184【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 戦前まで天守が現存していたお城ピックアップ6選

百名城/続・百名城(Castle)
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日本百名城・続日本百名城で、今回は戦前まで天守が現存していた括りで紹介していきたいと思います。

戦前まで天守が残っていた城は、全部で8か所あるのですが、そのうち6か所に訪問することができていたので、この6つをピックアップして紹介していきたいと思います。

今回はダイジェストで6つの城を紹介していきますが、いずれ個々の城を詳細に紹介する記事も書いていきたいと思っています。

【今回のわきみち】
  • あの戦争がなければ…。そんなことが悔やまれる、戦前まで残っていた6つの天守です。

第一回目の百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

071【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選①
日本には数多くの城や城跡があります。どれも個性的であり、その城が存在していた年代を感じさせる作りのものがほとんどです。今回は、自分が訪問した百名城・続百名城の中で、印象深かったところを5つピックアップし、書いてみました。

第二回目の百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

113【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選②
日本にはまだまだ数多くの城や城跡があります。行ってみて初めてその広大さや特色に気づき、強烈に印象付けられる城もたくさんあります。今回は、そんな自分が訪問した百名城・続百名城の中で、後々まで印象が残っているところを5つピックアップしました。

第三回目の百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

145【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選③
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第三弾です。今回は、現存十二天守をはじめ、真田幸村ゆかり城など、バラエティに富んだラインナップになっています。その中でもやはり現存天守はその内部の様子が歴史を感じさせるものであり、その他の天守と比べると年月をとても実感することができます。

現存天守とは?

日本全国には、豊臣秀吉時代の最盛期に3000もの天守が存在していたそうなのです。
しかし、その後、度重なる政策や歴史的な出来事によってそのほとんどが姿を失うこととなります。

最初は、徳川幕府の「一国一城令」によって、90%以上もの天守がなくなったそうです。
次に、明治政府による「廃城令」であり、この際に陸軍省として必要かそうでないか判断され、不要となった場合は廃城にされたそうです。
最後に「第二次世界大戦によってとどめがさされてしまいました。

戦前までは20基の天守が残っていたそうですが、次の8つの天守が被害を受けてしまいました。(※松前城は失火による。)
・水戸城(茨城県)
・大垣城(岐阜県)
・名古屋城(愛知県)
・和歌山城(和歌山県)
・岡山城(岡山県)
・福山城(広島県)
・広島城(広島県)

・松前城(北海道)

そして、残ったのが現存12天守です。
弘前城(青森県)/松本城(長野県)/丸岡城(福井県)/犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)/姫路城(兵庫県)/松江城(島根県)/備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)/松山城(愛媛県)/宇和島城(愛媛県)/高知城(高知県)

福山城(日本百名城)

どこにあるの

広島県福山市丸之内1丁目にあります。

どんな城

広島県にある福山城は1622年に竣工された城です。
一国一城令後に造られた城であり、江戸期に造られた近世城郭としては最後の城となった、非常に珍しい城でした。
西国の外様大名をおさめる拠点として、譜代大名である水野勝成が領主となった後に完成した城であり、当時この地を治めていた備後福山藩の藩庁が置かれていました。

なぜなくなってしまった?

福山城は、太平洋戦争の終戦間際である1945年の8月8日に、米軍の福山大空襲によって、天守をはじめ、城下に多く残っていた文化財と共に焼失しました。

和歌山城(日本百名城)

どこにあるの

和歌山県和歌山市一番丁にあります。

どんな城

和歌山城は、江戸期の徳川御三家である紀州徳川家の居城であった由緒ある城です。
1585年に、羽柴秀吉が弟小野秀長に命じて築かせた城が和歌山城の始まりです。
江戸時代に入り、入城した浅野行長により1605年に天守などが建てられました。
その後、徳川家康の十男であった頼宣が入場したことでより、徳川御三家の一つである紀州徳川家が成立することになりました。
紀州徳川家からは、有名な8代将軍徳川吉宗と14代将軍の徳川家茂が輩出された名家でした。

なぜなくなってしまった?

和歌山城は、太平洋戦争末期である1945年の7月9日に、アメリカ軍による和歌山大空襲によって天守をはじめ、城下の国宝だった建造物と共に消失しました。

岡山城(日本百名城)

どこにあるの

岡山県岡山市北区丸の内2丁目にあります。

どんな城

岡山城は、1597年に宇喜多秀家が、秀吉の命を受けて築城されました。
その外観は特徴的に黒色となっており、別名では烏城とも呼ばれています。

1600年の関ヶ原の戦いの後は、この戦いで豊臣家の敗退の原因ともなった小早川秀秋が入場することになるのですが、その2年後に秀秋が急死し、池だけを藩主として岡山藩の藩庁として明治維新にまで至りました。
す。

なぜなくなってしまった?

岡山城は、太平洋戦争の終戦間際である1945年の6月29日に、米軍の岡山空襲によって、石山門と共に天守は焼失しました。

広島城(日本百名城)

どこにあるの

広島県広島市中区基町にあります。

どんな城

広島城は、1589年に毛利輝元によって築城されました。
広島の地は、元々は三角州の上に築かれており、非常に軟弱な地盤であることから、築城はかなりの何校時であったようです。

しかし、その後の1600年関ヶ原の戦いで、西軍大将であった毛利輝元が、徳川家康によって転封されたことにより、福島正則がその後入城することとなります。
福島氏もその後は転封となり、和歌山城の城主であった浅野家が入ることとなりました。

なぜなくなってしまった?

広島城は、太平洋戦争末期の8月6日、アメリカ軍による原子爆弾投下の破壊目標地点となり、江戸時代から残されていた天守や櫓などが倒壊しました。
近年の研究では、原子爆弾の衝撃波により、城の下部が上部の重さに耐えられなくなり自壊したということがわかってきたのだそうです。

大垣城(続日本百名城)

どこにあるの

岐阜県大垣市郭町2丁目にあります。

どんな城

大垣城は1500年に築かれたといわれています。
織田氏や斎藤氏など城主は転々としていきます。
ところが、1586年の天正地震によって、城は全壊してしまいます。

その後、再建と共に天守が築かれたとされています。
1600年の関ヶ原の戦いのときには、西軍に属していたため、西軍の石田三成が入場して拠点とされました。
ところが関ヶ原の戦いでは西軍は大敗し、その後東軍によって卓上させられます。
江戸時代には、譜代大名の石川家、その後は戸田家が入場し、大垣藩戸田家の居城として明治期まで存在し続けます。

なぜなくなってしまった?

大垣城は太平洋戦争末期の1945年の7月29日に、アメリカ軍により行われた大垣空襲によって、国宝だった天守や櫓などが焼失しました。

名古屋城(日本百名城)

どこにあるの

愛知県名古屋市中区本丸にあります。

どんな城

名古屋城は、徳川御三家である尾張徳川家の居城でした。
名古屋城の立つ場所には、元々は室町時代である1520年代に今川氏によって築かれたとわれる那古野城という城が建っていました。
その後は、織田家によって那古野城は奪い取られ、織田家によって収められていきますが、1582年に廃城となります。

名古屋の地がその後再び注目されていくのは江戸時代になってからとなります。
1609年に、西国の豊臣家をけん制するために終わり後の守りを重視する必要がありました。
来たるべき戦いの日に備えて、東海道の要所であったこの地の防衛を固めていく必要がありました。
そのため、大坂と江戸の中間地である尾張の地を治めるために、清須城に変わる城として、巨大な軍事要塞である名古屋城築城の令が発せられます。
その後、1612年に天守が完成し、徳川江家康の九男である徳川義直を藩主とする、尾張徳川家を象徴する建造物となりました。

なぜなくなってしまった?

名古屋城は太平洋戦争末期の1945年の5月14日に、アメリカ軍により行われた名古屋空襲によって、天守をはじめ、御殿や櫓などが、焼夷弾の直撃を受けて消失しました。

いかがだったでしょうか?
今回紹介した6つの城を全て見てみると、太平洋戦争末期の1945年5月~8月の4か月間にすべて焼失してしまっています。
これだけ貴重な国宝を含む天守がこれだけの短期間に消失してしまったことが残念でなりません。
そして、現在辛うじて十二の天守が残ったことが奇跡でもありますね。

まだまだこれら以外にもおすすめしたい城はたくさんあります。
次回以降もご期待ください。