ウズベキスタンの首都タシケント(タシュケント)。
ここは、古くはシルクロード、砂漠地帯のオアシスにある中継都市として、東西から多くのものが集まる物流の中心地として発展していました。
現在でも、ウズベキスタン国内最大の商都です。
街には、中央アジアではほとんど見かけられない地下鉄も敷設されており、さぞかし活気あふれる首都なのではと思ってしまいます。
しかし、ウズベキスタンは、1900年代の70年間ほどの間、ソビエト連邦の構成国として組み入れられ、社会主義国としての歴史を経てきています。
そのため、独立した現在ではあっても、至る所で旧ソ連時代の、独特な雰囲気を感じることができる街なのです。
ウズベキスタンに数ある観光都市とは異なり、あまり観光面では充実しているとは言い難いタシケント。
そんな首都タシケントに今回は突入してみたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
ウズベキスタンは世界遺産の宝庫です。




タシケント
タシケントはウズベキスタンの首都であり、人口約240万人抱える随一の大都会です。
およそ2000年前からシルクロードにあるオアシス都市として栄え、東西の中継都市として栄えました。
2000年ごろ前はチャチとよばれ、11世紀頃からタシケント(石の町)という名で呼ばれるようになりました。
しかしその後、モンゴル軍に町が破壊された後は、ティムール帝国、さらにシャイバニ朝時代になって徐々に町は復興していきます。
1809年にコーカンド・ハン国の支配下となった頃には人口は10万人を超える城壁に囲まれた都市になりました。
19世紀半ばになると、ロシア帝国による支配下となり、町は整然と区画された街並みに変えられました。
この際に現在も町の中央を南北に走るアンホール運河の東にはロシア人の町が、西にはウズベク人の町とが分割され統治されました。
そんなロシア・ソ連によって整備されたタシケントの町を1966年4月26日に直下型の大地震が襲い、町は一挙に崩壊してしまいました。
震災後はソ連の手による都市計画によって、わずか数年でそれまでの面影もない、新しい近代都市に生まれ変わります。
そのため、現在のタシケントには、シルクロードの中継都市としての雰囲気は感じません。
地下鉄が走り、真っすぐ延びる道路に巨大な近未来的ビルが連なる町並みは、どこかしら旧ソ連の町並みのような雰囲気が根強く残っています。
警官がいたるところに立ち並び、旅行者が審問されることも多々あります。
そのため、ウズベキスタンでは、常にパスポートの携帯が必要なのです。
万が一警察に審問されたときに携帯していなければ、外国人観光客であろうとも警察署に連行される恐れがあるため、注意が必要です。
ウズベキスタンでは、シルクロードの町らしく本当にたくさんの人種の人々が集まっています。
ウズベク人だけではなく、ロシア人や東アジアの風貌にそっくりな人まで。
そのため、ウズベキスタンでは日本人が一人で歩いていても特に珍しがられることはありません。
アクセス
タシケントに行ってみた
それでは、タシケントの町に行ってみましょう。

タシケントの町を歩いていて思ったのは、平日ということもあったのですが、

人は??
ということでした。
上の写真は、町の中央あたりにある広めの公園なのですが、全く誰も写っていませんよね。

ウズベキスタンを訪れたとき、国内のにぎやかな各都市をまわってから一番最後にタシケントに入ったので、この閑散とした雰囲気がなおさら異様に感じました。
ツム百貨店

ツム百貨店は三階建ての国営デパートです。
残念ながら2020年現在では、営業しているのかどうかが確認できませんでした。

いろいろな商品の扱いがあり、一通りの生活用品は揃うのですが、建物はかなり古く、中に入ると薄暗く陰気な店内と、本当に乗っても大丈夫かどうか躊躇してしまうエスカレーター、閑散とした売り場などから、特に何も欲しいものもなく出ていった覚えがあります。
はたして、今現在はどうなっているのでしょうか・・・。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は、1947年に完成した1500人収容のオペラ劇場です。
英雄アリシェール・ナヴォイの生誕500年を記念して建てられたのだそうです。

内部にある6つの休憩ロビーには、ウズベキスタンのタシケント、サマルカンド、ブハラ、ホレズム、フェルガナ、テルメズ各地域のレリーフが施されています。

1947年というと、第二次世界大戦が終わった後すぐの時期であり、多数の日本人がシベリア抑留としてソ連領土内にて捕虜とされていました。
その際に、多くの日本兵がこの地に送られ、劇場建設の強制労働に従事させられた建物のひとつであることでよく知られているのだそうです。(諸説あります)
極寒で劣悪な労働環境のなかであっても、まじめでく懸命に働く日本兵の姿にウズベキスタンは人々は心打たれたと伝えられています。
そんなナヴォイ・オペラ・バレエ劇場ですが、1966年にタシケントを襲った大地震時によって、多くの建物が倒壊した中で、壊れることがなかった数少ない建物のひとつなのでした。
そのような堅牢な建物であったため、タシケント市民の避難場所としても利用されました。
建物の南側には、かつて日本人が建設に従事していたことを示しているプレートが飾られています。
ウズベキスタン歴史博物館

ウズベキスタン歴史博物館では、ウズベキスタン過去から現在、将来までを順を追って学ぶことができます。
3階には石器時代から3つのハン(王)国時代、ロシア帝国による征服に至るまでの歴史が展示されている。
最大の見ものは、ウズベキスタン南部のテルメズ近郊から出土したクシャン朝(1~3世紀)時代のガンダーラ仏像です。
4階ではソビエト連邦から独立後、ウズベキスタンの産業も見ることができます。
ティムール広場

英雄ティムールの像が立つティムール広場。
この広場から独立広場にかけての一帯が新市街中心部であり、官公庁の建物や高級ホテルが集まる場所になっています。
ティムール博物館

ティムール博物館は、英雄ティムールの一族を中心に、ウズベキスタンの歴史上の偉人に関係する資料を集めた博物館です。
絵画で歴史上の事件説明したり、建築物の模型もあったりします。
アライ・バザール(オロイ・バザール)


アライ・バザールは高級ホテルが集まるアミール・ティムール通り沿いにあるため、地元の人にとっては高級なバザールなのだそうです。

もう一つ有名なチョルス―バザールと比べると、整然と物が並べられており、少し閑散としています。
コンパクトなバザールなので、気軽に見て回れますし、ウズベキスタン土産のドライフルーツ、ナッツ、香辛料などは、チョルス―バザールともさほど変わらないそうなので、おみやげはここで買い揃えてもよいかもしれません。

民芸品などもあるので、ここで一度に買い物を済ませ、チャイハナ(喫茶)で休憩、という楽しみ方もできます。
タシケントの地下鉄
ウズベキスタンを訪れた2013年段階では、地下鉄構内の写真撮影は厳禁だったため写真はないのですが、現在はなんと撮影解禁になっているのだそうです。
タシケントの地下鉄はおもにソ連時代に建設されたものであり、社会主義国特有の豪華に飾り立てられた宮殿のような様式が見られます。
当時は、地下鉄入り口で厳重にボディチェックをされたり、全体的に薄暗かったりと、怪しさ満載だったのですが、それぞれの駅構内に見られる構造や装飾などは一見の価値があるのに、写真に残せないのは残念だなあと思っていました。
ところが、2018年に突如駅構内の写真撮影が解禁されたのだそうです。
次回訪問することがあれば、駅巡りも面白いかと思っています。
おまけ

この写真の奥にBARがあるのですが。
写真を寄せてみましょう。

これ絶対に許可取ってないよなあ・・・
あの会社はバレると、訴訟関係でうるさそうですが・・・??
いかがだったでしょうか。
ウズベキスタンで出会った旅人の多くはタシケントをスルーしている人々がほとんどでした。
実際に行ってみると、他のウズベキスタン国内の都市と比べて、1966年の大震災後にほとんどが作り直されたということもあって、歴史的な空気を感じにくいところから、旅人が魅力を感じにくいのかもしれません。
しかし、このウズベキスタンが辿ってきた歴史という点から考えると、旧ソ連時代にここがその構成共和国の一つであったこと、それを感じることができる都市として魅力的な部分が見えてくるのかもしれませんね。