206【香川紀行】海城だった名残がちらほらと見えてくる『高松城(玉藻城)』

百名城/続・百名城(Castle)
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香川県高松の海から少し入ったところにある高松城は、現在では海に直接面している城ではないのですが、築城から明治期まで、本当に海に面していた全国的にも珍しい海城なのでした。
当時は、海側から見た高松城の姿は本当に素晴らしいものだったのだそうです。
そして、明治の時代にほとんどの建物は取り壊されてしまいましたが、残された遺構から当時の高松城がどのような姿でそびえたっていたのか、頭の中でめいっぱい想像しながら楽しむことができる城跡なのです。

さらに近年は、ARアプリが提供されており、スマホの画面を通してその城跡を見てみると・・・!?

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 天守台や海に面した門など、当時の姿をイメージしながら楽しめる城跡です。さらにARもセットでまわれば、楽しさ倍増です。

香川県のもう一つの城、丸亀城です。

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香川のイメージとしてはうどん県ですね。

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高松城とセットでどうぞ。こんぴらさんです。

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高松城(玉藻城)

高松城は、天正16年(1588)に豊臣秀吉から讃岐一国の地を任されていた生駒正親によって天守などの築城が開始されました。
生駒氏による治世はその後54年間にわたって行われました。

その後、寛永19年(1642)に松平氏が入封し、月見櫓などが建造され、高松城の全貌が出来上がります。

ところが、明治3年(1870)に廃城令によって廃城されるまで、松平家の治世が続き、東讃岐地域の政治の中心的役割を果たした城でした。

もともとは海に面していた海城だったのですが、明治期に海に面した城郭の北側が埋めたてられます。
また城郭建物の多くも破却され、天守も明治17年(1884)に解体され、天守台には松平家初代藩主であった頼重を祀る玉藻廟が建てられていました。

昭和30年(1955)には国史跡に指定され玉藻公園となって現在に至っています。

アクセス

高松城へは、JR高松駅から徒歩5分、琴電高松築港駅からは下車後目の前で高松城西門に到着します。

高松城に行ってみた

それでは高松城に入ってみましょう。

旭橋

駐車場から入り口である東門までは旭橋でつながれています。

旭橋からは高松城の堀の様子がよく見えます。
高松城の堀の水は水路で海とつながっており、海水なのだそうです。

堀に沿って高松名物な琴電が走っています。

東門(大手門)

こちらが東門であり大手門とも呼ばれています。

入場料がかかりますが、新年などは無料公開が行われたりしています。

艮櫓(うしとら櫓)

東門に向かって左側に見えているのが艮櫓(うしとらやぐら)です。
延宝5年(1677)に東の丸の北東の隅櫓として建てられました。北東の方角のことを丑寅(艮)ということから名づけられました。

披雲閣

大正時代に再建された御殿で、現在は市民の文化活動などに利用されています。

疲雲閣の広い庭園には一部江戸時代のものが残っているそうです。

鞘橋

二の丸から本丸へ移動するには必ずこの鞘橋を渡る必要があります。
そのため、有事の際にはこの橋を落とすことで本丸だけでも守ることができるような作りになっています。
写真のような屋根のある橋の形となったのは江戸時代ですが、現在の鞘橋は明治17年(1884)の天守解体が行われたときに架け替えられたものであり、その後の大正時代に橋脚が木製から石製に付け替えられています。

昭和46年(1971)には老朽化から解体修理が行われ、平成23年にも修理されており現在に至っています。

本丸跡 天守台

天守台の石垣は築城後420年が経過しており、老朽化がかなり激しく、崩落の危険性もあったた雨、現在の天守台は平成17年度から修理が行われ、石垣が再建されました。

鞘橋から見た天守台です。
展望ができるようになっているのが見えますね。

ちなみに高松城はARアプリが提供されており、スマホを通して高松城の姿などを確認することができます。
ぜひ、スマホかタブレットに専用のARアプリを入れて訪れてみてください。
この位置から見上げると、立派な天守を見ることができますよ。

天守台に上っていきます。

現在残っている天守台は、地下1階が確認できるようになっています。
これら地下1階の遺構は、平成17年の石垣修理工事の際に天守が建てられていた当時の地下1階の基礎構造がほぼ明らかになったのだそうです。

天守台の隅一角には、展望できるように整備されています。
それでは、こちらにも上ってみましょう。

天守台から

天守台からは城内を眺めることができます。

さらに見渡してみると、瀬戸内海の島々も眺めることができます

琴電の高松築港駅が見えます。
電車が停車しているとこのような堀のすぐそばに電車が停まっている様子を見ることができます。

地久櫓

天守台の西側、本丸の南西隅にはには、地久櫓という櫓跡が残されています。
建築年はわかっていませんが、生駒市の治世時代から存在した櫓であると考えられています。

明治時代に入り、城内の建物が解体される中で合わせて解体されました。

西門

高松城の西側にある門です。
鉄道で訪れた場合にはこちらから入城することになります。

鉄門(くろがねもん)

疲雲閣などのある三の丸から二の丸へ入る門として建てられていた門です。
門があったときには、上部に長屋のような建物を両サイドの石垣に渡すように建てられた櫓門という形式の門であったそうです。

水門

高松城は北の瀬戸内海に面しており、他の三方には堀がめぐらされた海城でした。
日本三大水城(「中津城」「高松城」「今治城」)の一つであり、海上から見るその威容は素晴らしいものだったのだそうです。

江戸時代には、内堀・中堀・外堀と三重の堀で囲まれていましたが、明治期に外濠が埋め垂れられ、市街地化が進み、度重なる讃岐地域の築港工事に伴った埋め立てにより、海とは接しない現在の形となりました。

高松城の堀は、現在も海と水路によってつながっており、干満による水位の変化があったり、海水魚が泳いでいる様子も見ることができます。
そのため城内では現在でも堀でタイの餌やり体験ができます。

月見櫓

月見櫓は、城主が生駒家から松平家に変わったのち、この一帯を新たに埋め立てて造られた郭の隅櫓として、延宝4年(1676)に建てられました。
主に、海側からの出入りを監視するための櫓であったと考えられています。

水手御門

上の写真が重要文化財の水手御門です。

江戸時代、高松城が瀬戸内海に面していた時は、上の写真の石垣から外側は海でした。
このように直接海に向かって開く門は海城独特の物であり、全国でもここだけに現存している門なのだそうです。

高松城の藩主は、水出御門から小舟で海に出て、沖に停泊した御座船に乗り換えて楽しんだり、江戸への参勤交代へ向かったりしていたようです。

いかがだったでしょうか。
日本三大水城ということで、非常に珍しい海城であることに加えて、水出御門のような海に出入りしていた門をみることができるという非常に訪れて見る価値の高い城跡でした。
今現在は瀬戸内海と直接面してはいませんが、実際のその場所から石垣まで海がやってきていた当時の姿を思い出しながら見て回るのもいいものですよ。