222【徳島紀行】山脈と川、天然の要害に囲まれた山城『一宮城』

百名城/続・百名城(Castle)
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南北朝時代から戦国時代にかけての城づくりの特徴としては、やはり戦うための城であるという点が表されている点であるでしょう。
そのため、この時代の城はもともと天然の要害である山城であることが多く、周辺に断崖絶壁や自然の川などが効果的な配置になるところに山城が置かれ、攻守ともに強い城づくりが行われてきたのです。

今回紹介している徳島県にある一宮城も、自然の鮎喰川と、山々といった要害に囲まれた堅固な造りの山城なのです。
そして今もなお、城を守るために効果的に配置された曲輪や石垣、土塁や堀切などの遺構が残っており、この時代の山岳武士の拠点であった頃の様相が、状態良く残されているのです。

続日本百名城に登録されたこともあって、これから注目度が高まっていく城の一つであると思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 阿波九城の一つ、天然の要害に囲まれた堅固な城跡を堪能しに行ってみよう。

百名城ピックアップ記事です。

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一宮城

一宮城は暦応元年(北朝)・延元3年(南朝)(1338)に、小笠原(一宮)長宗によって築城されたとされ、前方に鮎喰川、背後には険しい山々がそびえ立つ天然の要害に築かれた県内最大級の山城跡です。
天然の地形を利用した堅牢な山城のみならず、その構造もすこぶる精巧堅固であったために阿波の名城に数えられています。
現在は、標高144mの地点に本丸跡、それを囲むように石垣の跡が残っています。
また明神丸、才蔵丸、水ノ手丸、小倉丸、椎ノ丸といった曲輪、堀や土塁の跡、倉庫跡の遺構も残っており、貯水池といわれているくぼ地もその跡をとどめており、南北朝時代から戦国時代にかけての山城の特徴がよく残されています。

南北朝時代は南朝の山岳武士の拠点であり、一宮氏の山城として整備されていましたが、一宮成祐の時代の天正10年(1582)に長曾我部元親の侵攻を受け占拠されてしまいます。

その後は、豊臣秀吉の命により、鮎喰川を挟んで豊臣秀長と長曾我部元親とが攻防を繰り広げられます。
そして、豊臣秀吉の命により蜂須賀氏がこの地に最初に入城したのが一宮城でした。
その後蜂須賀氏は徳島城に移り、家臣の益田長行が一宮城を預かることとなります。
一宮城は徳島城の支城(阿波九城の一つ)として、徳川幕府の一国一城令によって寛永15年(1683)に廃城となるまで存続していました。

一宮城周辺には、一宮城までの登山道入り口となる一宮神社や、四国八十八ヶ所第13番札所である大日寺などがあります。

アクセス

公共交通機関ではアクセスのしにくい場所にあります。
車で向かう場合は、一宮神社に参拝者用無料駐車場が有り、そこから本丸跡までは徒歩で約30分の道のりとなります。

一宮城に行ってみた

それでは一宮城に向かって登山道を登っていきたいと思います。

麓にある一宮神社に駐車場があるため、ここに車を停めて出発です。

登山道入り口です。
ここから600mほどの道のりですが、階段が敷設されており、とても登りやすい登山道になっています。

写真のような階段が本丸跡に向けて続いています。

途中にあるこの付近は経筒の出土地であるらしく、12世紀ころのものと思われる銅製の経筒が出土しました。

竪堀

ここは竪堀跡となっています。
山城の周囲に防御する場合、堀切と合わせて竪堀を配置することで、より堅牢な守りを実現することができるのだそうです。

このあたりまでくると階段は敷設されていませんが、それほど傾斜はきつくはないので、それほど疲れずに歩くことができます。

倉庫跡

一宮城には倉庫跡が2か所あり、穀類や戦闘用の道具類を保管していたところでした。
両方とも登山道の要所に置かれていましたが、戦いの際に焼かれたとされています。

さらに奥の本丸に向けて進んでいきましょう。

曲輪

ここは曲輪の一つの跡になります。
特に名前は無いようでした。

湧水

城の周辺では所々で湧き水が見られるそうですが、山城ではやはり水の確保には苦労していたのでしょう。

堀切

この堀切は明神丸から続く尾根を切り崩して作られており、それによって才蔵丸は孤立した曲輪となっているのだそうです。

才蔵丸虎口

才蔵丸虎口は西端の一ヵ所あり、堀切に面しています。

才蔵丸跡

才蔵丸は登城口から最初に到達する曲輪で、三の丸とも呼ばれています。
標高は129m地点にあり、侵入者を防御しています。

竪堀

本丸跡が近づいてきました。
ここにも本丸を守るための竪堀が造られていました。

門跡

帯曲輪へ向かうための門跡です。
ここから左に向かうと本丸跡。
右に向かうと明神丸(二の丸)跡へ行くことができます。

帯曲輪

ここは帯曲輪と呼ばれ、曲輪の側面や城の周りを帯状に細長く囲んだ形になっています。
ここの帯曲輪は、本丸と明神丸を結んで、城を守るための大切な曲輪でした。

本丸跡

本丸は一宮城敷地内の最高所に位置しています。
本丸周囲は現在も石垣が残っており、本丸の東側には虎口が設けられています。
ここは門の上に櫓を設けた、櫓門になっていたのだそうです。

廃城後は若宮神社と呼ばれています。
本丸周辺は石垣によって囲まれていますが、天守台が存在していないため、天守があったのかどうかは不明なのだそうです。

釜床跡

本丸の西側に一段下がった場所に釜床跡があります。
ここは城の炊事場の跡で、以前は数基の跡が残っていましたが、現在は本丸の下に釜床の石組が1基だけ残されています。

本丸跡の周囲に降りてみましょう。

本丸下の石垣です。
状態良く残されている様子がわかりますね。
一宮城では本丸の周囲のみ石垣によって囲まれています。

本丸跡からの眺めです。
眼下に鮎喰川の流れが見えますね。
敵の進軍もここからであればよく見えそうです。

本丸跡には井戸の跡も残されていました。

いかがだったでしょうか。
かなり古い山城跡なのですが、それぞれの遺構が状態良く保存されている非常に見ごたえのある山城跡でした。
交通アクセスがあまりよくないので、その点がネックではあるのですが、それ以上の価値はあるスポットですよ。