全世界いたるところで活躍する日本人。
世界のどこに行ってもそういった日本人が密集して暮らしている地域があったりします。
そういったところは、『日本人村』などと言ったりすることがあるのですが、実際に日本人村と呼ばれる場所がアユタヤにあるのです。
その場所は正式に日本人村(Japanese Village)というのですが、現在日本人が多数住んでいる場所というわけではないのです。
実はこの日本人村というのは、かつて日本人が多数住んでいた日本人町があった跡地にある博物館なのです。
そのアユタヤにある日本人村なのですが、今現在のアユタヤというとどちらかというと世界遺産を有する観光地というイメージで、日本人がそれほど住んでるの?という感じの街です。
しかし、アユタヤという街は、かつてはタイの中心地だったのでした。
チャオプラヤ川ではるか南の海とつながり、様々な国々が訪れる国際的な街だったのです。
そのため、日本人が密集する日本人街をはじめ、ヨーロッパの国々の人々が国ごとに住む地域が点在するなど、今のアユタヤからは考えられないほど東南アジアの中心地という位置づけの街なのでした。
そんなアユタヤでしたが、アユタヤ王朝の滅亡と共に、タイの中心地はバンコクへと移りました。
そして、アユタヤにあった日本人街も衰退していきます。
そんなかつての日本人街があった場所に、かつての歴史を今に伝えるための施設として設けられたのが日本人村なのです。
観光ツアーでもルートに入れられていることもある日本人村なのですが、はたしてかつて日本人はこのアユタヤの地でどのような生活をしていたのでしょうか。
今回はこのアユタヤにある日本人村を紹介していきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
アユタヤに関する記事です。





日本人村
日本人村は、アユタヤにあるかつてアユタヤ日本人町があった場所に建つ史跡兼博物館です。
なぜアユタヤに日本人町が??と、現在のアユタヤを見ていると思うかもしれません。
しかし、タイでバンコクが中心となるまで、14世紀中ごろから18世紀中ごろまでの約400年間、アユタヤはタイの中心地だったのです。
バンコクに比べると内陸部にあるアユタヤですが、チャオプラヤ川で海までつながっており、その航路を利用して、世界各国から人々が集まる国際都市だったのでした。
そんなアユタヤ王朝の全盛期だった時代。
アジアだけではなく、ヨーロッパからも貿易や不況目的で多くの人々がこのアユタヤを訪れていました。
その中には数多くの日本人もいたのです。
そんなアユタヤを訪れる人々の中には、王朝に使えるようになった人々も多くいたのだそうです。
そんなアユタヤを訪れる諸外国からの人々には、それぞれの国ごとの居住地が王から与えられていたのでした。
そんな中で確立していったのが日本人町であり、アユタヤには最盛期で3000人ほどの日本人が暮らしていたと考えられています。
そんなアユタヤの日本人町の中には、人びとを束ねる首領の人物がいました。
その中でも最も有名なのが山田長政ではないでしょうか。
この山田長政なのですが、日本人でありながら、アユタヤ王朝の国王から重用され、爵位を得るまでになります。
そんな発展を見せていた日本人町でしたが、1630年に謀反の動きがあるとの疑いをかけられ、山田長政は暗殺され、住民も虐殺されてしまいます。
そのため、アユタヤ王朝での日本人の影響力はなくなってしまいます。
現在、その日本人町のあったと考えられている場所にアユタヤ日本人村という施設が建造されています。
かつての面影を残すものは何も残されていませんが、日本人町がこの地にあったという碑が残っており、ここを観光ツアーに組み入れているツアー会社も存在します。
なお、このアユタヤにある日本人村の周囲には、同じく諸外国から訪れた人々が街をつくったポルトガル村やオランダ村といった史跡が残されています。
アクセス
アユタヤの中心地であるアユタヤ島から南に2km、チャオプラヤ川沿いにあります。
日本人村へ行ってみた
それでは、日本人村へ行ってみましょう。

こちらがアユタヤにある日本人村です。
町がここにあった碑や、山田長政神社。
そして、資料館が設置されており、アユタヤと日本人とのつながりを学ぶことができます。

こちらが日本人町の碑ですね。

施設内のマップです。
こじんまりとはしていますが、見ごたえはあります。

アユタヤ日本人町のと、首領であった山田長政についての歴史が書かれています。

鳥居が並んでいますね。
この先には、

山田長政神社と書かれた、小さな神社があります。

こちらは山田長政関連の展示がされています。

ここにはいると、まず最初に映像資料を見せてもらえます。
その後、展示してあるものを見て回るようにしましょう。



特に気になったのは、アユタヤ王朝時代の地図ですね。
赤い丸のついているところがかつての日本人町であり、その周りには他の民族の町も存在していることがわかります。



施設内にはレストランもありました。
けっこうこぎれいな感じでしたよ。

チャオプラヤ川に面している日本人村。
対岸には、ポルトガル人村が見えます。

こちらは山田長政の像ですね。

日本庭園もあるのですが、あまり手入れされている感じがしなかったような。。。

こちらはたくさんの風鈴が飾られていました。

博物館が見えてきました。

博物館横には、かつてアユタヤに訪れていた船を模ったモニュメントがあります。

館内に入ると、アユタヤ王朝時代の資料が盛りだくさん。
こちらは銅板でつくられたかつての地図です。

これはヨーロッパからの航路ですね。
世界の東西を結ぶ要衝にこのアユタヤがあったことがよくわかります。

かつての生活で用いられていたものかな。」

発掘された陶器の入れ物です。

館内のバックには、かつてのアユタヤの町の様子が映し出されています。

いかがだったでしょうか。
アユタヤと日本人とにこのようなつながりがあったということは意外でもありますよね。
今のように比較的気軽に海外を訪れることができる時代とは異なり、他国に行くということに一生をかけねばならなければならないほどの時代。
そんな時代にこのアユタヤに移り住んできた人々が、この地で事を成そうとする意欲と、同法の民族で団結をして日本から遠く他国の地で生きていこうとする、かつての日本人たちの足跡がこの資料館からは伝わってきますね。
アユタヤの知られざる名物スポットでもある日本人村。
なかなかすべてのツアーで組み込まれているわけではありませんが、ぜひとも訪れてもらいたい場所の一つではありました。