193【神奈川紀行】関東を支配していた後北条氏の家臣団である小机衆の中心地『小机城』

百名城/続・百名城(Castle)
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関東、武蔵国と呼ばれていたエリアといえば、どうしても徳川家康の顔が浮かびますが、豊臣秀吉による駿府から江戸への徳川家康の国替え以前は、いくつもの有力な戦国大名によって治められ、幾度の戦いも行われた地でありました。

神奈川県に残る城といえば小田原城であり、神奈川県の西側にあるイメージですが、神奈川県の東側の横浜のエリアにも、多くの中世(9~15世紀)の城が存在していました。
しかし、近世の大規模な城郭とは異なり、中世期の自然の地形を利用した土塁や空堀を利用した城が多く、そのほとんどはかつての城の位置が特定される程度であり、ほとんどその実態は明らかにはなっていません。
今回紹介する小机城も、現横浜市内にある、中世後期である15世紀の城跡ですが、現在でも曲輪や空堀などの跡が残されており、当時の縄張を感じることができる城跡となっています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • あまり知られていない都会の中の城跡ですが、予想以上な体験ができる続日本百名城の一つ。

横浜で行われているセントパトリックデーパレードについての記事です。

092【神奈川紀行】アイルランドの伝統的な祭りを日本でも『セントパトリックデーパレード横浜元町』
神奈川県横浜エリアというと異国情緒溢れる街並みが広がっていますよね。その中でも元町エリアは、エリア全体が統一感をもってつくられているおしゃれなスポットです。そんな元町で毎年3月上旬に、アイルランドの祭『セントパトリックデーパレード』が行われるのです。

小机城

小机城は神奈川県横浜市にある城跡です。

町中に表れる高さが約20mの小高い台地の上に東西2つの曲輪で構成された主郭部のある縄張となっています。
主郭部の周囲を深い空堀で囲まれています。
現在は小机城跡市民の森となっており、立派な竹林の中に本丸や二の丸跡から堀の跡などがきれいに整備されています。
西側一部については、過去の第三京浜道路の建設の際に破壊されています。

小机城の歴史

小机城の築城年は不明なのですが、12~15世紀中ごろには築城されていたであろうとされています。
戦国期である1476年に始まる関東全域を巻き込んだ長尾景春の乱の中で、景春方に属していた矢野兵庫助が小机城を拠点として、上杉方の太田道灌率いる軍と戦っていたことから、南武蔵地域の軍事拠点であったことが伺えます。

その後小机城は攻め落とされ、40年間ほど廃城となっていましたが、武蔵国を治めることになった小田原北条氏が、1524年に扇谷上杉氏が治めていた江戸城を攻略していく中で、小机地域一帯を支配下として再構築し、笠原氏を城代ととして再構していったとされています。
特に、小田原北条氏の家臣団の中で、南武蔵の地域を支配していた小机衆と呼ばれた29の武士団が小机城を本拠地としていました。
1590年に行われた豊臣秀吉による小田原攻めの際には、小机衆もそのほとんどが小田原城へ配置したため、小机城に対する攻撃は行われませんでした。

豊臣秀吉による治世時に、秀吉によって国替えが行われ、徳川家康が関東の地に入った後に廃城となっています。

2017年には、続日本100名城に選定されています。

アクセス

JR横浜線小机駅から徒歩15分です。
続日本百名城スタンプは、小机駅すぐ南にある横浜市城郷小机地区センター内にあります。

小机城へ行ってみた

それでは小机城跡に行ってみたいと思います。

JR小机駅に着くと、城跡訪問の前に、小机駅すぐ南にある横浜市城郷小机地区センター内に行って、スタンプを忘れないようにしましょう。

案内に沿って歩いていくと、住宅地の中に突然小机城跡の入り口が表れます。
平山城ではありますが、城跡公園内はきちんと整備されているため、普段着で気軽に訪れることができます。

入り口にはトイレとベンチが設置されていました。

整備されたゆるーい坂道を登っていきます。

まずはとりあえず本丸広場に向かって歩いていきます。

曲輪を囲っていた空堀です。
水を張らない堀であるために、急勾配となっており、堅牢な守りを実現するための造りになっています。

さらに進むと、本丸広場が見えてきますが、現在この場所が本丸跡かどうかは断定はされていないそうです。

本丸跡は史跡保護のためか(?)一面にブルーシートが敷かれていました。

こちらも本丸跡周りの空堀です。
こちらは深さ12mにもなる空堀なのだそうです。
山中城もそうですが、北条氏の築城は堀に特徴がありますね。

空堀から本丸方面を見たところです。
このあと、二の丸跡へ移動していきます。
けっこうな急こう配を昇り降りしていきます。

堀と共に城を防御するための土塁です。
主に土塁は、堀を造る際に掘った土を盛り上げて防御壁とされます。
こちらはつなぎ曲輪と呼ばれており、本丸と二の丸をつなぐ、細長い小曲輪となっています

アップダウンがけっこうあります。

二の丸広場手前の井楼(せいろう)と呼ばれる櫓の跡です。

二の丸広場にやってきました。
本丸跡と同じく、資料が十分ではなく、二の丸跡とは断定はできないのだそうです。

本丸跡と二の丸跡とをつなぐつなぎ曲輪途中にある櫓跡です。
天守のない時代には、ここにあった櫓台から展望を行っていたようです。

こちらも空堀です。

かなりみごとな竹林が林立しています。

いかがだったでしょうか。
町中に突如現れる小机城跡ですが、非常にしっかりと整備されており、見どころの多い城跡でした。
天守を中心とした城ではなく、自然の地形を巧みに使った中世期の城跡ということで、戦国の時代を生き抜くための攻防に長けた造りの城であることを体感することができる城跡ですよ。