216【大阪紀行】天然の要害である三好山から見下ろす戦国時代の山城『芥川山城』

百名城/続・百名城(Castle)
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大阪にある有名な城といえば?
と聞かれると真っ先に上がるのはやはり大阪城でしょう。

天下人となった豊臣秀吉の居城であった大阪城。
大坂の陣の後、秀吉時代のものは徹底的に壊されたため、今現在見えている大阪城の縄張は徳川時代の物であり、現在の天守は昭和6年に再建された三代目天守です。この三代目天守がこれまでの天守の中では一番長く存在しており、古くから残る鉄筋コンクリート造りの建造物として価値が増してきており、国の登録有形文化財に登録されています。

しかし、そんな大阪の地にも、大阪城以外にも多くの城が存在したわけです。
特に織田信長の時代から豊臣秀吉の時代にかけては、時代の中心地として存在した地でもあるため、歴史的に重要な城が多くあり、そのほとんどが今は跡が残るのみとなっています。

今回紹介するのはそんな大阪の地にあった芥川山城という城です。
以前紹介した飯盛城が、実は三好長慶による三好政権の中心地であったように、芥川山上もその三好長慶が飯盛城に移る前に居城としていた城なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 飯盛城と並んで巨大な規模だった、摂津峡の断崖を利用した天然の要害山城を見に行ってみよう。

大阪の三好家に由来のある飯盛城についての記事です。

176【大阪紀行】最後は、畿内の有力大名だった三好家の居城『飯盛城』
かの有名な戦国の三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が、天下を統一していったことは有名ですが、実は信長よりも前に転嫁を取った天下人がいたのです。その人物は、三好長慶であり、その三好長慶が拠点とした城が今回紹介する飯盛城なのです。

芥川山城

芥川山城は、大阪にあった戦国時代の山城です。
芥川城や三好山城、原城、城山城ともよばれれています。
芥川山城の規模は、大阪府下にあった山城の中でも最大規模であったらしく、その規模は飯盛城と同じくらいのものだったそうです。

芥川山城は、摂津峡を隣接する三好山(標高約182m)上に築かれています。
摂津峡の断崖を有して、その周りを芥川によって囲まれていることにより、天然の要害として築かれています。

芥川山城は1515年に城主であった能勢氏によって築かれました。
その後、1533年には細川晴元が芥川山城に入場。
新しい曲輪の増設や、防御面の拡充が行われ、晴元が京都に移った後も、度々芥川山城に戻り指揮をとるなど、重要な立地にある城として取り扱われてきました。
しかし、1547年には、正式に三好長慶の支配下にはいります。
三好長慶は芥川山城を拠点としあすが、自身が1560年い飯盛城へ移ると、息子の義興に城主を譲ります。

1568年には織田信長による摂津への侵攻があり、その際に芥川山城は落城し、信長によって摂津三守護であった和田惟政を城主に置きました。
和田惟政は後に高槻上に移り、家臣であった高山友照が芥川山城を預かることとなりますが、この高山友照と息子である高山右近が和田氏を追放して高槻城主になるとともに、芥川山城は1571年に廃城になったと考えられています。

芥川山城は2017年に続日本百名城に、同じく大阪の飯盛城と共に選定されました。

アクセス

JR高槻駅からバスに乗車し約5km北上して、塚脇バス停下車
そこから山頂までは徒歩で約30分の道のりです。

芥川山城に行ってみた

それでは芥川山城へ行ってみましょう。

芥川山城の登山口までは町中を歩いていきます。
三好山と案内があるため、これを目印にして進んでいきます。

しばらく町中の道が続きます。

しばらく進んでいくと風景が変わり、登山口が見えてきます。
写真の中央右側ぐらいが登山口の入り口になります。
駐車場は特にはないので注意です。

いよいよスタートです。この看板が目印です。
40分とありますが、普通に歩けば30分もかかりません。
またそれほど険しい山道ではありませんが、足元は悪いところが結構あるのでそのあたりは注意が必要です。

大体これぐらいの道幅の道を進んでいきます。
左側が針金で作られたような柵なので、足を踏み外さないように注意が必要です。

ところどころに石垣が見えてきます。
バラバラの大きさの自然石が積み上げられた、石垣になっています。

竹林の間を進んでいきます。
ところどころ、親切に手書きの案内テープが貼られています。
ちなみに、芥川山城の跡地はハイキングコースとして整備されていますが、現在このあたり一帯は私有地らしいのでそのあたりは頭に入れて、節度ある見学をする必要があります。

さらに進んでいきます。
山道の状態は、写真のようになかなか荒んでいます。

竪土塁の跡にやってきました。
案内がとてもありがたいですね。
これがないと見過ごしてしまいそうでした。

案内からさらに進んでいくと、

竪土塁です。
写真中央の山道の両サイドは、切り立った形になっています。

さらに奥へ進んでいきましょう。

碑が見えてきました。
こちらには城山城跡(芥川山城)と書かれています。

こちらは炭焼きの窯跡だそうです。

視界が開けてきました。
山頂近くからの眺望です。
戦国期の山城らしく、確かにここなら、やってくる敵襲もよく見えそうな戦うための城です。

石垣も増えてきました。
なぜか自転車が放置されていました。
どうやってここまでこれたのかはわかりません。

ここが大石垣なのか、立派な石垣が続きます。

井戸らしきものがありました。

下山してきました。
入り口とは異なり、摂津峡の方に降りてきました。

ところが、芥川に架かる橋が途中で途切れているのが分かるでしょうか。

どうも、数日前の増水で流れたそうなのです。
反対岸まで渡れません。
向こうへ行くか、ここまで降りてきた山道を戻るか・・・。

まあ、戻りはしませんよね・・・。
少し軟化したところに、上記のような小さな滝があったため、そこを靴を手持ちで渡りました。

まあなんとか無事に駐車場へ戻れました。

いかがだったでしょうか。
ほとんどの道のりが山道であり、ここが城跡なのかあ、といったようにはっきりとわかる遺構も少ないため、なかなかわかりにくいところであったかもしれませんが、今回まわったのはおそらく大規模な遺構の中でも一部分であり、さらに調べてから再度訪れると、もっと楽しめるのではないかなと思いました。