183【妄想紀行】その歴史はまるで日本のポンペイ『鎌原観音堂』

妄想紀行(Delusion)
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今回の妄想紀行は日本国内です。
近年は、日本のマチュピチュや、日本のアンコールワットなど、日本の〇〇的なところが多いような気もしますが、今回紹介する場所も日本の〇〇な場所の一つです。
しかし、こちらに実際に行ったことはないので、もちろん今回も妄想です!!

今回は、日本の群馬県にある観音菩薩を祀る礼堂『鎌原観音堂』です。
浅間山から10kmにあるこの鎌原観音堂は、今から約250年前に浅間山で起こった天明の大噴火の土石流によって地面の下に埋もれた、日本の、東洋のポンペイとも呼ばれる鎌原村があった場所なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ほんの数段の階段が生死を分けた。大噴火のすさまじさを物語る観音堂。

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今回の目的地

今回紹介する鎌原観音堂は、群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原にある観音堂です。

JR万座・鹿沢口駅からバスで約5分、「鎌原観音堂前」下車で徒歩2分です。

上の写真は、鎌原観音堂のパンフレットですが、一見すると普通の観音堂であるこちらの建物。
そこには、250年以上前から語り継がれる凄まじい歴史があったのです。

そもそもポンペイって?

南イタリアのナポリの南東20kmにあるにある世界遺産ポンペイは、古代ローマの都市遺跡です。

こちらの古代都市遺跡がなぜ世界遺産になのかというと、今から約2000年前、古代ポンペイの町はすぐそばにあるベスビオ山の噴火によって火山灰によって埋もれてしまった町なのです。
人々が平和に暮らしていたポンペイの町。
そこに突如発生したベスビオ山の噴火
噴火後のガスによる窒息や、火砕流などによる極度の高温によって脳が沸騰するなど、一夜にして多くの人々の命が奪われてしまったのです。
その後、半径12kmのエリアは火山灰によって覆いつくされてしまい、その存在自体も人々の記憶から消えていき、伝説が残るのみとなってしまいます。

1700年前半にポンペイが発掘され始めるのですが、発掘を進めていくにつれ、火山灰の中に奇妙な空洞があることが何か所も見つかりました。
その空洞とは、逃げられずに生き埋めになった人々が息絶えた後、長い時間かけて遺体が腐敗して消失したためにできた空洞なのでした。
そのため、その空洞に石膏を流し込むと、当時の人々の最後の姿がそこにはあったのでした。
現在は世界遺産として多くの観光客が訪れるポンペイですが、このような悲しい歴史をもった古代都市だったのでした。

では、今回紹介する鎌原観音堂が日本のポンペイと呼ばれる所以とは何なのでしょうか。

鎌原観音堂

鎌原観音堂は、群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原あります。
1783年(天明3年)の浅間山の天明の大噴火による土石流によって、地面の下に埋もれてしまった鎌原村がこの地にはありました。
この観音堂の前にある階段は、現在15段しか見えていませんが実際には50段の階段があったそうです。
つまり35段分の高さが土石流によって埋もれてしまったのでした。

その際に、当時の村民は570名ほどいたそうなのですが、当時高台にあったこの鎌原観音堂まで階段を登って避難できた93名のみが助かったと伝えられています。
1979年にこの周辺が発掘された際に、この階段のところに親子とみられるミイラ化した遺体が見つかりました。
若い女性が母親を背負ったようになっていましたが、土石流の到達に間に合わず巻き込まれてしまい、200年もの間この場所に埋もれてしまっていたのでした。

しかし、鎌原村はここで終わらなかったのです。
生き残った人々が再びこの地に戻ってきて、村を再建したのでした。
生き残った人々が新たな家族を築き、限られた土地をお互いに分け合いながら、鎌原村の復興に尽力し今日に至っています。

妄想紀行

浅間山の麓にある嬬恋村。
その昔、なんとなく聞いたことがあったこの村。
大噴火に伴った土石流があり、人々が村の高台にある鎌原観音堂に逃げ込んだものの、観音堂前の階段をどれだけ登りきることができたかが、人々の生死を分けた場所。
そんな日本のポンペイとも呼ばれる場所にやってきました。

観音堂が見えてくると、その前には小さな橋と15段ほどの階段が見えてきました。
その橋の下をよく見ると、地面の下まで階段が続いていることがわかります。
この下にさらに地中6.5mの深さの35段の階段があり、このあたり一帯がこの高さまで埋もれてしまったということが驚愕です。

そして、この階段で長年埋もれていた親子が見つかったことからも、477人が亡くなったとされる天明の大噴火で亡くなった人々が、このあたり一帯の地面の下には、まだ埋もれたままになっているのでしょう。
それを考えると、あたり一帯に対して自然と手を合わせてしまうのでした。

・・・・・以上、妄想でしたw

わきみちポイントは?

鎌原観音堂のすぐそばには嬬恋郷土資料館という資料館があります。
こちらには1783年(天明3年)浅間山の天明の大噴火に関係する資料が数多く展示されています。
土石流によって埋もれてしまった鎌原村の資料や、そこからどのように復興していったのかなど、かこから現代へ受けつがれてきたその過程を知ることができます。
とくに、鎌原村が埋没してしまったことで、大半の人々を失ってしまった村の人々が、いかに協力し合って村を再興し、現代に向けて受けついできたのか学ぶことができる史料館であるため、鎌原観音堂の見学と共に訪れたい史料館です。

いかがだったでしょうか。
【妄想紀行】ですので、あくまでも自分で見て聞いて体験したものではありません。

将来的に、こちらを訪れることがあった場合は、しっかりとした紀行記事としてリライトしていきます。