203【ブルネイ紀行】14-17世紀にかけて栄えたブルネイ川沿いの遺跡群『コタ・バトゥヘリテージパーク』

ブルネイ(Brunei)
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今回はブルネイにある遺跡を紹介したいと思います。

ブルネイに行ってみたらわかるのですが、あまり遺跡で観光できるところはありません。
しかし、ブルネイもこの地に長く続いてきた歴史ある国です。
何か遺跡がないのか、と探してみたところ、首都バンダルスリブガワンのすぐそばのコタ・バトゥ群、ブルネイ川のほとりに、ブルネイ歴代スルタンの霊廟や、古い墓が発掘された場所があるのです。
コタ・バトゥヘリテージパークと呼ばれるこの一帯には、霊廟や発掘された墓の他に、マレー文化の博物館や、海洋国家であるブルネイの歴史を学ぶことができる博物館があるのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 東南アジアでは比較的大きな混乱もなく歴史を積み重ねてきたブルネイ。そんなブルネイの王族や人々の生活を学んでみましょう。

ブルネイに関する記事です。

001 【ブルネイ紀行】こんな近くに東洋のベニス カンポンアイール
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133【ブルネイ紀行】ブルネイ川のマングローブで、会えたら奇跡のテングザル
東南アジアの小国ブルネイ。世界有数のお金持ち国家としても有名ですが、ブルネイを観光するとなると、実際けっこう見どころは少ないのかなと思ったりもします。しかし、ブルネイには、ブルネイのあるボルネオ島だけでしか体験できないボートツアーがあったのです。

ブルネイ

ブルネイは、ボルネオ島の北部にある三重県ほど広さの小国です。
なかなか訪れる人も少なく、良く知られていない国でもあるのですが、石油と天然ガスなどの天然資源に恵まれ、国民の給与水準も日本以上の国です。
特にロイヤルファミリーは世界でもトップクラスの大富豪であり、そこら中に王の車が停められているなどともいわれています。
そのような国であるため、国民に対しても所得税がなかったり、医療費や教育費も無料であるなど、恵まれた社会保障の国です。
そのため、人々も穏やかな人たちが多いようです。

ブルネイの歴史は実は古く、ロイヤルファミリーも、15世紀に即位したイスラム教の君主でスルタンをはじめとした、世界でも有数の歴史をもつ王族なのです。
都市としては4~5世紀ごろにはこの地域に都市国家があったとされていますが、ブルネイの国家としての基礎は15世紀ころのイスラム教の伝来とともに発展してきました。
その国の立地から、貿易の中継となる海洋国家として発展し、最盛期にはフィリピン南部にあったスールー王国や、インドネシアの一部を含むまでの領土があったそうなのです。

しかし、17世紀に入ると、西欧諸国による東南アジアの植民地化が始まります。
ブルネイもその影響で領土をの大半を失い、最終的にイギリスの保護領となります。
第二次世界大戦期には、東南アジアに南下してきた日本軍の勢力に入りますが、戦後は再びイギリスの統治下にはいります。

その後、イギリス統治時代が1984年まで続きますが、当時ブルネイの預金運用をしていたイギリスの中央銀行のずさんな経営発覚から、最終的に独立機運が高まり、ブルネイの独立につながります。
ブルネイは、ブルネイ・ダルサラーム国として主権を回復し、国際連合にも加盟することとなりした。

コタ・バトゥヘリテージパーク

ブルネイ川のほとり、コタ・バトゥ郡には、ブルネイの歴史を紡いできた遺跡やスルタンの霊廟が残され、保護されているコタ・バトゥヘリテージパークがあります。
今回はその中で、考古学公園と霊廟についての紹介を書いていきたいと思います。
・コタ・バトゥ考古学公園
・スルタン・シャリフ・アリ廟
・スルタン・ボルキア廟

以下の2つの博物館はいずれ別の記事で紹介したいと思います。
・マレー技術博物館
・海洋博物館

アクセス

バンダルスリブガワン中心部にあるバス停留所から、No39バスで約10分ほどで到着します。
ただし、コタ・バトゥヘリテージパークを通り過ぎたところに停留所があるため、そこから最も近いマレー技術博物館まで800mほど歩く必要があります。
ブルネイの日中帯は非常に暑くなるため、暑さ対策は必要になります。
無理はしないようにヘリテージパークに向かいましょう。

コタ・バトゥヘリテージパークへ行ってみた

それでは、コタ・バトゥヘリテージパークへ行ってみましょう。
順番としては、マレー技術博物館の後に海洋博物館、そこからスルタン・シャフリ・アリ廟へ向かうこととなります。

14~17世紀に、ブルネイが東南アジアの貿易の重要拠点だった時代の中心地がこのあたりのコタ・バトゥたったのです。
当時このあたりには25000戸もの住宅があったのだそうです。

道はあるのですが、かなりうっそうと生い茂ったところを進んでいくことになります。
暑いですが、長袖・長ズボンがあったほうがよいかもしれませんね。

スルタン・シャフリ・アリ廟

しばらく進むと、色鮮やかなモスクのような小さな建物が見えてきます。

こちらは、ブルネイの第3代スルタンであった、シャリフ・アリを祀った廟です。
残念ながら中には入れず、この位置からの撮影までです。

こちらで祀られているスルタンは、現在の国教とまでなっているイスラム教を広め、ブルネイの国内に初めのモスクを建設した人物なのだそうです。

次は、コタ・バトゥ考古学公園へ移動します。
またまた草木の生い茂った道を進んでいきます。

コタ・バトゥ考古学公園

歩道を進んでいくと、一旦車道にでます。
そのまま歩いていくと、コタ・バトゥ考古学公園の駐車場が見えてきました。

上の写真の左側の建物は、このエリアで発掘された品々や、コタ・バトゥ地域の歴史について展示されている資料館です。
内部は小さい資料館なので。10~15分程度で十分見終わります。

写真中央の屋根で覆われている場所は、15~16世紀ごろのものとみられている墓地の跡です。

墓地跡

こちらは15~16世紀ごろのものとみられている墓地の跡では、彫刻が施された墓石や、コインや陶器なども発掘されました。

内部は、発掘された現場を上から眺めることができるように、足場が組まれています。

これらが発掘現場になります。
玄蕃は屋根で覆われていることもあり、かなり状態よく保存がされているようでした。

屋根のある墓地をでると、その脇の屋外にも墓地の跡があります。

屋根で覆われた箇所と同じく、15~16世紀のものとみられる9つの墓がこちらでは見つかったのだそうです。

墓地のあたりを越えて、写真の奥に見えている廟に向かってみましょう。

スルタン・ボルキア廟

コタ・バトゥ考古学公園から続く遊歩道を歩いていくと、コンパクトな霊廟が見えてきました。

こちらはブルネイ王国第5代スルタンであった、ボルキアの霊廟です。
15~16世紀に在位した王であり、ブルネイのあるボルネオ島にとどまらず、当時はスールー王国と呼ばれる国があったフィリピン南部にまで勢力を広げ、この時代にブルネイ王国の最大勢力範囲となったのだそうです。

内部まで入ることはできませんが、かなり近くまで撮影することはできます。

霊廟のまわりは上の写真のようになっています。
何かはわからなかったのですが、墓石のようなものが無数に立てられていました。

いかがだったでしょうか。
ブルネイ観光というと、カンポンアイールやモスクの見学などは見どころであるのですが、せっかくなのでこのブルネイの歴史を感じられる遺跡の観光もよいものではないでしょうか。
東南アジアのリッチな国ブルネイらしく、博物館も、考古学公園もたいていの所はほとんど無料で入ることができるブルネイ。
余裕を持った行程で、ぜひすみずみまでみてまわってみませんか。