164【三重紀行】『赤木城』なかなか雰囲気の良い城跡ですが、それ以上に記憶にこびりつくのが・・・

百名城/続・百名城(Castle)
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今回は、三重県と和歌山県の県境近くにある赤木城を紹介したいと思います。
こちらは2017年に続日本百名城に選定されたお城なのですが、実質使用された期間が25年ほどというかなり短い期間だけ使われた城なのです。
しかも、その築城目的が、過去にこのエリアで起きていた一揆を制圧するために造られたなど、戦国末期に造られた城ではあるのですが、このような特徴のある城です。

しかし、この城を語るときに、城自体の魅力を越えてしまうようなとてつもあにスポットが付随してきてしまったのです。
それが、以前は赤木城のスタンプが設置されていた『熊野市紀和鉱山資料館』が、濃いーースポットだったのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 城跡自体も魅力的だが、圧倒的にそれより記憶に残る熊野市紀和鉱山資料館。

三重県に関する記事です。

411【三重紀行】守護大名として室町時代を生き抜いた北畠氏の城館『多気北畠氏城館』
三重県の伊勢本街道の沿いの山奥、そこにかつて南北朝時代に、吉野朝廷と呼ばれた南朝の忠臣であった北畠氏が、拠点とした館と城があります。そこを北畠氏館及び霧山城と呼びます。南北朝が統一された後、北畠氏は伊勢国司守護大名として室町時代を生き抜き、北畠氏八代の本拠地となります。
386【三重紀行】藤堂高虎による改修によって近代城郭となった現在はお城公園『津城』
大坂や尾張といった地域に挟まれていた現在の三重県は、たびたび歴史的な戦乱などに巻き込まれます。今回紹介している津城もそういった地域にある城跡であり、関ヶ原の戦い前に壊滅的な被害を受けるなど、例外なく戦禍に巻きもまれている城です。
376【三重紀行】その石垣の規模や美しさは安土城をも上回ったとされる『松坂城』
三重県松坂市には、壮大な石垣を擁する城跡が残されています。今現在は、その上に建造物は残されていませんが、16世紀末から明治にかけてこの場所には三重の天守を持つ城がありました。その城は、松坂城であり、この地の統べていた平山城でした。
246【三重紀行】式年遷宮を通して永久の技術継承を可能にする『伊勢神宮』
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099【和歌山紀行】大自然の川の中に温泉が!?川湯温泉の大浴場『仙人風呂』
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276【三重紀行】ナイト〇クープにもとりあげられた、模擬天守をもつ『伊賀上野城』
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284【三重紀行】時は南北朝時代から伊勢神宮を抑える戦略的要衝『田丸城』
三重県にはいろいろな時代の城が残されています。今回紹介している田丸城は、南北朝時代の城であり、野面積みの美しい石垣が残る城跡は、現在も桜の名所として市民の方々から親しまれています。

赤木城

赤木城跡は、三重県熊野市にある、2017年に続日本100名城に選ばれた平山城跡です。
1589年頃に、豊臣秀長の配下であった築城の名手とよばれている藤堂高虎によって、この地域の一揆を押さえるために築城されました。
尾根を利用して築かれた中世山城の様相と、高く積まれた石垣や虎口のつくりなどに見られる近世の築城法が併用された、貴重な城郭です。
築城当時の原型をここまで残した城跡は、全国的に見ても少なく貴重なものなのだそうです。

熊野の地域では、豊臣秀吉によって平定されたのちに、北山一揆(天正の一揆/慶長の一揆)がおこりました。
1586年の太閤検地に反発したとされる天正の一揆では、豊臣秀長によって制圧されたのちに、配下の藤堂高虎によって多数の農民が斬首されました。
1614年には、新宮の領主浅野氏に対する不満から怒ったとされる一揆が起こりますが、こちらも浅野氏によって制圧され、最終的に残党である360名余りが処刑されています。
この北山一揆によって処刑された場所が田平子峠刑場跡であり、赤木城から400mほどのところにあり、現在は供養塔が建てられています。
この場所を道路工事した際には、刑に処されたとされる多数の人骨が出てきたそうです。
赤木城はこの田平子峠刑場跡と共に国の史跡として指定されています。

その後、赤木城は1615年に江戸幕府による一国一城令により廃城となったといわれており、築城からわずか26年間という短い期間この地に存在していた城なのです。

アクセス

JR阿田和駅からバスで60分のち、田平子下車後徒歩で10分です。

赤木城跡に行ってみた

それでは赤木城跡を訪れてみましょう。

赤木城跡

東郭側にある駐車場から城跡に入っていきます。
見た目はコンパクトな感じのある城跡です。

東郭の門跡が見えてきました。

東郭の、門を超えると、虎口と主郭跡が見えてきました。

手前の虎口を越えて、主郭跡に向かいます。
赤木城の虎口は、敵の侵入を防ぐために通路を何度も折り曲げた複雑な構造の虎口になっています。

ここから主郭跡に入っていきます。
高さは4mほどあります。

正面からです。
立派な石を用いた石垣になっています。

主郭は、随所に横矢掛りが設けられており、敵を側面から攻撃できるようになっています。

主郭跡にやってきました。

主郭跡から西郭を眺めたところです。
周辺の様子がよく見え、一揆制圧という目的にかなった場所だったのでしょう。

主郭跡から東郭方面を眺めました。
小さいながらも、城跡がしっかりと残っており、見どころの多い城跡でした。

熊野市紀和鉱山資料館

それでは、百名城スタンプを押しに、熊野志紀和歌山資料館にやってきました。

板谷の地は紀州鉱山の拠点であり、昭和50年代に操業を終えた主に銅鉱石を扱っていた巨大な紀州鉱山選鉱場の跡が、今も無数のコンクリートの柱と共にその姿を留めていま。
そのすぐそばに熊野市紀和鉱山資料館はあります。
江戸時代などの近代にかけての紀州鉱山の様子や産出されたの鉱石などの展示が行われています。

入り口にスタンプ台が置かれていました。
続百名城がこれでもかとアピールされています。

いろいろと掲示されていますが、一言一言クセが強いような・・・??


現在、赤木城のスタンプ設置場所は、この熊野市紀和鉱山資料館から「道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里」へ変更となっています。※熊野市紀和鉱山資料館の二軒隣。

こんな人たちがいたのか??と思いますが、注意書きにある古都があったのかもしれませんね。
くれぐれも奇声をあげたり、机をバンバンと叩くのは控えましょう

なんとなくここまでで気づいたでしょうが、こちらの博物館館長さん。
かなりクセがすごいですw
ぜひ、実際に行って会ってみてください。

赤木城の模型です。
入館して階段を上がったところすぐにあります。

赤木城から出土した品が展示されています。
けっこう良い状態で発見されたようですね。

こちらは鉱山博物館なので、紀州の地域の鉱山に関する展示がほとんどになります。

2階から下に降りるエレベータですが、これに乗るとなかなか面白い体験ができます。

『地底』??
何が起きるかは、乗ってみてのお楽しみです。
普通のエレベーターですが普通ではありませんでしたw。

地底(w)に降りてきました。
鉱山での作業が行われている様子の展示があります。

鉱石の展示もありました。

いかがだったでしょうか。
赤木城ですが、近年非常に注目を集めるようになっており、急激に訪問者が増えてきているようです。
交通の便があまりよくはなく、自家用車でなければ訪問しづらいところではありますが、一見の価値ありです。
その際は、併せて熊野市紀和鉱山資料館と、大迫力の紀州鉱山選鉱場跡もぜひ見ていただきたいと思います。