198【京都紀行】歴史の中心にある町で、幕末の大事件の舞台『二条城』

日本の世界遺産(Japan Heritage)
この記事は約6分で読めます。

現在、天皇の住まう皇居は東京の江戸城跡地にあります。
しかし、そこに移動したのはわずか150年前であり、それまでの長い期間は京都に住まわれていました。
現在もその天皇の住まわれていた京都御苑がありますよね。

その京都御苑の南西に位置するのが、江戸幕府徳川家康の命によって建てられた二条城(元離宮二条城)です。
場所的に、朝廷を睨む位置であったかのような二条城ですが、なんとこちらは、幕末のあの歴史的な出来事の行われた場所なのでした。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 徳川が京都に築城した、時代の主導権を握った人間を表しているかの如くの城。

京都に関する記事です。

1105【京都紀行】京都ラーメンの一つ、濃厚色醤油ラーメンの元祖『新福菜館』
京都ラーメンなのですが、今回紹介しているのはこの京都醤油ラーメンを提供するお店の最古参の一つ、新福菜館なのです。戦後直後に始まったとされるこの新福菜館なのですが、その見た目はびっくりするほど真っ黒。京都でこれほど真っ黒な食べ物に出会うとは・・・と思えるほどの色合いなのです。
1006【京都紀行】伝統ある京都最大の茶の産地。広がる大迫力の茶畑『和束 石寺の茶畑』
京都のお茶文化を支える一つの町が、京都駅から南東に20kmほどのところにある山間部にある町、和束町です。この和束町に行ってみると、山の傾斜に沿ってお茶畑が眼前に広がります。その光景はまるで空までは畑が続いていくかのような館管区になるほど美しく、京都府指定の景観資産『日本茶800年の歴史散歩 和束町の茶畑景観』として初めて指定された光景でもあるのです。
895【京都紀行】ここが京都を代表するお茶の産地だ『道の駅 お茶の京都みなみやましろ村』
京都といえば、お茶というイメージがありますよね。しかし、京都でお茶を作っているお頃ってどこなの?となりますが、京都の南にある京都の中でも唯一の村がその場所なのです。そこを南山城村といいます。そんな京都唯一の村にあるのが道の駅 お茶の京都みなみやましろ村なのです。
889【京都紀行】淀川につながる名張川・木津川の境にあるアーチ型ダム『高山ダム』
今回は京都の南にあるとあるダムについてです。京都でも広大なお茶の産地の京都府南山城村。素朴なお茶畑と、シイタケで有名なこの村には、1968年に巨大なダムが建設されました。そのダムは高山ダムといいます。
684【京都紀行】白い砂浜の広がる美しい砂州。股のぞきから見える天に架かる橋のような光景が有名な『天橋立』
京都府北部、日本海岸まで行ってみると、京都のもう一つの魅力を語ってくれる見どころがあります。そこは、天橋立という場所です。ここは砂州と呼ばれる地形の場所なのですが、その素晴らしい景観から、日本三景の一つとしても有名なところなのです。
630【京都紀行】かつての梅小路蒸気機関車館。しかも戦時中は、とんでもない標的にされかけたことも…『京都鉄道博物館』
今回紹介している鉄道博物館は、そんな中でも比較的新しい施設である京都鉄道博物館について紹介していきたいと思います。比較的新しいということなのですが、2015年の開館なのです。 ただし現在の京都鉄道博物館は、もともとここにあった蒸気機関車の博物館を拡張する形で開設されたものなのでした。
151【京都紀行】京都で体験、豆腐作りは京都っぽさがあふれている感があります
京都といえば古き都として、伝統的な食や文化がたくさんありますよね。そして、そういった伝統を気軽に体験できることも京都の良さであります。今回は、八つ橋庵 かけはしが行っているカルチャー体験プログラムの中から、豆腐作り体験について紹介していきたいと思います。
179【京都紀行】"いただきます"は何のため?命を知る体験『京都市中央食肉市場』
今皆さんが食べている焼肉、ハンバーガー、ソーセージなどなど。みなさんが食べているお肉は、元は何だったのでしょうか?そのお肉が元々は命あるものだったで、どこまで理解できますか?今回紹介する『京都市中央食肉市場』は、食べ物を通して"命"を学ぶことができる施設なのです。
237【京都紀行】京都といえば京都駅を起点にしてが一般的ですが、こちらを起点にしても抜群なのです『宇治』
宇治といえば絶対に外せないのが、十円玉にも表されている平等院鳳凰堂ですよね。それ以外にも、博物館や寺社仏閣、さらには宇治ならではの食など、京都駅近辺以上に見どころの多いところなのです。今回は、宇治の中でも平等院鳳凰堂と寺社、博物館を中心に紹介していきたいと思います。

日本百名城・続日本百名城のピックアップ記事です。

214【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選④
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第四弾です。今回は、日本で有名な城は?といわれると一般的にぱっとは出てこないかもしれませんが、どこも渋みと歴史的な重厚感のある城をピックアップしてみました。

二条城

二条城(元離宮二条城)は徳川家康の命により、1603年に築城された城です。
その主な目的は、京都の守護はもちろん、京都へ上洛した際の宿所というのが目的であり、二条新御所などとも呼ばれていました。
徳川二代将軍秀忠が、天皇から将軍に宣下されたのもこの二条城なのだそうです。

当初は小規模な城だったのだそうですが、京都の伏見桃山にあった、家康によって再建されていた伏見城が廃城になったことに伴い、その遺構が二条城に移され、その規模は拡大を続けていました。
1626年の三代将軍家光のころに、最も規模が拡大されて、五層にもなる天守閣もあったのだそうです。
しかしその天守閣は1750年に落雷によって消失してしまいます。
また、1788年の市中の大火により、本丸殿舎や櫓など、その多くを焼失してしまいました。

その後、1867年には、十五代将軍徳川慶喜が、二条城の城中にて大政奉還を行っています。

明治に入ると、二の丸内に京都府庁が設置されました。
明治17年には二条離宮と改称され、明治26年には、本丸御殿後に京都御所から桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されるようになりました。
この本丸御殿をはじめ、北大手門や櫓などの重要文化財、そして国宝である二の丸御殿などが残されています。

1994年にはユネスコ世界遺産『古都京都の文化財』として登録されています。

・賀茂別雷神社(上賀茂神社)
・賀茂御祖神社(下鴨神社)
・教王護国寺(東寺)
・清水寺
・延暦寺
・醍醐寺
・仁和寺
・平等院
・宇治上神社
・高山寺
・西芳寺(苔寺)
・天龍寺
・鹿苑寺(金閣寺)
・慈照寺(銀閣寺)
・龍安寺 
・本願寺(西本願寺)
・二条城

アクセス

京都市営地下鉄二条駅前から徒歩ですぐにあります。
JR二条駅からは徒歩17分です。

二条城へ行ってみた

こちらが二条城の縄張です。
江戸城などと比べると、将軍の城としては規模が小さく、町中にあるにしてはそこまで防御力も高くはない城の造りとなっていますが、元々将軍が京都に滞在するときの宿としての目的からと、いざ二条城が敵の手に落ちたときに、堅牢すぎると奪還することが困難になることからだそうです。

東大手門

京都御所の方角に向いている、東向きのこちらの門が二条城の正門でもある東大手門です。
写真にある門は1662年建築の物が現在も残っています。
2階建ての造りとなっています。

番所

二条城は徳川将軍の城ですが、江戸に居を構える徳川将軍ですので、二条城はほとんどが将軍不在となります。
将軍が不在中の二条城は、二条在藩と呼ばれる江戸から派遣された武士のよって警衛されていました。
東大手門入ってすぐの番所は、番士の詰所の一つであり、数少ない現存する門番所の遺構です。

唐門

こちらは、二の丸御殿の正門である唐門です。
2013年には修復工事が行われ、より往時の姿となっているようです。(写真は修復前です。)

二の丸御殿

敷地内東の二の丸に建っているのが二の丸御殿です。
こちらの中にある大広間こそが、幕末の大政奉還の舞台となった部屋なのです。

二条城の釣鐘

2つの釣鐘が地面に置かれて残されています。
このあかねは幕末の政変の時に、住民たちに非常事態を知らせる連絡用に使われていた鐘なのだそうです。

二の丸庭園

二条城の二の丸庭園は、池を中心とした書院造庭園です。
1603年の二条城築城の際に、二条城建築に調和させて造営されたものです。

東橋&本丸櫓門

本丸を守るための門が、こちらの本丸櫓門です。
1626年に造られました。
いざ戦いになった時は、木橋であった東橋を壊し、この櫓門を固く締めることによって、籠城戦に対応することができるようになっているのだそうでし。
そのため、内部には、食料や水が確保できるようになっています。

天守閣跡

こちらには五層にもなる、かつて伏見城から移築された天守閣もあったのだそうです。
1750年の落雷によって消失してしまっているため、現在は天守台のみが残されています。

現在は石垣だけが残されていますが、天守閣台からは、本丸御殿と本丸庭園、その奥に広がる京都の街の景色をよく見渡すことができます。

本丸御殿

敷地内西側の本丸に広がる本丸御殿は、二条城創建時に造られたのではなく、300年ほど後の明治に入ってからの明治26年(1893)に京都御所名にあった桂宮御殿が移築されたものです。

本丸庭園

本丸庭園は、明治天皇の行幸の際に、元々の枯山水庭園から大改造された庭園です。

米倉(西北土蔵)

本丸西側にある元々本丸西櫓門のあったところを通り、西橋を渡ると、その左右に土蔵が見えてきます。
こちらは北側にある西北土蔵であり、1626年頃に建築されたものです。
江戸時代には敷地内に10棟の土蔵が存在していたそうですが、現在は3棟のみ残されています。
城に土蔵が残っているのは現在二条城だけなのだそうです。

西門

1626年頃に建設された西門は、二条城の通用門として使われていたものです。
1788年の大火によって、ここの周辺の櫓門等が焼失しました。
また、明治以降に外堀にかかる木橋もなくなってしまったため、現在はこの西門だけが残っています。

清流園 香雲亭

清流園は5000坪もの山水園と芝生広場から成っています。
庭内には、上の写真にあるような香雲亭やお茶室などがあります。

内濠

本丸を囲む堀(濠)です。
中央に見えるのは、先ほど通ってきた本丸櫓門です。

東南隅櫓

二条城敷地内から外に出て周囲を歩くと、東南隅櫓(すみやぐら)が見えてきます。
このような隅櫓が二条城の外堀の四隅に建てられ、見張り台として使われていました。
こちらも1788年の大火で多くが焼失し、現在では東南隅櫓と西南隅櫓の2つのみが残っています。

いかがだったでしょうか。
東京の江戸城は現在では公開されていない箇所もあり、全てを見て回ることが難しいのですが、この二条城は広く公開されており、江戸幕府の将軍のための城の造りの遺構がしっかりと見ることができます。
江戸の太平期に増築されていったこともあるため、戦に向けた城というよりかは、徳川家の威光を見せつけるかのような造りになっているのが特徴なのだなあという雰囲気を感じました。
非常に交通アクセスも良い二条城は、京都観光には欠かせないスポットですね。