158【山口紀行】こんな小さな場所から時代が動いた『松下村塾』

中国地方(Chugoku)
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萩の町は、小さなエリアの中に数々の遺構が残されている世界遺産を有する町です。
そんな山口県萩市には松陰神社という神社があります。
ここは、明治維新の中で重要な働きをした多くの人々に影響を与えた教育者である吉田松陰を祀った神社です。
そして、その松陰神社の敷地内には、多くの若者に影響を与えた私塾「松下村塾」が今も残されています。
ここで学んだ若者たちの写真や絵が今でも飾られており、その影響力の大きさを感じさせる建物ですが、実際の松下村塾を見ると、こんなに小さいの!??とびっくりするかもしれません。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 時代を大きく動かした町にある、小さな私塾から、歴史につながる足跡をたどってみよう。

萩の町について書いた記事です。

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松下村塾

松下村塾とは

松下村塾とは、幕末に存在した私塾です。
1842年に松陰の叔父、玉木文之進が松下村塾という私塾を開きました。
元々この地域は松本村と呼ばれていたらしく、そこから「松下村塾」の名前がきているそうです。

松下村塾では身分に関係なく塾生を受け入れ、吉田松陰自身もその私塾にて学びました。
1857年から藩校明倫館の塾頭になっていた吉田松陰が同塾を引き継ぎ、塾生の教育に務めることになりました。
1859年に吉田松陰は刑死することとなりましたが、その後何度か閉鎖と再開があり、最終的には吉田松陰の兄である杉民治によって引き継がれ、1892年ごろに閉塾されたとされています。

1890年に、松下村塾出身者などによって松下村塾の改修が行われ多彩に、吉田松陰の親戚筋の人々によって故人の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立され、松陰神社の前身にあたります。
その後、1907年に松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となり、このほこらを公の神社として創建しようと請願され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿とし、萩城内にあった宮崎八幡宮の拝殿を移築して本殿に付するなどして、境内の整備が進められました。
現在の本社社殿は、昭和30年に新しく建てられたものです。
その際に、創建当時の土蔵造りだった旧社殿の建物は、すぐ北側に移築して、松下村塾の門下生を祀る松門神社として残されています。

松下村塾は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。

アクセス

JR東萩駅から南東に800mほど進んだところにあります。

松下村塾へ行ってみた

松陰神社 大鳥居

まずは松陰神社入口にある石造りの大鳥居が見えてきます。
鳥居の右側にある石柱の「松陰神社」の文字は吉田松陰の書簡などから取られた自筆文字であり、鳥居の中央に描かれている「松陰神社」の文字は、岸信介元首相によって書かれたものです。

「明治維新胎動之地」石碑

大鳥居をくぐり、石畳の参道を進むと左手に巨大な石碑が建っています。
この石碑は、「明治維新胎動之地」石碑であり、昭和43の明治維新百年を記念して建てられたものです。

特大絵馬

大きな絵馬も立てられていました。
こちらは、右側に吉田松陰が、左側にはその年の年男となる塾生・門下生が描かれています。
この時は山縣有朋が描かれていました。

世界遺産『明治日本の産業革命遺産』

松下村塾は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。
19世紀半ば、西洋科学に追いつくために、西洋の産業革命の波を受容して工業立国日本の土台を築いた産業革命遺産として、1850年から1910年の日本の重工業・製鉄・製鋼・造船・石炭産業における大きな変化を与えた遺跡群をひとまとまりとして世界遺産登録されています。

萩の町からは、
・萩反射炉
・恵美須ヶ鼻造船所跡
・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町
・松下村塾

の5か所が構成資産として登録されています。

吉田松陰 歌碑

安政の大獄によってとらえられた捕らえられ、処刑を覚悟した吉田松陰が、安政6年に郷里の両親にあてた別れの書簡「永訣の書」の中で詠まれたものであり、松陰の両親に先立つ不孝を詫びている気持ちが込められているものです。
碑文は、吉田松陰の自筆を模写拡大したものです。

松下村塾

さらに進んでいくと、松下村塾が見えてきました。

見ての通り、木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳と、後に増築した十畳半の部分からなっています
ここで吉田松陰が実際に教育した期間は1年であり、同敷地内の実家に幽囚されていたときを通算しても2年半だけでしかありません。
しかしこの短い期間に、この小さな松下村塾にて塾生・門下生が育ち、のちの明治維新の原動力となる多数の若者が輩出されていったのです。

控えの間には、松下村塾から輩出された塾生・門下生の肖像画や写真が飾られています。

見たことのある写真や肖像画が多くありますね。

松下村塾と書かれた看板ですね。

8畳の講義室側です。

講義室には、吉田松陰の像と肖像画が飾られています。

吉田松陰幽囚ノ旧宅

松下村塾のすぐ隣には、吉田松陰の実家である杉家の建物があります。
この建物では、吉田松陰が幽囚され、謹慎生活を送ることになった建物なのです。

こちらが実際に幽囚されていた部屋だそうです。
吉田松陰は伊豆の下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗し、江戸伝馬町の牢に捕らえられたのち、萩に送られ野山獄に入れられることになりましたが、その後釈放され、安政2年から数年間、ここへ幽囚されていました。
その謹慎期間に、読書と著述に専念し、近親者や、近隣の子弟たちに講じていたそうです。

松陰神社 本殿

昭和30年に完成した、吉田松陰を祭神とする神社の本殿です、
神社そのものの創建は明治40年とされています。

松陰神社宝物殿 至誠館

松陰神社宝物殿 至誠館には、吉田松陰の遺墨や遺品類の展示があり、その生涯についての資料とともに展示されています。
建物前の左側の池には大きな文字が書かれています。
こちらは年に数回、松陰ゆかりの日にあわせていろいろな文字に変えられているそうです。

いかがだったでしょうか。
今回紹介した以外にも、松陰神社の境内には、
・松門神社
・花月楼
・吉田松陰歴史館

といったみどころもあります。

世界遺産に登録されている松下村塾をはじめ、境内の中には明治維新につながる歴史の流れが感じられる遺構が多数残されています。
見どころの多い萩の中でも、真っ先に訪れる定番スポットですね。