202【兵庫紀行】西国へ向かうための要所に建設された『篠山城』

百名城/続・百名城(Castle)
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これまでも、篠山城の城下町にあったいろいろな見どころについての記事を書いてきましたが、今回はいよいよその中心だった篠山城について紹介をしていきたいと思います。

江戸期に造られた城ということで、大規模な天守があったわけではなかったのですが、西国監視と篠山の町を治める城郭として、小さいながらにまとまった縄張となっています。

現在は大書院のみが復元されており、内部には多数の資料が展示されています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 城跡そして、城下町まで、町全体で当時の雰囲気を味わうことができる城跡です。

兵庫の城に関する記事です。

453【兵庫紀行】誰もがまずは思い浮かぶであろう赤穂浪士の城『赤穂城』
今回も兵庫の城ですが、日本人であればだれもがよく知っているあの事件にかかわる人々の城です。自分たちの主君を死に追いやった憎き敵をうつために、家臣たちが力を合わせその無念を晴らす、そんな赤穂浪士の話の登場人物たちの居城であったのが赤穂城です。
429【兵庫紀行】模擬天守としては日本最古。大阪湾の絶景を望む『洲本城』
淡路島には、とある城跡が残されています。淡路島の東海岸、大阪湾に面したこの場所に、洲本城跡があります。洲本城は、山上にある上の城と、麓にある下の城とが分かれて存在しており、上の城には天守がそびえてっています。この天守ですが、これはこれでなかなかの歴史のあるものなのです。
354【兵庫紀行】日本初の世界遺産であり、真っ白な姿が美しい魅せる城『姫路城』
姫路城は江戸時代初期の、まだ西国の大名たちが油断できない時期に建てられたこともあり、城の造りとしては戦いのための城になっていることも特徴です。そのため、実際に姫路城に訪れて見ると、天守は見えているのになかなかたどり着けない。。。入り組んだ工夫が盛りだくさんの構造となっているのです。
317【兵庫紀行】西国へ向かう東西交通の要所であった重要拠点『明石城』
江戸幕府にとっては、明石の地は西側諸国を監視・支配するためにはかなり重要なポイントでした。そのため、この明石の地を幕府の重要拠点としようとすることも自然な考えですね。そこで、ここに設けられたのが今回紹介している明石城なのです。
340【兵庫紀行】但馬国を治め、時代によってその場所が移された『出石城・有子山城』
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篠山城城下町に関する記事です。

669【兵庫紀行】日本最古級の木造裁判所の建物を生かした美術館『丹波篠山市立歴史美術館』
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126【兵庫紀行】古き城下町丹波篠山の町中にある『大手食堂』 ここでしか食べられない絶品メニューが!
『食』の名産地丹波篠山にある食事処『大手食堂』。一見するとただの食事処な佇まいではあるのです、提供されるメニュー一つ一つのクオリティが非常に高い食事処なのです。有名なぼたん鍋や丹波篠山牛、山の芋など、ここだけで、丹波篠山のウマいものが堪能できますよ。

篠山城

篠山城は1609年に徳川家康によって築かれた城です。

残されていた豊臣家一族をはじめ、西国の大名を抑制・監視する城として、山陰道の要衝、丹波篠山盆地中心部の丘陵に築かれました。

築城の名手と言われた藤堂高虎によって縄張が担当され、天下普請(※江戸幕府が全国の諸大名に命令し、土木工事を行わせること。)によって、15か国20の大名の助役によってたった6ヶ月という短期間で築城されました。
その後は、篠山藩の藩庁として明治期まで活用されていました。

明治の廃城令にて建物のほとんどは取り壊され、大書院も消失していましたが、近年、大書院が復元され一般に公開されています。

アクセス

JR宝塚線「篠山口駅」から、バスで約15分「二階町」下車で、南へ300m歩いた先にあります。

篠山城へ行ってみた

現在三の丸跡に駐車場があるため、そこまでは車で入ることができます。
写真の、二の丸北側にある入り口から篠山城に入ります。

石垣に囲まれた道を歩いていきます。
こちらは表門跡です。

こちらは中之門跡です。

大書院跡が見えてきました。
写真の門は、鉄門跡です。

鉄門跡を反対側から見てみました。

大書院

篠山城跡地で唯一復元されている大書院に到着しました。

篠山城の大書院は現在の二の丸跡にあった、歴代藩主が新年の祝賀や、公式行事に使用された場所です。

大書院は慶長14年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都の二条城の御殿を参考に建てられたと伝えられています。
建物は、北正面に唐破風をつけた車寄があり、東に中門が付きだす様式です。
書院造の建物であり、内部には9つの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えています。
その中でも、藩主の着座する上段の間は、大床、違棚、帳台構、付書院が設けられています。

明治に入り、明治6年(1873)の廃城令によって篠山城も建物のほとんどが取り壊されましたが、大書院は残されて学校、公会堂として利用されていましたが、昭和19年の失火により失われました。
その後、焼失から56年たった平成12年3月に大書院跡地に復元されました。

その後、昭和31年(1956)に国の史跡に指定されるまで篠山城跡は未整備のままでしたが、石垣修理、民有地の公有化、発掘調査を実施し、篠山城跡の保存に努められてきました。

そして、篠山城の建物復元を望む声の高まりとともに、城跡内の建物の復元可能な場所についての調査研究の末、大書院、資料館、井戸屋形、門などが、4年の歳月をかけて、平成12年(2000)に約12憶円かけて復元されました。

大書院内には篠山城の梵鐘が展示されています。
この梵鐘は、4代藩主である松平康信が、寛文12年(1672)に造られ、城中の道場にかけていたものなのですが、廃城後は京都の新熊野権現社や蓮華寺へと移され、大切に保管されていました。
昭和58年(1983)に310年ぶりに篠山へ戻ってきた梵鐘は、大書院が復元されたのを機に、この場所で展示されることになりました。

大書院9つの間のうちの一つ次の間です。

また、こちらは孔雀の間です。

二の丸御殿跡

大書院も含め、現在の二の丸は、当時は本丸と呼ばれていました。
この場所には大書院や小書院、中奥御殿、奥御殿、台所などの建物と、築山を持つ庭園があり、儀式や執務などを行う場であり、城主が生活を行う重要な場所でした。

篠山城本丸跡

篠山城の最後の砦となるここ本丸跡は、築城当時は殿主丸と呼ばれており、現在の二の丸が本丸と呼ばれていました。

本丸跡には天守台と三か所の隅に置かれた二重の隅櫓、それらの間を多門櫓でつないだ構造となっていました。

こちら本丸には御殿等の建物はなかったようです。

青山神社

本丸跡には青山神社があります。
こちらは篠山藩主であった青山家の御霊を祀る神社として、廃城後の明治15年(1882)に創建されました。

一の井戸

本丸内の北川中央にある一の井戸です。
岩盤をくりぬいたもので、深さ約16mで掘るために2年もかかったと言われています。

天守台

天守台は本丸(当時は殿主丸と呼ばれていた)南東部の場内で最も高く、奥まったところに位置し、石垣の高さは約17m、平面規模は東西約18m、南北約20mあります。

1609年の築城時には、天守閣は江戸幕府に指示により、城郭が堅固すぎるとの理由で建築を中止され、その代わりに南東隅に4m四方単層の隅櫓を配置し、東面と南面に土塀をめぐらせていました。

東方には丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山(八上城跡)が美しい姿を見せています。

篠山城の三の丸の場所には、現在は篠山小学校が建っています。
城跡にある小学校、うらやましい。

いかがだったでしょうか。
江戸期の城下町の色合いがまだまだ強く残る篠山城。
そして、町と城跡ととが共になって、遺構を保存し、活用していこうとする姿が見えてくる城跡でした。
これまで何度も紹介しているように、城下町にも見どころがたくさんの場所なので、セットで楽しんでもらいたい場所でした。

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