125【岡山紀行】戦国の壮大な奇策 水攻めで攻め落とされた『備中高松城』

百名城/続・百名城(Castle)
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今回は続日本百名城に選ばれた備中高松城を紹介したいと思います。

この城、その名前を出すと大体は

あー、水攻めされた城ね。

となります。
落城した城ではありあますが、その攻められ方が最も印象強く残っている城なのですね。

しかし、よくそんな壮大な作戦を思いつき、なおかつそれを実行したもんだなあと思います。
裏を返せば、それだけ正攻法では攻略が難しかった城でもあるのでしょうね。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • とんでもない作戦を、よくもまあ実行に移したなあと感心させられる城です。

日本百名城&続日本百名城ピックアップ記事にも書いています。

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現存天守備中松山城の記事です。

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備中高松城

備中高松城は、岡山県にある平城で、土塁によって築城された城です。
羽柴秀吉によって水攻めにされ落とされた城として有名です。
香川県にも高松城が存在するため、区別するために備中高松城と呼ばれています。

低湿地帯に築かれたという特徴がある城であり、これがそのまま天然の堀として活用されていたようです。
湿地帯自体が人の動きを制限してしまいますからね。
現在残されている跡を見ると分かるように、石垣を用いて築かれた城ではなく、土塁によって築かれた城でした。

現在は秀吉が築いた堰堤や、城の一部など痕跡はほとんど残っていない城跡です。
公園として整備されており、園内には、宗治自刃の碑、宗治首塚、資料館があります。

アクセス

JR西日本吉備線の備中高松駅で下車してから徒歩10分で到着します。
この吉備線は、桃太郎線という名前にもなっているようです。

備中高松城の戦い

築城年ははっきりとはわかっていない城です。
最も有名な歴史的な出来事が、1582年の備中高松城の戦いです。

織田信長の命により中国攻めを行っていた羽柴秀吉と相対することになります。
前述のように、低湿地帯であった備中高松城は、地上から攻め落とすことが難しく難攻不落の城でした。
そのため、その戦いは長期化するかと思われたのですが、戦いが長期化すると毛利軍の援軍が到着し、さらに戦いの長期化が懸念されるところでした。
しかし、秀吉軍は、低湿地にあった備中高松城を水没させるという案を実現し、短期間で堤防を作るなどし、梅雨の時期と足守川から増水した水により、城を水没させることが成功しました。

その後、本能寺の変が勃発。
有名な秀吉の中国の大返しが行われるなど、歴史の転換期に向かって行きます。

備中高松城はその後、一国一城令で廃城となったとされています。

それでは、備中高松城へ行ってみましょう。

備中高松城に行ってみた

備中高松城跡は公園として整備されています。
到着すると、さっそく本丸の高さと堤防の高さを記したものがた立てられています。

さっそく備中高松城跡を巡ってみたいと思います。

早速、このあたりの地形が分かる展示がありました。
上の写真の水色になっているところが水攻めにあったところです。
思っていたよりも川が遠く、そのためけっこうな広範囲になっています。

低湿地にあった沼城であるため、今でもそれほど足元の状態は良くない状態であるため、足場が組まれています。

基本的に湿地帯が一段低い状態になっています。
これらが天然の堀として城の防衛に役立っていたのでしょう。

高松城址公園資料館

公園内には上の写真の『高松城址公園資料館』があります。
備中高松城の戦いに関する資料の展示や、続100名城スタンプが設置されています。

基本はこのような風景が広がっています。
一見するとここに城が?というような感はします。

二の丸跡

二の丸跡とされている場所ですが、発掘作業は行われていないので、建物の詳細などはわかっていないそうです。

本丸跡

本丸跡とされています。
本来は、他の部分に比べると土地が盛られており高台になっていたようです。

清水宗治の首塚

秀吉が備中高松城を落としたのち、城兵の命と引き替えに切腹した城主、清水宗治の首塚です。

高松城水攻之図

高松城の水攻めについて詳しく書かれています。

秀吉の命によりつくられた堤防は、12日間で3kmもの長さになったようです。
堤防により足守川の水がこの地に流し込まれ、ここに188ヘクタールもの大湖水ができたことにより、城を孤立させることに成功しました。
その後、部下五千の命を守るために自らの首を差し出すことになった清水宗治。
それにより備中高松城の戦いは終わったのでした。

宗治蓮

宗治蓮といわれているのですが、これらの蓮は新たに植えなおしたものではないのだそうです。
地下に埋もれていた蓮が、地上に再び現れ今でも花をつけたということなのです。

水に守られ、水に城と共に散った清水宗治公と、地中に埋もれていた蓮とのかかわりが、歴史的なロマンを感じさせます。

このように沼も復元され、城址公園として整備されているのです。

水攻音頭

資料館のそばには「水攻音頭」という歌詞が。歌詞が5・7の繰り返しになていることが特徴の歌です。

清水宗治公自刃之跡

ここまでの城址公園から道路を隔てて反対側に行くと、写真のようなのぼりが立てられています。

案内に沿って奥まで進んでいくと、

その先には、清水宗治公自刃之跡が残っていました。
元々はここに寺があり、その敷地内にあったのだそうですが、寺が移転したためにこのような形で残されているのだそうです。

いかがだったでしょうか。
歴史的に見ると敗者の城ではありますが、水攻めという特別な作戦でなければ難攻不落であった備中高松城。
今は城址公園に、城が築かれていた面影はなかなか見ることは難しいですが、地形図や、実際の場所を感じながら、歴史を作ってきた人々の思いを感じてみてはいかがでしょうか。