191【ベトナム紀行】ベトナム中部のグエン朝時代の世界遺産『フエの建造物群』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ベトナムにも数々の世界遺産がありますよね。
文化遺産だけでも次のような世界文化遺産があります。
・フエの建造物群
・古都ホイアン
・ミーソン聖域
・ハノイのタンロン皇城の中心区域
・胡朝の城塞

この中で最も古くに登録されたのが、ベトナム中部にあるフエの建造物群なのですね。
このフエの建造物群ですが、建造の年代としては1800年と比較的新しい部類にはなるのですが、ベトナム最後の王朝の王都として築かれ、数々の戦禍を乗り越えてきたのが、現在残っている王宮をはじめとしたフエの建造物群です。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 王宮をはじめとした建造物群を実際に見ることと合わせて、マップでも空中からフエの大規模に区画された王都を見てみよう。

ベトナム中部、世界遺産の町ホイアンの記事です。

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2002年のフエの様子を書いた記事です。

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フエ王宮

フエはベトナムの地にあった最後の王朝・グエン(阮)王朝の都が築かれていました。
1801年にグエン朝の開祖であるザーロン帝により、内乱の続く国内を統一し創建された王朝です。
グエン朝はその後、1945年までの143年間もの長い間、13代にわたってこの地を治めました。
その間にも、フランスの植民地化になったり、第二次世界大戦などに突入するなど、時代の大きな動きにふりまわされることにもなりますが、1945年にバオダイ帝が退位し、グエン朝が滅亡となるベトナム八月革命まで続いたのです。
その後フエでは、ベトナム戦争中の1968年におこったテト攻勢において、大規模な戦闘が行われ多くの人々が南ベトナム解放戦線の兵士たちによって殺害されたフエ虐殺の場にもなりました。

フエの建造群は、1946年からの第一次インドシナ戦争と、1960年代のベトナム戦争によって、フエの建造群は多大な被害をこうむり、その大半が焼失、損傷することになりました。
現在のフエ王宮跡には、それらを免れ、戦後に修復された王朝時代の王宮をはじめ、皇帝廟や数々の寺院が残されています。

フエ王宮は東西が約640m、南北が約570m、そして高さが6mもある城壁とその周りが壕に囲まれた、きれいな長方形の形をした王宮です。
建造物の特徴としては、そのほとんどが、清朝の紫禁城のような様式と、当時影響のあったフランスのバロック様式が取り入れられて造られており、その様子からもベトナムが様々な国から影響を受けていることが伺えます。

このフエ一帯にある『フエの建造物群』は、1993年にベトナムで初めての世界遺産に登録されました。
この世界遺産の構成要素は以下です。

・フエ王宮と要塞、紫禁城、王立壕、博物館、国立フエ大学、ティンタム湖
・ティエンムー寺
・文学の寺と武術の寺神殿
・虎園闘技場(ロイヤルアリーナ)とヴォイレ寺院
・阮朝5代皇帝ドゥクドゥック(育徳帝)帝廟
・ナムジアオエスプラネード
・阮朝4代皇帝トゥドゥック(嗣徳帝)帝廟
・阮朝9代皇帝ドンカイン(同慶)帝廟
・ホンチェン寺院
・阮朝3代皇帝ティエウチ(紹治帝)帝廟
・阮朝12代皇帝カイディン(啓定帝)帝廟
・阮朝2代皇帝ミンマン(明命帝)帝廟
・阮朝初代皇帝ザーロン(嘉隆帝)帝廟
・鎮海城

アクセス

フエで宿を確保すると便利ですが、ダナンから日帰りで訪れる方も多いように思います。
ダナンからは、バスで片道2時間~2時間半で到着します。
鉄道の場合は3時間ほどで到着しますが、時刻は正確ではないので、予定が組みにくいかと思います。
フエ駅からは北東方向に2km進むと王宮に到着します。

フエ王宮に行ってみた

フラッグタワー

フエ王宮に行くと、真っ先に目に入ってくるのが上のフラッグタワーです。
比較的新しく見えるこのフラッグタワーですが、グエン朝の初代皇帝ザーロン帝の時代(1809年)に建てられたのだそうです。
台座は三層式になっており、棟の先端までの高さは約30mにもなります。
これまで、災害や戦争などで何度か破壊されているようなのですが、1969年に鉄筋コンクリートで田と直され現在に至ります。
しかし、現在もその台座には、弾痕が残っているのだそうです。

現在ではベトナム国旗が掲げられています。

大砲(九位神公)

フラッグタワーの横には巨大な大砲がいくつも展示されていました。
こちらもザーロン帝の時代に設置されたものなのだそうです。
王宮に向かって右側に四季を表す4つの大砲があり、左側には木火土金水の五行思想を表した5つの大砲が置かれています。
これらの大砲は実際に使われたことはないのだそうですが、その存在が霊的なものを宿しているのだそうです。

午門

午門は王宮の南にある正門です。
紫禁城の午門を参考にして建てられたとされています。
そのため中国風の造りになっています。
石造りの門の上にある木造の建物には、当時は金箔が貼られていたそうですが、現在その名残は残っていません。

門の入口が5つあり、それぞれの位や性別によって使用する入り口が決められていたのだそうです。
中央の門は皇帝が外出するときに使用されなかった門であり、その左右にある門は文官と武官が使用していました。
この門が現在は観光客の入り口に使われています。
さらにその外側にある門は、兵士や馬、象などが使用していました。

太和殿(タイホア殿)

午門を入るとその先に太和殿があります。
こちらも紫禁城の太和殿を模して造られている王宮の正殿であり、王の即位式など数々の儀式が行われた場所です。
中央には皇帝の玉座がおかれています。
ベトナム戦争中、1968年のテト攻勢で破壊されてしまったため、現在建っているものは1970年に再建されたものです。

ヒューヴーとターヴー

太和殿を越えてさらに内部に入っていくと、ヒューヴーとターヴーがあります。
これらは高級官吏の詰所であり、写真の左にあるヒューヴーは武官が、ターヴーは文官が使用していました。
現在は、ヒューヴーでは衣装を着た記念撮影ができ、ターヴーには種々パネル展示がされています。

朱色の回廊

さらに先に進むと、首里の回廊に囲まれたエリアに入ります。
このエリアは、1947年のフランス軍との交戦に巻き込まれ、建物は残っていません。

建中殿跡

朱色の回廊を抜けると、北西に向かって広場が広がっています。

こちらには大きな竜の像が太和殿に向かって建てられています。

朱色の回廊内部

再び首里の回廊に戻ってきました。
往時にここに建てられていた建物群を回廊が結んでいたのだそうです。

朱色の回廊には、フエ王宮にまつわる写真展示がずらっと飾られています。



回廊を超えると、城壁に沿って出口を目ざします。

顕仁(ヒエンニョン)門

王宮からの出口は、東側にある顕仁(ヒエンニョン)門でした。

いかがだったでしょうか。
実は、フエの王宮跡はかなり広く、時間が限られていた中ではじっくりと見て回ることができなかったのですが、実際、都がおかれていた地であるため、とてつもなく広大なエリアの中にまだまだ見どころが点在しています。
敷地内にだけでもまだまだ廟や宮殿がいくつか残されています。

さらにじっくり見て回ると、フエには今回紹介した王宮をはじめ、過去の皇帝を祀った帝陵が数多く残されています。
その中で、実際に訪れることができた場もあるため、次回はそれらも紹介していきたいと思います。