229【島根紀行】こちらは世界遺産の銀山。周辺一帯で盛り上げようとしている『石見銀山』

日本の世界遺産(Japan Heritage)
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今回は、以前に兵庫県の生野銀山についての記事を書きましたが、鉱山跡としては第二弾となる銀山についての紹介です。

おそらく世界的にはこちらの銀山の方が、世界遺産に登録されたこともあり有名な『石見銀山』です。
石見銀山は戦国期から江戸期にかけて、当時の日本の資金源となっていたため、この地域の有力者たちによって銀山争奪の争いに長い間晒されます。

江戸時代に入ると争奪戦はひと段落しますが、江戸幕府によって直轄領となった石見銀山だけではなく、資金や資材の調達地として周辺の村々も石見銀山領として開発されていくこととなります。

そのため、現在でも石見銀山の鉱山跡の見学だけではなく、銀山と共に開発された周辺の村々も含めて、広い範囲を楽しむことができます。

車では進入が認められていないため、主には徒歩での散策となりますが、大半の方々は電動自転車を借りてのんびりとエコ散策する観光区客の姿を多くみることができます。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 世界遺産石見銀山を楽しんだ後は、周辺の古民家改装のお店探しも楽しんでみましょう。

島根県についての記事です。

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兵庫にある銀山、生野銀山の記事です。

140【兵庫紀行】銀山といえば世界遺産の石見銀山ですが、兵庫にもあるのです『生野銀山』
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石見銀山

石見銀山は、島根県大田市にある日本最大の銀山跡です。
主に採掘されたのは、戦国時代から江戸時代にかけてであり、最盛期には世界中の銀の約3分の1を産出していたといわれています。

石見銀山は鎌倉時代末期に発見されたと考えられていますが、1530年代に入り本格的に銀の採掘・精錬が行われるようになりました。
このころ、海外から入ってきた銀の精錬技術で灰吹法によって、全国的な規模で効率的に銀が生産できるようになります。
石見銀山もこれにより多量の銀が産出できるようになりますが、それが災いし、銀山を巡った有力者たちの争奪戦に晒されることとなります。

周防国の大内氏と、出雲国の尼子氏による石見銀山を巡った戦いが続き、後には大内氏に代わって毛利元就が争奪戦に加わり、最終的には毛利家によって手中に収められることとなります。
石見銀山から得られた富は、後の毛利家の多大な軍資金の源となります。
後に、毛利家が豊臣秀吉に服属することとなると、秀吉の朝鮮出兵の際の軍資金となったそうです。

江戸幕府に入ると、石見銀山は幕府直轄領(天領)とされます。
周辺の村々は直轄領である石見銀山領(約5万石)が設置され、銀山開発のための費用・資材を賄いました。

石見銀山は江戸時代前期まで多大なる銀算出によって銀需要を支え続けましたが、中期に差し掛かるとだんだんと産出量が少なくなっていき、江戸末期には深部まで入らなけらば銀が見つからず、鉱山として採算がとれなくなっていきました。

慶応2年(1866)6月の第二次長州戦争において、石見銀山領は長州藩の支配下に入りますが、明治2年(1869)の廃藩置県によってこの地に大森県が設置されることになります。
そんな石見銀山も、明治に入ると銀河枯渇してしまい採掘されなくなります。
明治期は銅の産出が続けられますが、大正12年(1923)には休山されます。
日中戦争、太平洋戦争の最中には、銅の再産出が試みられますが、坑道が水没する大事故により最終的には1943年に完全に閉山されます。

昭和44年(1969)に国によって史跡に指定され、2007年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
銀山では銀の精錬のため大量の木材が必要とされます。
南米の世界遺産であるポトシの銀山にみられるように、大規模な植生の破壊によって環境に大きな悪影響を与えることが多いのですが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより銀山一帯に多くの森林が残っていることが登録にあたって高く評価されたのだそうです。

アクセス

主には車でのアクセスが中心となると考えられます。
公共交通機関の場合、JR大田市駅から路線バスで、大森代官所跡・大森・世界遺産センターまで行きます。

石見銀山

それでは、石見銀山へ行ってみましょう。

石見銀山世界遺産センター

まずは石見銀山世界遺産センターへ向かい、各種資料などで石見銀山について調べておきましょう。

銀山通りのところまで移動します。
駐車場周辺には、自転車屋が開かれています。
徒歩で銀山見学に行ってもいいですが、ここで自転車を借りたほうが圧倒的に便利です。
特に緩やかですが坂道が続きますので、電動自転車はかなり楽ですよ。

それでは石見銀山の見学路である龍山寺間歩まで1.5kmほどの道のりを進んでいきます。
写真のように家が立ち並ぶ通りを進んでいきます。

途中で文帰路が出てきますが、左の道は坑道からの出口であるため、右の道を進んでいきます。

そうこうしているうちに、龍山寺間歩入り口に到着しました。
ここで入山料を支払うことになります。

石見銀山遺構 龍源寺間歩

では、龍山寺間歩に入ってみましょう。

石見銀山では、間歩(まぶ)と呼ばれる穴が多数彫られています。
この間歩とは銀山採掘のために掘られた坑道のことであり、石見銀山ではこの間歩が700か所あまりあることがわかっています

坑道内部は薄暗く、ひんやりとしています。

坑道内には左右にも小さな坑道が掘られていました。

龍山寺間歩の案内図です。
全体としては250mほどの坑道です。

銀鉱脈に沿って掘っていかれた坑道です。

こちらは江戸時代に掘られた坑道だそうですが、この先で落盤のため進めなくなっているのだそうです。

中間地点あたりで旧坑道から新坑道へ切り替わります。
直線できれいに掘られ、歩きやすくなっています。

龍山寺間歩の出口です。

外に出ると、小さな間歩がいくつか見られました。

佐昆売山神社

佐昆売山神社(さひめやまじんじゃ)では鉱山の守り神である金山彦神が祀られています。
永享6年(1434)室町幕府の命によって周防国の守護であった大内氏が、現在の島根県益田市から分霊を移して祀ったともいわれています。
石見銀山を領有した大内氏、尼子氏、毛利氏などそれぞれにも崇敬され、江戸時代になっても手厚く保護されていました。

毎年1月には銀山の繁栄を願って祈願が行われていたそうです。
社殿自体は文政元年(1818)の大火で焼失しましたが、翌年には再建され、特に拝殿はこの地が天領であったことをしめる重層屋根となっているのだそうです。

小高い丘を登っていきます。

社殿は現在修繕工事が行われているため、足場が組まれていました。

実際に行ってみるとかなり老朽化が進んでいて、床板が所々抜け落ちていました。

福神山間歩

こちらは福神山間歩です。

福神山間歩は現在はいることはできないため封鎖されています。

新切間歩

こちらは新切間歩です。正徳5年(1715)に開発された間歩で、全長は500m以上もあるそうです。
水を抜くために掘られたと考えられている間歩であり、実際に見に行った時にも坑道の内部には水だまりが続いていました。

清水谷製錬所跡

清水谷精練所は、明治28年(1895)に操業された大型精錬所です。
谷の斜面にそって石垣が8段も築かれた巨大な精錬所でした。

豊栄神社

豊栄(とよさか)神社は、毛利元就を祭神とする神社です。
慶応3年(1867)までは長安寺という寺でしたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈によって豊栄神社となりました。

大森の町並み

石見銀山の北部にある大森地区は、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、歴史的な建造物が当時の面影を今も残しつつ、近年はそれらを利用した新たな町づくりが進められている地区です。

観世音寺

観世音寺は、大森の町の中にある岩盤の上に建立された寺です。
寛政12年(1800)に大火で焼失しますが再建されて現在に至ります。

石見銀山での採掘を祈願する寺であり、現在は本堂と山門、鐘楼が残されています。

その他

現在大森の町並みには新たな人材が入ってきて、様々なお店などを開いて営業を始めています。

かき氷の専門店や、

オリジナルのハンバーガーを提供する店など、他にもいろいろと店が出店し、今後もたくさん続いていきそうです。

いかがだったでしょうか。
世界遺産となったことで俄然注目を始めた石見銀山ですが、銀山だけではなくその周辺にも散策できる箇所が多数ある広大なエリアであり、じっくり見て回ると半日は楽しめそうな観光地として整備されていました。
のどかな風景を自転車でゆったりと散策しながら、江戸時代の天領の雰囲気を感じてみませんか。