223【広島紀行】日本三景の厳島、平清盛により社殿の整えられた大鳥居で知られる『宮島 厳島神社』

日本の世界遺産(Japan Heritage)
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広島には世界的に有名な観光地が多数あります。
その代表的なものはやはり、負の世界遺産としても外してはならない原爆ドームでしょう。
核廃絶をどのくによりも先頭に立って進めていかなければならない、その象徴として、世界中の多くの人に戦争と平和について投げかけ続けている建造物です。

また、もう一つ代表的な観光地としては宮島/厳島神社があります。(宮島は厳島とも言います。)
海の中に建つ真っ赤な大鳥居が強烈な印象を与える大人気な観光地です。
島全体が神聖な場として、1500年ほどの歴史があり、歴史の有力者たちによって庇護を受け続け、今日でもなおその荘厳な姿を保ち続けています。
フランスのモンサンミシェルとも姉妹提携を結んでおり、どちらも海の中に浮かぶ建造物が印象的ですよね。
歴史的な長さから見れば、日本のモンサンミシェルという言い方ではなく、フランスの厳島神社といったほうがいいのかもしれませんね。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 世界中から訪れる人々に連日のように大人気の宮島/厳島神社。いくならば、早朝のフェリーで行きましょう。

広島の新幹線線路の下にある続日本百名城、三原城の記事です。

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実は15kmほどの近さにある、錦帯橋の記事です。

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厳島神社

宮島(厳島)は、古来より島全体が神として人々に信仰されてきました。
そんな宮島にある国宝 厳島神社ですが、推古天皇即位元年(593)に、この地域の有力者であった佐伯鞍職によって創建されたと伝えられています。
霊峰弥山を背景に、前面を海に臨む入り江に建てられた特徴的な神社建築です。
その後、仁安3年(1168)に、厳島神社といえばこの人物、太政大臣であった平清盛公によって社殿が造営されました。
その造りは、寝殿造りを取り入れ、現在も残る社殿の礎となっていわれています。

その立地からも分かるように、海の入り江に建つ立地的な面や、海に立つ木造建築という過酷な環境下であることから、数々の災害に見舞われます。
鎌倉時代には二度の火災が起こり、その後も台風等によって何度も被災するも、それぞれの時代の有力者であった大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、人々の尽力によって修復され受けつがれてきました。

平成8年(1996)には、世界文化遺産に登録されました。
島内には五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられており、日本古来の神道と、仏教とがまじりあった文化遺産として、他に類のない景観を造りだしています。
世界遺産の範囲は厳島神社境内地と弥山北斜面が登録されており、それ以外の島内が鑑賞保護区域として設定されました。

観光友好都市提携として、フランスのモンサンミシェルと姉妹提携を結んでいます

アクセス

JR宮島口駅から連絡船にのり宮島まで移動します。
車での島内への乗り入れはできないため、対岸の駐車場(有料)に停めてから連絡船に乗るようにします。
日中帯はこの連絡船はかなり込み合います。
早朝の渡島がゆったりしており、帰りも余裕をもって戻ってくることができるためお勧めです。

宮島 厳島神社に行ってみた

それでは、宮島(厳島)そして厳島神社に行ってみましょう。

なにはともあれ、フェリーに乗らなければなりません。
早朝便に乗ったのでまだ空いていますね。

いざ、フェリーに乗り込みます。

宮島に到着しました。
こちらが宮島側のフェリー乗り場です。

フェリー乗り場から厳島神社までは徒歩で700mあります。

途中には土産物屋(早朝だったので開いておらず)や、鹿がくつろいでいたりしました。

日本三景 宮島の碑です。
ちなみに、松島、天橋立、宮島が日本三景です。

向かって右手に大鳥居が見えてきました。

もうすぐ厳島神社到着です。

この時間は大鳥居の近くまではなんとか行けそうです。

厳島神社

社殿に到着しました。

この日は、広島原爆投下の8月6日でした。
午前8時15分にサイレンが鳴り響き、広島の原爆投下地点に向けて1分間の黙祷が行われました。

平舞台と呼ばれるところです。
満潮になると海がやってきますが、海が荒れて下から海水が増水した時にでも、木造の舞台が流されないように、台風などが近づいてきたときには重りとなる石が多数置かれるのだそうです。

高舞台と呼ばれるところです。
厳島神社全体が、大きなステージのような造りになっています。

こちらは能舞台ですね。

大鳥居

いよいよ大鳥居に向かって行きたいと思います。
海が引き潮のため、大鳥居近くまで歩いていくことができます。
カニが大量にうごめいていました。

大鳥居は国の重要文化財です。
平安時代から数えて8代目であり、明治8年に再建されました。
大鳥居自体は木造ですが、海に浮かばないように内部に石を入れることで石造りの鳥居と同じぐらいの重さになるようにしているのだそうです。

大鳥居側から見た社殿です。

清盛神社

清盛神社の創建は他に比べるとまだ新しく、昭和29年です。
平清盛没後770年を機に創建されたのだそうです。

大願寺

大願寺は、日本三弁財天の一つ厳島弁財天を祀る真言宗の寺です、
室町時代末期に厳島神社の修理造営権を得て、傑出した住職たちによって明治維新までは厳島神社の修理、造営を司っていました。

反橋(そりばし)

西廻廊へと渡る反橋(そりばし)です。
往時は天皇からの使者だけが渡ることを許されたことから勅使橋とも呼ばれているのだそうです。

豊国神社(千畳閣)

千畳閣は厳島神社のそばにある神社建築であり、厳島神社末社豊国神社本殿のことを表しています。内部を見てみると、畳857枚分の広さがあることからこの名前で呼ばれるようになりました。

五重塔

正式には厳島神社の末社 豊国神社の五重塔であり、室町時代の後期に創建された塔であると言われています。
何度か修繕は行われていますが、室町時代の建造物の容姿を留めていることで非常に貴重な建造物なのです。

フェリーターミナルへ戻る時間ぐらいになるとお土産屋もほとんどが開いていました。
土産屋巡りも楽しみの一つですね。

要害山(宮尾城跡)

こちらは要害山の厳島合戦跡です。

天文20年(1551)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、その家臣であった陶晴賢の謀反によって滅亡しました。
義隆と盟友関係であった毛利元就は、陶氏に対して挙兵しますが、戦力的に陶軍が勝っていたため、元就は奇襲で攻め入ることにします。
また、軍勢の関係で平地での戦いを不利と見た元就は、厳島に戦場を求め、弘治元年(1555)に宮尾城を築き、陶の二万余の大軍をおびき寄せます。
元就は自軍3500の兵とともに、暴風と夜陰に乗じて、厳島神社の背後から上陸し、陶軍の本陣を急襲します。
これに加え大鳥居側の海から元就の三男 小早川隆景の軍が上陸し、宮尾城の兵と共に、厳島神社周辺で大激戦となった結果、陶軍は壊滅することに成功します。
その後、陶晴賢は敗走し自刃します。

これが世にいう厳島合戦として伝えられています。
この合戦に勝利した毛利元就は、戦いで荒れた厳島神社の再建・修理に務め、この後に続く中国地方統一を歩みだしました。

行者堂

山中には行者堂と呼ばれる小さな建物があります。
ここは、修験道の祖を祀っているお宮なのだそうです。

いかがだったでしょうか。
今回は厳島神社を中心にした見どころを紹介してきましたが、宮島島内にはロープウェーで弥山を登頂し、展望を楽しんだり、宮島水族館「みやじマリン」宮島歴史民俗資料館など、見どころがかなりたくさんあります。
また、参道もたくさんの店で賑わっており、丸一日いても飽きないことでしょう。
世界的にも大人気なこの宮島をゆったりとめぐってみてはいかがでしょうか。