156【岡山紀行】現存天主唯一の山城『備中松山城』は、山上にあったからこそ解体を免れた

百名城/続・百名城(Castle)
この記事は約6分で読めます。

今回は岡山県にある現存天守のうちの一つ、備中松山城を紹介します。

現在日本に残っている現存天守12か所のうち、唯一の山城が備中松山城です。
こちらの備中松山城ですが、明治期に廃城となって解体される方向だったのですが、山上という不便な立地にあったということからその後放置され、解体を免れた経緯があります。

しかし、その偶然な幸運があったからこそ、日本で唯一『天空に浮かぶ現存天守』を見ることができる場所になったのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 天空の山城跡が大人気ですが、こちらは天守の残る『天空の天守』。現存天守の貫禄満載です。

百名城ピックアップ記事第三弾でも取り上げています。

145【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選③
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第三弾です。今回は、現存十二天守をはじめ、真田幸村ゆかり城など、バラエティに富んだラインナップになっています。その中でもやはり現存天守はその内部の様子が歴史を感じさせるものであり、その他の天守と比べると年月をとても実感することができます。

備中松山城近くにある鬼ノ城の記事です。

118【岡山紀行】戦国期の城とは一味違う、大和朝廷に築かれた古代の城『鬼ノ城』
これまでに紹介してきた百名城とは一味違う、大和朝廷によって築かれたとされる古代日本の城跡が岡山県にあります。今回の記事で紹介する『鬼ノ城』は、戦国期や江戸時代に見られるような城のつくりとは異なり、あまり残されていない記録から調査・研究を経て、復元が進められている城跡です。

備中松山城近くにある備中高松城の記事です。

125【岡山紀行】戦国の壮大な奇策 水攻めで攻め落とされた『備中高松城』
岡山県にある備中高松城は、低湿地に築かれた難攻不落の沼城でした。そんな、攻略が難しい城を落とすために考えられた作戦が水攻めでした。壮大な作戦が実際に行われたこの地は、今もなおその出来事が語り継がれている地です。戦国期の武将の思いがぶつかるこの地を訪れてみました。

備中松山城

備中松山城の歴史

備中松山城は岡山県ある小松山山頂標高430mにある現存十二天守の中で唯一の山城の天守です。
現在残る天守は、臥牛山の支峰である小松山山頂にある、1683年に修築されたとされる近世備中松山城(小松山城)であり、江戸時代から残る天守や二重櫓、土塀の一部などが現存しています。
元々は、天守のある場所からさらに奥にある標高470mに、1240年に築かれたとされる大松山山頂にあった大松山城跡が、備中松山城の創始の場所と伝えられています。
これら臥牛山一帯が備中松山城の城郭遺構として残っています。

1240年に建造が開始され、その後城主は江戸時代を通じて多く入れ替えがありました。
しかし、江戸時代には大きな戦がなかったため、普段の藩政を行うには山城ではなにかと不便があったため、主に藩政は山麓の城下町にて行われていたようです。

明治に入り廃城令が公布され解体される方向となりますが、山城であり不便な立地から、建物は解体されずに放置され、かなりの荒廃具合を表すようになっていました。
(その当時の様子は写真展示がありましたが、手入れをしていない天主の行く末が写真に表れていました。)

昭和に入り、天守修復に向けた動きが始まり、1941年には天守をはじめ櫓などが国宝に指定されます。
2006年には日本百名城にも登録され、現在に至ります。

実は山城である備中松山城は、近年非常に有名になってきている竹田城に負けず劣らずの雲海の中に城が浮かぶ天空の城なのです。
しかも竹田城とは違って、天守が現存している事でもあり、天空の名城ともいわれています。
雲海に天守が浮かぶその姿は、マチュピチュとはまた違った趣があります。

現存十二天守

日本全国には、豊臣秀吉時代の最盛期に3000もの天守が存在していたそうです。

しかし、その後、度重なる政策や歴史的な出来事によってそのほとんどが姿を失うこととなります。

最初は、徳川幕府の「一国一城令」です。
これは1つの国に対して1つの城しか認めないというものですね。
これにより90%以上もの天守がなくなったそうです。

その次が明治時代「廃城令」であり、この際に陸軍省として必要かそうでないか判断され、不要となった場合は廃城にされたそうです。

そして最後が「第二次世界大戦」です。
戦前までは20基の天守が残っていたそうですが、原爆で被害を受けた広島城をはじめ、8つの天守(水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城+松前城(失火))が被害を受けたために、残ったのが現在の現存12天守となります。

そんな現在残っている12天守です。

  • 弘前城(青森県)
  • 松本城(長野県)
  • 丸岡城(福井県)
  • 犬山城(愛知県)
  • 彦根城(滋賀県)
  • 姫路城(兵庫県)
  • 松江城(島根県)
  • 備中松山城(岡山県)
  • 丸亀城(香川県)
  • 松山城(愛媛県)
  • 宇和島城(愛媛県)
  • 高知城(高知県)

アクセス

JR備中高梁駅よりバスで10分。松山城登山口下車徒歩約20分です。

備中松山城に行ってみた

それでは備中松山城へ行ってみましょう。

遊歩道入り口ですが、なかなか訪問のハードルは高いところです。
繁忙期だとは思うのですが、城見橋公園とふいご峠間のシャトルバスが運行されているときは、自家用車での訪問ができなくなるため、バスへの乗り換えや、その後の登山など、そこそこ大変なお城です。

今回は小松山城跡(備中松山城現存天守)まで行くことにします。
全ての意向を見たい場合は、さらにその奥まで続いています。

遊歩道になっていますので、しっかりと歩きやすくはなっていますが、山道ですので、杖が必要な方はこちらで。

階段もなかなかにあります。

左にある看板『よくぞ、まいられた』とありますが、ここまでにもいくつか看板があって、そこそこに励ましてくれますw

石垣に入ってきました。
山頂ですがかなりしっかりとした石垣が築かれています。

大手門跡です。

石垣に沿ってとにかく登っていきます。

あともう少しです。
備中松山城と書かれていました。

休みの日だったので甲冑隊の方々が。
一緒に撮影ができるようでした。

というわけで、現存天守のところまでやってきました。

現存天守

さあ、見えました。
写真の右側にあるのが現存天守です。

では入ってみましょう。

入館料を支払います。
パンフレットやスタンプ設置はこちらになります。

入場するとまずは資料館があります。
こちらで備中松山城について予習をしましょう。

山田方谷とは備中松山藩士であり、学者として藩に仕えていた人物でした。
財政破綻寸前であった藩をわずか数年で改革した人物であり、晩年は教育者として人材育成に専念した人物だそうです。
果たして大河化の夢は結実するのでしょうか!?

では、注目の現存天守に行ってみましょう。
かなりコンパクトな天守です。

現存天守に来ると内部の梁を撮影してしまいますが、こちらもやはり年月をしっかりと感じさせる内部構造です。

瓦は場内に展示されていました。

過去に使われていた柱が展示されていました。
修繕の際に交換されたのでしょうか。

前面からは見えませんが、裏はこのような形で、八の櫓につながっています。

現存天守ではおなじみの十二天守の写真展示です。

別角度から撮影。

天守上から撮影してみました。
そこまで高さはありませんね。

八の櫓と天守とをつなぐ廊下部です。

武者窓です。
内側からは外が見えやすいのですが、外側からはなかなか見えないようになっています。

外から見るとこうなっています。

天守内にも各種展示があります。

囲炉裏跡です。
天守内に囲炉裏があるというのはかなり珍しいことだそうです。

やはり階段は急ですね。
手すりも特に新しく備え付けられているわけではないので、見学時は注意が必要です。

御社壇という、神棚の様な部屋になっています。

岩盤変動監視システム

備中松山城の石垣の一部では、岩盤の変形が見られ、崩落の可能性が指摘されている箇所があるそうなのです。
そのため、ペルーのマチュピチュでも採用されているものと同じ岩盤変動を監視するシステムを導入し、常時監視され安全管理をされているようです。

いかがだったでしょうか。
現存天守を訪れるといつもかなりの満足感を得られますが、こちらもコンパクトではありながら、そこから発せられる現存天守のオーラはさすがのものでした。
雲海を目当てに訪れる方も多数いるそうですが、常に見れるわけではないようなので、そこは運とタイミングですね。