イタリアの中部にある古代都市ポンペイ。
世界遺産にも登録されているこの年は、今から2000年ほど前に、ヴェスビオ山の噴火による火砕流や高温ガスによって街全体が破壊され、1700年以上もの間地中に埋もれていた伝説の街なのです。
そのため、毎年毎年多数の観光客がこの地を訪れ、古代都市を実際に体感し、ここで見つかった美術品などの美しさに驚嘆しているわけです。
ところが、この世界遺産都市ポンペイでは、とある問題が発生していたのです。
地中に埋まっていた都市であることと、発掘を経て地上に現れたことで劣化が進み、至る所に遺物や古代の建造物などの破片が落ちているのだそうです。
そして、それらの遺物や破片や一部などを持ち帰ってしまっている観光客が多数いるのです。
しかし、人々は幸運のアイテムと思い、持ち帰ったのかもしれませんが、幸運どころか、それは人々にとんでもないことを引き寄せるアイテムだったのです。
というわけで、今回のわきみちは、
日本のポンペイとも呼ばれる、鎌原観音堂についての妄想紀行です。

世界遺産ポンペイ

イタリアのポンペイは、ナポリの近郊に存在した古代都市です。
この町が一躍有名になった理由は、近代までこの街の存在は伝説でもあったからなのです。
ポンペイの町は、西暦79年、北西にあるヴェスビオ山の噴火による時速100kmを超す火砕流によって、一瞬にして町が5m以上もの地中に埋まってしまい、街にとどまり逃げ遅れていた約2000人が犠牲になったと伝えられています。
人々は、高温のガスにより一瞬で脳が沸騰し、その上記によって頭蓋骨が破裂して絶命したたものと言われています。
そして、人々の上に火山灰が降り積もり、完全に街も人も地中に埋もれたのです。
その後1700年以上、時折発掘される古代の品々から、地中に都市が埋もれていることはわかっていた模様ですが、実際に発掘されることはなく時間だけが過ぎていました。
18世紀半ばになりポンペイが発見され、当時の建造物や壁画などが発掘され、現代もなお発掘が続けられています。
そして発掘の際には、火山灰の堆積層の中に不思議な空洞が次々に見つかります。
考古学者たちによってこの空洞に石膏を流し込むと、そこには逃げまどいながら最後の時を迎えた人々の苦しむ様子がそのままに残されていたのです。
空洞は人々が埋もれ、腐敗した後消失し、できあがった空洞だったのです。
発掘された建造物や壁画、美術品などは、その状態の良さに世界中が驚愕しました。
偶然にも街を覆った火山灰が、乾燥材として働き、街全体を隙間なく覆ったために、建造物や美術品などの劣化を最小限に抑えたのだそうです。
そのため、今もなおポンペイの街の跡には、建物の跡が多数残されているのです。
そんなポンペイは1997年に世界遺産登録が為されますが、発掘されて白日の下に現れたポンペイ遺跡には新たな問題が発生します。
地上に現れ、雨風にさらされることによって、劣化が進行するようになってしまっているのです。
いくつかの建物や壁などは、これまでに倒壊したりするなどがみられています。
そして、建物群が劣化していくことにより、そこを訪れる人々が新たな問題を引き起こしていたのでした。
アクセス
ローマから南にあるポンペイ遺跡までは、約250kmであり、電車で片道3~4時間(乗り継ぎを含む)で到着が可能です。
世界遺産ポンペイの遺物を持ち帰ると・・・

ある日、ポンペイ考古学公園に荷物が届きます。
中には、ポンペイ遺跡のモザイクタイルや花瓶、セラミックの壁などが入れられていました。
送り主はニコールというカナダ人女性。
そしてそこには手紙が添えられていました。
手紙によると、2005年にポンペイを訪れたその女性は、当時の自分はお金で買えない歴史が欲しかったと、ポンペイの遺物を持ち帰ってしまったのでした
手紙には、当時の自分の若気の至りをばかげたこととと反省が述べられていました。
なぜ15年も経って彼女は変えそうと思ったのか。
底には理由があったのでした。
ポンペイからカナダに戻ったその女性は、母国に帰って以来、深刻な健康問題や経済問題に見舞われます。
乳がんによる乳房切除手術を2回受け、それに伴って彼女の家族も多大な経済的問題が発生したのです。
このポンペイの遺物がそれらの事態を引き起こしたのかどうかはわかりません。
しかし、これらの遺物が彼女のもとにやってきてから、負の出来事が彼女を襲っていたのも確かなのです。
噴火による火砕流や火山灰、高温のガスなどの恐ろしい方法によって亡くなった多くの人々。
底に残された遺物には多くの負のエネルギーが宿っているのかもしれません。
最終的にポンペイの遺物を返却したことを選択したニコール。
しかしポンペイ考古学公園当局の人々は、この出来事に驚きませんでした。
実は、ニコールの手紙よりも前から、何年にもわたって約100人の訪問者から、ポンペイ訪問中に盗んだモザイクタイルや石膏の破片などの小さな遺物を返されてきていたのです。
そのため、ニコールの手紙には誰も驚かなかったのです。
果たして、ポンペイの遺物が本当に人々に不幸を引き寄せるのか。
100人もの人々から実際に同じ理由で遺物が返されている事実を考えると・・・。ただ単なる夢物語だとは言い切れないのかもしれませんね。
これら、返品された遺物や、同封された手紙は、ポンペイアンティーククォーリウムにて展示されています。

いかがだったでしょうか。
人類共通の資産である世界遺産。
もちろん自分のためだけにこれらを盗み帰ることは大きな問題です。
歴史に裏付けられた遺物は、その場所にあるからこそ歴史を伝え続けるものだと思います。
今回のような、盗み帰った者たちへの不幸な出来事というのは、先人たちからのメッセージなのかもしれませんね。