221【ベトナム紀行】ベトナムの負の歴史、今の平和は歴史を学ぶことから始まる『ベトナム戦争証跡博物館』

ベトナム(Vietnum)
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20年も続き、ベトナム各地に深い傷跡を残した1955年~1975年まで続いたベトナム戦争
ベトナム戦争はそれまでの戦争とは異なり、当時その様子は、多数のジャーナリストによって世界中に報道された戦争でした。
そのため、戦争という名目のもとに、あらゆる戦争の非人道的な部分がクローズアップされる結果となったのです。
そして今もなお、ベトナム戦争の影響はなくなったわけではありません。
しかし、この国の人々はつらく長い戦争を乗り越え、今現在目まぐるしく経済成長を遂げているベトナムという国を作り上げてきたのです。

歴史を知ることは未来を知ることだといわれています。
人類がなぜ、20年にも及ぶ戦争に突き進んでいってしまったのか。
そんないきさつを知ることによって、人類が再び過ちを起こさないように、新たな未来を紡いでいかなければならないのです。

そんなベトナムの戦争史を学ぶことができるのが、このベトナム戦争証跡博物館です。
館内には多数の欧米からの観光客がいました。
どこの国に行っても、その歴史を学ぶことができる施設には欧米からの人々が多数います。
いつも日本人らしき人をなかなか見かけないのは残念なことです。
その国を本当に実感するためには負の側面にも目を背けてはいけないのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ベトナムの人々の笑顔や活力は、自分たちで過去を乗り越えてきた生き様からやってくるものなのです。

ベトナム戦争で被害を受けたフエ王宮の記事です。

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ベトナム戦争

ベトナム戦争とは第二次インドシナ戦争ともいわれる、南北に分かれていたベトナムが、ベトナム統治を巡って繰り広げられた、1955年から1975年までの20年にもわたり、数百万人もの死者が出た戦争です。
この戦争は、冷戦時代に行われ、北ベトナム(ベトナム民主共和国)を支援するソビエト連邦と、南ベトナム(ベトナム共和国)を支援するアメリカ合衆国との代理戦争でもあります。

第二次世界大戦中にはベトナム一帯は日本軍によって支配を受けていましたが、1945年の終戦後に、日本軍が撤退した後に、北ベトナム(ベトナム民主共和国)が建国され、そのしばらく後に南ベトナム(ベトナム共和国)が建国されることになり、ベトナムは南北に分かれます。

1960年代前半に入ると、アメリカ合衆国大統領だったケネディが南ベトナムに援軍を派遣し、本格的にベトナム戦争に介入していくこととなります。
当時の北ベトナムには、南ベトナムの支配からの解放を目ざした、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成されます。
アメリカ軍はこのベトコンのゲリラ戦法に翻弄され、どこに敵が潜んでいるかわからない恐怖によって、軍人や民間人かがわからず、徹底的に攻撃を仕掛けるしかできない状態に陥っていきます。
この時に、密林に潜むゲリラ軍に対して戦況を有利にするために行われたのが、かの有名な枯葉剤の散布です。
枯葉剤によって密林を絶やし、ゲリラ軍を見つけやすくする目的で行われたのですが、この枯葉剤によるダイオキシンによって、密林を枯らすだけではなく、後にベトちゃんドクちゃんで有名になった結合双生児などの奇形児の問題が長い間ベトナムの人々を苦しめます。

1960年代後半には北ベトナムにソビエト連邦が軍事支援を始めます。
それに対抗するかのようにアメリカ軍による北ベトナムの空爆(北爆)が始まり、戦争は激化していきます。
ベトナム戦争では、アメリカ合衆国は戦場へのジャーナリストの帯同を許可していました。
そのため、ベトナム戦争は世界で初めて、戦争というものがどのようなものなのか、テレビのスクリーンを通して白日の下にさらされた戦争だったのです。
その多くのメディアによる報道によって、世界中から反戦を求める声が高まり、アメリカ合衆国が戦争を続けることができなくなります。
最終的に、アメリカの撤退によって弱体化した南ベトナム軍は、北ベトナムの侵攻に抗うことができなくなり、1975年に南ベトナムのサイゴンが陥落し、北ベトナムの勝利が決定し、統一ベトナムである、ベトナム社会主義共和国が成立しました。

こちらは、ベトナム戦争証跡博物館の近くにある統一会堂と呼ばれる建物です。
1975年大統領府であったこの建物に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車がフェンスを破り突入します。
そして、その瞬間の映像がサイゴン陥落の瞬間として全世界に配信され、一躍有名となったのでした。

しかし、20年以上もの戦争が人々に残した爪痕はあまりにも大きく、経済成長著しいベトナムではありますが、ダイオキシンの被害にもみられるように戦後45年過ぎてもなおベトナムの人々を苦しめ続けているのです。

ベトナム戦争証跡博物館

ベトナムのホーチミン市の中心部にあるベトナム戦争証跡博物館は、このようなベトナム戦争の歴史を綴った博物館となっています。

屋外に展示されている戦闘機類や、数々の戦場カメラマンによっておさめられた数々の写真、枯葉剤によって誕生した多くの奇形児など、多くの目を背けてしまうような展示があります。
しかし、毎年世界から約100万人が来館し、ベトナム戦争の残酷さ、悲惨さを人々に伝え、戦争について考えさせるベトナムを知るための貴重な拠点となっています。

アクセス

統一会堂から徒歩で北に200mほど行ったところにあります。

ベトナム戦争証跡博物館へ行ってみた

それでは、ベトナム戦争証跡博物館に行ってみましょう。

館内は三階建てになっており、けっこう大きな造りになっています。
また、館の周りには屋外展示も行われています。

館内の案内マップです。

屋外展示

まずは屋外の展示を見て回りましょう。
アメリカ空軍機です。

戦車や戦闘用ヘリの展示も多数ありました。

こちらは爆弾、弾頭の展示がありました。
手前の物は非常に大きいのですが、こういったものも上空から投下されたのでしょう。

屋内展示

館内に入ると、中央部には大きな吹き抜けがあります。
どのフロアもその吹き抜けを囲むようにして展示室が設けられています。

1階には、世界的に巻き起こった、ベトナム反戦運動に関する資料が展示されています。
2階は戦争犯罪についての展示があります。
3階には、ベトナム戦争に至った歴史的な経緯や、戦争と平和について説明された資料などが展示されていました。

上の写真の一角は、日本で起こった反ベトナム戦争運動に関する資料が展示されていました。

有名な「世界人類が平和でありますように」と書かれたピースポールの展示がありました。

第二次世界大戦、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争とをその規模で比較した資料でした。
ベトナム戦争がいかに長く続き、どれだけの兵器やお金が使われ、どれだけが犠牲になったのかがよくわかります。

枯葉剤で全滅したマングローブの森にたたずむ少年です。
この初心は終戦から一年目の物だそうですが、地表はダイオキシンで汚染されたままの状態です。

1966年にピュリツァー賞をとった有名な写真「安全への逃避」です。

1968年アメリカ軍兵士が非武装のベトナム人住民を虐殺したソンミ村虐殺事件について説明された地図です。
この事件は、ベトナム反戦運動のシンボルとなり、大きな批判の声につながり、アメリカ軍が支持を失うきっかけとなった出来事なのでした。

こちらも有名なピュリツァー賞を受賞した、全身にやけどを負い、逃げまどう少女を撮影した「戦争の恐怖」です。
なお、こちらの写真の少女は現在もまだカナダでご存命なのだそうです。

枯葉剤による多数の影響を受けた森林の写真です。
その中には、枯葉剤(Agent Orange)によって、人々がどのような被害を受けたのかに関する展示があります。
多数生まれた枯葉剤による奇形児等の展示も行われていました。

ベトナム戦争の規模について書かれた資料類です。

南ベトナム各地でどのような事件が繰り広げられたかについて説明がなされていました。

コンソン島刑務所の牢獄

ホーチミンから南に200km、ベトナム沖にあるコンソン島刑務所の牢獄を再現したエリアです。
コンソン島の刑務所は、フランス植民地下の、政治犯を収容する施設として建設されました。その後、南ベトナム政府によって管理されていました。
ここでは数々の囚人に対する残虐行為が行われていたのだそうです。

囚人をこの鉄製の多数の穴があけあられた器具の上で回転させ、無数の傷をつけるための拷問器具の要でした。

タイガーケージと呼ばれる、窮屈な檻です。
あまりに窮屈なため、中ではかがむことだけしかできず、体を伸ばすことはできなかったようです。

囚人は小さな牢屋に押し込まれてコンクリートのベッドに繋がれます。
牢の天井部は格子になっており、看守はそこから竹竿で囚人を突かれていたのだそうです。

こちらはギロチンの器具です。

この穴から頭を出して、

上からギロチンの刃を落とすのです。

このように、囚人たちに対していかに拷問が繰り返されていたかが非常によくわかる展示となってい増した。
実際のコンソン島にも、本物の施設を使った博物館があるそうなので、いずれそちらも訪問してみたいと思います。

いかがだったでしょうか。
今回は大きな博物館の中のほんの一部だけを紹介しました。
ベトナム戦争は、非常に長い期間続き、その経緯も複雑なものとなっているため、なかなか全貌を理解することが難しい戦争でもあります。
しかし、その国を知るためには、避けては通れない歴史なのだと思います。
ベトナムの人々がどのような苦難を乗り越え、現在の活力につなげていっているのか、しっかりと学んだうえで、国と国との深い付き合いを目ざしていきたいですね。