134【ピックアップ】百名城&続百名城、期待して行ったのだが…!?ピックアップ5

百名城/続・百名城(Castle)
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今回も日本百名城・続日本百名城のピックアップ記事です。

百名城巡りというと、実際に行ってみ、その場その場の知らなかった歴史を知ったり、城下町の良さを知ることができたりと、一つ一つが知識や経験を深めてくれます。

そのため、新たなところに向かうたびに、期待がどんどんとふくらむわけですね。

ところが、実際に行ってみると、

うーん、もう少し頑張ってほしいなあ

というところがあったりもするのです。
もちろん選定されるような場所なので、それぞれに素晴らしい歴史があることはわかるのですが、そのよさをもっと多くの方々に知ってもらうためにも頑張ってもらいたいなあ、と思ったため今回は記事にしてみました。

何十年後かにこの記事が『何えらそうなこと言ってんだ若造め!』ぐらいにそれぞれの場所がなってるといいなと思っています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 百名城好きは積極的に訪れて、どの場所も魅力あふれるスポットにしていこう。

第二回目の百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

113【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選②
日本にはまだまだ数多くの城や城跡があります。行ってみて初めてその広大さや特色に気づき、強烈に印象付けられる城もたくさんあります。今回は、そんな自分が訪問した百名城・続百名城の中で、後々まで印象が残っているところを5つピックアップしました。

第一回目の百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

071【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選①
日本には数多くの城や城跡があります。どれも個性的であり、その城が存在していた年代を感じさせる作りのものがほとんどです。今回は、自分が訪問した百名城・続百名城の中で、印象深かったところを5つピックアップし、書いてみました。

赤穂城(日本百名城)

どこにあるの

兵庫県赤穂市上仮屋にあります。

どんな城

赤穂城は1648年に築城された、江戸時代の赤穂藩の政庁です。
元々は海岸沿いにあった海岸海城であったらしいが、現在は埋め立てられており、海沿いではなくなっています。

明治時代に民間へ払い下げられ、小学校や高校の施設が造られたため、一部の石垣と堀のみを残すに至ってしまっていたのです。
現在では徐々に櫓や大手門が再建され、整備が進められています。

453【兵庫紀行】誰もがまずは思い浮かぶであろう赤穂浪士の城『赤穂城』
今回も兵庫の城ですが、日本人であればだれもがよく知っているあの事件にかかわる人々の城です。自分たちの主君を死に追いやった憎き敵をうつために、家臣たちが力を合わせその無念を晴らす、そんな赤穂浪士の話の登場人物たちの居城であったのが赤穂城です。

うーん・・・

赤穂城の本丸には、天守台が残存しています。
しかし、建造から今日まで、天守そのものが建築されなかったそうなのですね。

天守台から見た風景が上の写真です。
きれいには整備されており、一種の庭園のようにはなっているのですが、逆に整備されすぎていてなんだかなあ、という気分にもなりました。

散歩コースとしてはいいとは思うのですが。城址めぐりが好きな人にとっては、もう少しそのものの姿が見たかったなあと思うかもしれません。

多気北畠氏城館(続日本百名城)

どこにあるの

三重県津市美杉町上多気にあります。

どんな城

多気北畠氏城館は、続日本百名城に登録された、室町代の南北朝時代から伊勢の地域を治めた北畠氏の居館跡です。

北畠氏館は1342年に築かれました。
街道沿いの要所であったことからも、その城郭と城下町はかなりの規模を有していたと言われています。
特に近畿の地域であれば、伊勢神宮への街道沿いというのはかなり重要な拠点でありますね。
当時の政治の中心地であった京都や南朝の吉野、これらと伊勢とを結ぶ地点としては、かなりの重要な城郭であったのであろうと考えられます。
長らくその城郭は難攻不落としてそびえていたそうですが、織田信長によって落城させられてしまいました。

411【三重紀行】守護大名として室町時代を生き抜いた北畠氏の城館『多気北畠氏城館』
三重県の伊勢本街道の沿いの山奥、そこにかつて南北朝時代に、吉野朝廷と呼ばれた南朝の忠臣であった北畠氏が、拠点とした館と城があります。そこを北畠氏館及び霧山城と呼びます。南北朝が統一された後、北畠氏は伊勢国司守護大名として室町時代を生き抜き、北畠氏八代の本拠地となります。

うーん・・・

最初の写真のように、現在その跡地は北畠神社となっています。
年代を考えても、なかなかその跡が見られなくなってしまうのかもしれませんが、

神社内には一部の石垣と庭園が残されているのみです。
埋め戻されている石垣もあるそうですね。

ただし、現在の神社部分は元々居館であったところであり、ここから山の上へと向かって行くと、詰城や霧山城に行くこともできるそうです。
訪問の際はそこまではいかなかったため、今後再度訪問することがあればリライトしたいと思います。

大内氏館(続日本百名城)

どこにあるの

山口県山口市亀山町にあります。

どんな城

大内氏館は、周防国・長門国を本拠とした大内氏の館跡であり1360年ごろに建築されたのではないかと言われています。

続百名城に登録されていますが、元々館として建てられた建物です。
そしてセットで登録されている高峰城が詰城として建てられました。
館としては何度か増築を繰り返し、掘りや土塁、庭園なども築かれたかなりの大きな規模の館となっていたようです。
1556年に毛利元就によって侵攻された際に、当主であった大内義長が逃亡下と共に、大内氏館も放棄されました。

現在はその跡地に龍福寺がありますが、こちらの寺は、大内氏館が役目を終えた翌年に、毛利隆元氏によって建立されたということです。

344【山口紀行】遠く京都にあった将軍邸を山口に再現したといわれる『大内氏館』
当時の武将たちがそれぞれの地域を治めるために重要な拠点としていたのが『城』ですよね。しかし、今回紹介している場所は、城ではなく、京都を模した町並みと合うように、『館』として築かれた場所なのです。今回紹介している大内氏館はそのような館が建てられていた跡地になります。

うーん・・・

現在は龍福寺の境内になっていることもあり、元々ここが壮大な館跡だったということはなかなか実感がわきません
もともとは寺の中の土塁が確認できる程度であったそうなのですが、発掘作業が続けられており、大内氏館西門や復元土塁、庭園などが徐々に復元され続けています。

今後も発掘が続けられ、徐々に復元が進められていくことになるとは思うのですが、現在はなかなかその遺構が堪能しづらいかなという印象でした。

津城(続日本百名城)

どこにあるの

三重県津市丸之内にあります。

どんな城

津城は三重県津市にある続日本百名城に登録されている城です。
1500年代中期に建造されたとされている城です。
江戸時代に入り、藤堂高虎によって城郭や城下町が整備され、江戸時代を通してこの地を治めた中心地であったそうです。
天守は1600年代中期に消失してからは現在までも再建はされずに至っています。

明治時代に入り、1871年に廃城となり、その後はお城公園として整備されていきました。
現在は、本丸跡に日本庭園があったり、復元された櫓などが残されています。

386【三重紀行】藤堂高虎による改修によって近代城郭となった現在はお城公園『津城』
大坂や尾張といった地域に挟まれていた現在の三重県は、たびたび歴史的な戦乱などに巻き込まれます。今回紹介している津城もそういった地域にある城跡であり、関ヶ原の戦い前に壊滅的な被害を受けるなど、例外なく戦禍に巻きもまれている城です。

うーん・・・

良くも悪くも完全に『お城公園』になってしまっているのです。
この地を治めた大大名藤堂家の城址としては、寂しいような感じを受けました。
しかし、今日までお城公園として市民に愛され続けていることを考えると、何もなくなってしまうよりかは良かったのかなあという思いもあったりあします。

洲本城(続日本百名城)

どこにあるの

兵庫県洲本市小路谷にあります。

どんな城

洲本城は、兵庫県淡路島の洲本市にある城跡です。
続日本百名城に登録されています。

1526年に安宅氏によって築城されました。
洲本城は淡路島にいくつかあった支城の一つであったらしく、1613年に廃城となっています。

ところがその後1630年代になり、再び洲本城が本拠として使られることになるのですが、時代は江戸時代に入り、戦いに向けた山城は不要となり、山麓に政庁機能が移転されました。
その後、洲本城は明治時代まで使われることになるのです。

429【兵庫紀行】模擬天守としては日本最古。大阪湾の絶景を望む『洲本城』
淡路島には、とある城跡が残されています。淡路島の東海岸、大阪湾に面したこの場所に、洲本城跡があります。洲本城は、山上にある上の城と、麓にある下の城とが分かれて存在しており、上の城には天守がそびえてっています。この天守ですが、これはこれでなかなかの歴史のあるものなのです。

うーん・・・

島の高台にある城ということもあり、島の周りの海の様子が一望できます。
ところが、洲本城跡には元々あった天守を模したものではない模擬天守が立てられています。
こちらは1928年に建てられたものであり、模擬天守としては最古のものなのですが、近くまで行ってみるとかなりコンクリート感満載でした。

またこの日(だけなのか?)は2階に上がる階段もなく、模擬天守からの展望はできませんでした。
しかし、ここの高台からの眺望はかなり見る価値はありです。

いかがだったでしょうか。
全体的に”続”が多いなあという感じがしました。
しかし、スタンプラリーも2018年にスタートしたばかりなので、長い目で見たほうがいいのでしょう。
むしろこれから、これらの城や周辺がどのように整備されていくのかが楽しみであったりもします。