今回も妄想紀行ですが、世界遺産の一つにフォーカスしたいと思います。
世界遺産登録には様々な理由があって登録に至っているわけなのですが、その国の輝かしい発展の跡や、人類の歴史を表しているものなどがあります。
ところがその反面、人類が将来にわたって戒めとするため、その出来事を忘れないようにするため、といった理由で登録されている、俗にいう“負の世界遺産”というものに分類されるものがあります。
この負の世界遺産と呼ばれる箇所は、過去に人類の愚かな行いの結果、多くの悲劇が生まれたところが分類されています。
日本でいうと広島の原爆ドームは、世界的にも代表的な世界遺産ですね。
今回は、この負の世界遺産の中でも最も早く1978年に登録された”ゴレ島”について妄想で訪問してみたいと思います。
今回紹介するゴレ島とは、アフリカ大陸の最西部にあるセネガルという国の西部にある半島の先にある小さな島です。
この小さな島ですが、約300年にわたって、奴隷貿易の拠点となった島だったのです。
ゴレ島をはじめ、アフリカ大陸から奴隷として送られていった数は1500万人にもおよぶといわれています。
というわけで、今回のわきみちは、
トルクメニスタンの『ダルヴァザ ~地獄の門~』の妄想紀行です。

日本の『鎌原観音堂』の妄想紀行です。

インドの『エローラ石窟群』の妄想紀行です。

ロシアの『キジ島の木造教会建築群』の妄想紀行です。

エチオピアの『ラリベラの岩窟教会群』の妄想紀行です。

今回の目的地
負の世界遺産
の世界遺産としては次のようなところが挙げられます。
・ゴレ島(セネガル)
・アウシュヴィッツ強制収容所(ポーランド)
・カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群(コロンビア)
・ポトシ市街(ボリビア)
・広島原爆ドーム(日本)
・ロベン島(南アフリカ共和国)
・バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(アフガニスタン)
・モスタル旧市街の古い橋の地区(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
・ル・モール・ブラバン(モーリシャス)
・ビキニ環礁核実験場(マーシャル諸島)
・オーストラリアの囚人遺跡群(オーストラリア)
などなど
今回は、この中で最も早く世界遺産に登録されたセネガルのゴレ島について妄想で紹介していきたいと思います。
ゴレ島

ゴレ島と、アフリカ大陸の最西部にあるセネガルという国の西部にある半島の先にある小さな島です。
見どころ
ゴレ島はアフリカ西岸のセネガルの首都である、かつての有名なパリ・ダカールラリーの終着点としても有名なダカールから沖合3kmにある小島です。
この島が発見されたのは15世紀半ばであり、ヨーロッパの国としてポルトガルが最も早く到達しました。
その後、オランダやイギリスの侵出や、フランス領による植民地支配がはじまるなど、ヨーロッパの国々に統治される植民地時代を迎えますが、その中で、かの悪名高き奴隷貿易であった三角貿易が行われるわけです。
この三角貿易は1848年までの3世紀余り続けられ、奴隷として移送された人々の数は1500万人にも及ぶといわれています。
そんな奴隷貿易の中心となった奴隷の家が今は観光地として残されています。
そして、この地から行われていた奴隷貿易という人類の負の歴史を今もなお伝え続けています。
妄想紀行
とにかく日本からは遠い西アフリカの地
ヨーロッパを経由してやっとのことで首都ダカールに到着しました。
ダカールからゴレ島までは、船で数分で到着します。
ゴレ島自体はとても小さい小島であり、1時間もあれば全てを回ることができます。
この島で最も有名なのが、かつての奴隷貿易の基地であった奴隷の家です。
しばらく島を散策していると、東の海岸沿いに赤茶けた色の建物が見えてきました。
特徴的な日本のカーブを描いた半螺旋階段を上がっていくと、かつて使われていた部屋が残されています。
ただ、実際この建物は商人の家であったらしく、上層階は住居として、下層は倉庫として使われていたのだそうです。
このゴレ島から送られていた奴隷たちは実数としてはそれほど多くはないそうなのですが、人々が貿易の一つの商品として取り扱われていたという負の側面をまざまざと見せつけてきます。
そして、1階の奥には、その奥に海が見える”帰らざる扉”があります。
奴隷の人々は、ここから見える景色をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。
まだまだこの国、この島に興味がわいてきた。
この島には3つの博物館がある。(※)
まだまだこの国の歴史を辿っていきたい。
・・・・・以上、妄想でしたw
(※)・セネガル女性博物館
・ゴレ島セネガル歴史博物館
・IFAN海洋博物館
わきみちポイントは?

ゴレ島には、奴隷貿易に出される奴隷たちを収容していた奴隷の家と呼ばれる建造物があります。
その中には、その向こうに海が見える一つの扉があります。
その扉は「帰らざる扉」と呼ばれており、その扉の先から奴隷たちは移送される船に乗り込んだのだそうです。
そして、二度と扉の内側に戻ってくる奴隷はいなかったのだそうです。
そういった理由から「帰らざる扉」と呼ばれているのです。
セネガル
セネガル共和国はアフリカ大陸の西岸、サハラ砂漠西南端ある国です。
西岸に突き出た半島に首都であるダカールがあり、かつてのパリ・ダカール・ラリーの終着点としてよく知られています。
かつては独自のイスラム文化圏が発展しており、王国が存在した地域でしたが、ポルトガルがこの地に進出し、オランダやイギリスなどもこの地にやってくるようになりますが、1600年代後半にはフランスによって強い影響が及ぶようになります。
そして、ヨーロッパの統治下において、奴隷貿易であった三角貿易が行われていたのです。
特にゴレ島から多数の奴隷たちがアメリカ大陸西インド諸島などに“黒い積み荷”として運ばれていったのです。
奴隷貿易はその後も続き、1848年に廃止されるまで続けられました。
セネガルの国としてのフランスからの独立は1960年であり、セネガル共和国として独立を果たしました。
渡航ルート
日本→ブレーズ・ジャーニュ国際空港(ダカール)
日本からの直行便はありません。
しかも、セネガルへ行くことができる便はかなり少ないので、一旦ヨーロッパ入りすることが大前提となります。
日本からは一旦半日以上かけてヨーロッパへ。
そこからさらに4~5時間ほどでセネガルの首都ダカールに到着します。
トータルで丸1日以上の時間はかかることになります。
最安の便であれば往復15万ほどかかりますが、ルートによっては大きく値段は変わってくることでしょう。
ダカール到着後は、船でゴレ島まで3kmの海路を渡ります。
予算
最安の渡航費を考えると、トータルでは30万円前後が目安になるのではないでしょうか。
とにかくどの渡航ルートを選ぶかによって金額が変わってきます。
どの飛行機を乗り継いで現地に向かうのか、移動手段の組み合わせ次第でトータルの費用は大きく変わってくることかと思います。
いかがだったでしょうか。
【妄想紀行】ですので、あくまでも自分で見て聞いて体験したものではありません。
将来的に、こちらを訪れることがあった場合は、しっかりとした紀行記事としてリライトしていきます。