124【カンボジア紀行】プノンペン『キリング・フィールド』この地、この出来事を人類は忘れてはいけない

カンボジア(Cambodia)
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今回は、カンボジアの首都プノンペンにある『チュンエク キリング・フィールド』です。

ここと以前紹介した『トゥール・スレン虐殺犯罪博物館』は、自分がこれまで訪れた中でも最もショッキングな場所であり、歴史を学ぶということの大切さを改めて感じさせられた場所です。

たかだか数十年前にカンボジアを襲った悲劇。
どこかの国と戦ったのではなく、自国の中で国民と国民が殺し合う、この世の地獄のような光景が、繰り広げられたのです。
1975年~1979年のほんの数年で、国民の1/3にあたる300万人もの一般の人々が虐殺されてしまったのです。

なんとなく本で読んだり、聞いたりして知っていたキリング・フィールド。
しかし、実際に訪れてみると、そんな浅はかな理解では追いつくことのできないほどの、深い悲しみや苦しみを感じ取り、考えさせられる場所です。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • カンボジアの負の一面。目をそらしたくなりますが、しっかりと歴史を見つめることも大切なことです。

プノンペンの『トゥール・スレン虐殺犯罪博物館』
キリングフィールドと合わせていっていただきたい場所です。

007 【カンボジア紀行】トゥールスレン。虐殺の歴史から何を感じ、何に生かすのか
カンボジアはプノンペンにあるトゥール・スレン。なかなかプノンペンに行くこともないかもしれないが、行くことがあればここにいって、カンボジアが辿ってきた歴史の重みを体感してほしい。

カンボジアを襲った負の歴史

カンボジアは帝国主義が台頭した時代から、欧州の国々や、周辺の国々から奥の影響を受けており、常に国の歩みが左右され続けてきました。

最も大きな出来事が隣国で起きたベトナム戦争
その際に、親アメリカだった政府に対し、国民からは強い反発が起きていました。
それに乗じて政権を取り、カンボジアを掌握したのが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュでした。

最初は国民に歓迎されたクメール・ルージュ。
しかし、彼らが推し進めたのは、原始共産主義という極端な物でした。

原始とは、単純に原始時代のように知識や貨幣に左右されない生活に戻ろうという極端なものです。

資本主義の元凶である貨幣や財は否定され、原始共産主義を否定する知識層はどんどん粛清されていったのです。
医者だから、学校の教師だから、いい大学を出ているから、挙句の果てには眼鏡をかけているからといった理由だけでも処刑されていったのです。

そして、首都プノンペンに住んでいた都会の市民は全て農村部へ追いやられ、農業に従事させられたのです。
慣れない過酷な農作業や、極端な食糧不足、そのため飢餓や衰弱死が相次いだのです。

また、クメール・ルージュの末端の構成員は十代を中心とした若者でした。
まだ十分に知識も心も育ち切っていない若者を洗脳し、自分たちと同じ自国民を自国民が虐殺する構成が出来上がっていいたのです。

そのため、現在でもカンボジアは極端な人口構成になっています。
ある一定から上の人口が極端に少なくなっています。

また、知識層が一掃されてしまったこともあり、カンボジアという国が再び輝くための原動力が足りない状態なのです。

そして、クメール・ルージュとして構成員だった人々は今もなお残っています。
この人たちは、十分に教育も受けられず、自分たちのしたことのあまりの大きさ。
そういった罪の意識からか、多くを語ることもできず、その罪を背負い続けているのです。
カンボジアという国に対してとてつもなく大きな十字架が科せられてしまったのですね。

キリング・フィールドとは

キリング・フィールドは、ポル・ポト政権下の時代に、自国民による大量虐殺が行われた刑場跡のことです。
カンボジア全土でも100か所以上も見つかっているのだそうです。
そういったキリング・フィールドと呼ばれる場所が今もなお多数カンボジア内には残されており、その中でも最も有名な場所が、首都プノンペンにある『チュンエク キリング・フィールド』です。

チュンエク キリング・フィールドは、政治犯収容所S21(トゥール・スレン)の南10kmほどのところに位置しており、S21から人々がこちらに送り込まれ、処刑されていったのだということです。

こちらがチュンエクのキリング・フィールドの案内図です。
現在はこのように訪れた人が見て回ることができる追悼施設として整備されています。

中央に緑色の楕円がいくつもありますよね。
この一つ一つの中に、多数の人々が埋められていたのです。

アクセス

プノンペンの中心部から約10数km。
タクシーやトゥクトゥクで行くことができます。
2000円位はかかります。

それでは、実際にキリング・フィールドを訪れてみたいと思います。
なお、今回はかなりセンシティブな内容を含んでいます。
そちらをご理解の上読み進めていただきたいと思います。

キリングフィールド

こちらがキリング・フィールドのゲートです。

もちろんここでこんなゲームはやめましょう。
追悼施設なのですから。

各国の言語のポータブルガイド機を受付で借りることができます。
案内に書かれた順に進んでいくと、その場その場でガイドを聞くことができます。
1時間ほどでまわれるのですが、ガイドを聞きながら、しっかりと見て回ると2時間は必要かなと思いました。

入り口から入ると、目の前にメモリアルストゥーパ(慰霊塔)が見えてきます。
キリング・フィールドのシンボルになっていますね。
こちらは最後に入ることにします。

バスの到着場

バスに詰め込まれ、最初にこの場に連れてこられたそうです。

拘留小屋

連れてこられた人々は、拘束具を付けられ、図のような小さな小屋に詰め込まれます。
人々はここで何が行われているか知りません。
人々を待っているのは処刑なのです。

死刑執行人の詰所

死刑を執行したのは若者たちでした。
ここに若者たちが集められ、死刑執行人として働いていたそうです。
そして、ここで行われていた情報が漏れないようにするためにも、死刑執行人もいつか死刑される側になっていったのです。
S21でも同様のことが行われていたのだそうです。

薬品庫

死刑に使われた薬品庫です。
しかし、道具や、薬品などで死刑を行っていても、だんだんと道具も薬品も足りなくなってきます。

そうなってくると、挙句にはヤシの葉のギザギザした部分を使って、人の首を切っていたのだということです。
実際にヤシの葉を見てみましたが、確かにギザギザではありますが、鋭利なものではありません。
これで首を・・・と考えるだけで恐ろしくなります。

殺害道具庫

こちらには殺害や拘束に使われた道具が保管されていた道具庫があったそうです。

とにかく財政難だったポル・ポト政権。
銃などはありません。
刃物やナタなどを使い殺害が行われていたそうです。
それらの道具が使えなくなてくると、先ほどのヤシの葉や、竹の棒など、より原始的なものも用いて殺害されていったのでした。

集団墓地1

こちらには450体もの遺体が埋められていたのだそうです。

くぼみ

この先ぐらいから、地面にくぼみが見られるようになってきます。

このくぼみの一つ一つが、処刑されて人が埋められていたところです。

処刑される人々はこれらのくぼみに連れてこられ、跪かされます。
そして、頭部を道具でたたき割られそのままくぼみに遺棄されるのです。

ポル・ポト政権が瓦解した後、この地には遺体から発生したガスによって地面が膨らみ、恐ろしい臭気で充満した場所だったそうです。
発見された当時・・・想像もできませんよね。

集団墓地2

こちらも160体もの遺体が見つかった集団墓地です。

ここで見つかった遺体は、全て頭部がなかったそうです。

あたりを見てみると

その先には、衣類がいれられたケースのようなものがあります。

実はキリング・フィールドではまだまだすべてが発掘されたわけではありません。
まだ、周辺には、多数の人々が埋められた見つかっていない場所が多数あるようなのです。

そして、今でも、雨がふってそのあとには土が流された後には、亡くなった方々の衣類や骨、歯などが地面の中から出てくるのです
そういった出てきたものが先ほどのケースに保管されているのですね。

地面の真ん中のあたりに衣類が見えます。
このように歩いているだけでも地面の中に埋もれている様子が見えるのです。

くぼみの中ですね。
ここからも同じようにまだまだ見つかっていない遺物が出てくるそうです。

キリングツリー

おそらくこのキリングツリーが最もショッキングな場所かもしれません。

チュンエクが発見されたとき、この木をよく見ると、気に髪の毛や肉片、骨や歯、脳みそなどがへばりついていたのだそうです。

なぜかというと、幼い子供や幼児などは道具を使われず、この木に叩きつけられて殺害され、その横の穴に放り込まれていたのだそうです。

これがその横にある穴です。
ここに放り込まれていたのですね。

そして、母親とみられる女性たちの遺体もここにあったそうです。
そのほとんどは全裸の状態で遺棄されていたのだということです。
何が行われたかは想像に難くないですね。


見つかった骨です。
骨端が閉じていないため、幼い子供のものと思われる骨です。

中国人墓地

もともとここは中国人墓地だったそうです。
そのため、実際にここで虐殺が行われていた時も、周りに住んでいた人々は、ここでこのような凄惨なことが行われていたとは想像だにしていなかったそうです。

マジックツリー

マジックツリーと呼ばれるのこの木の幹には、常に大きな音でクメール・ルージュの革命歌が流されていたそうです。
その音によって、この地で行われていた虐殺による断末魔などをかき消していて、周囲に気づかせないようにしていたのだそうです。

ポータブルガイドでは、処刑される人々が最後に聞いたであろう音が流されます。
スピーカーから流される不気味な音楽、そして聞こえてくる発電機の大きな音。
それらを耳にしながら人々は最後の時を迎えるのです。
なぜ、このようなことが平気な気持ちでできるのでしょうか・・・。

地面を見てみると…

ここでも地面からは骨や衣類が見えています。
見て回るときは敬意をもって、そこら中を考えなしに歩き回らないようにしましょう。

この一つ一つの衣類などに人生があったことを考えると、やるせない気持ちになります。

メモリアルストゥーパ(慰霊塔)

園内を一周して、メモリアルストゥーパ(慰霊塔)に戻ってきました。
こちらでは、発掘で見つかった人々の頭蓋骨が残されています。

年代によって分けられています。

殺害に使われた道具の展示も。
このような竹の棒を使っても殺害が行われたのです。

人々は今、何を見つめているのでしょうか。

こちらも骨端が閉じていない骨が多数見られますね。
多くの若者も犠牲になったのです。

拘束具の展示です。

殺害に使われた道具ごとに、シールで色分けされています。

ミュージアム

園内には写真展示のあるミュージアムもあります。

見つかった当時の写真です。
くぼみのそばに、おびただしい数の骨が並べられていますね。

全景を撮った写真です。
この地がこのような地獄絵図だったとは信じられない光景です。

殺害に使われた道具の展示もありました。

当時を知る方々の証言をもとに描かれた絵だそうです。
チュンエクに連れてこられた場面です。

真ん中の絵は殺害される場面です。
くぼみの上に座らされ、執行人によって頭部をたたき割られます。
その後は右の絵のようにくぼみに中に放り込まれるのです。

いかがだったでしょうか。
恐怖が人々を支配する世界。
こんな現実が、ほんの数十年前にあったということが今でも信じられません

カンボジアという国は、クメール国として東南アジアの盟主であった時代もある伝統ある国です。
アンコールワットやプリアヴィヒアなど、歴史的な世界遺産が有名なカンボジアですが、この負の歴史も今のカンボジアを知る上では大切な要素なのです。

シェムリアップを楽しみ、なかなかプノンペンまでとはいかないかとも思われますが、負の歴史もしっかりと向き合い、今を生きるカンボジアの人々のことをしっかり考えられるような国際人としてありたいと思います。