。

いかがだったでしょうか。
大人気観光地であるアユタヤであるにもかかわらず、なかなかツアーではいかない所は知らないところも多いのではないでしょうか。
今回、アユタヤであえて宿泊することによって、アユタヤのローカルの人々が勧めるいろいろな場所をまわることができました。
まだまだ広く知れ渡っていないアユタヤの一面を、これからも紹介していきたいと思います。