ネパールについてはこれまで数多く取り上げてきていますが、今回は2015年にネパールを襲った大地震によって甚大な被害を被った、カトマンズのダルバール広場にある旧王宮『ハヌマンドカ』について紹介していきたいと思います。
ダルバール広場一つを見てみてもわかるように、ネパールを襲った大地震は、ネパールに受け継がれてきた建造物などの文化遺産に対しても牙をむきました。
完全に倒壊してしまった寺院は数多く、残ったとしても屋根が落ちたり、壁が婉曲したりと、甚大な被害を与えています。
また、展望タワーが真っ二つに折れてしまったり、地震による地滑りによって村ごと地面の下に埋没してしまったような場所もあります。
ところが、世界のあらゆる国々の協力もあり、ネパールはそういった文化的遺産を修復し続けています。
今回紹介しているハヌマンドカも大きな被害を被った建造物ですが、少しずつ、元あった姿をしっかりと検証しながら修復が進められているのです。
というわけで、今回のわきみちは、
ネパールのカトマンズに関する記事です。


ハヌマンドカ
現在ネパールには2つの世界文化遺産が登録されています。
近年でいうと、1997年(それでも20年以上前ですが)に登録された『仏陀の生誕地ルンビニ』。
そして、1979年に登録された『カトマンズ盆地』があります。
このカトマンズ盆地ですが、世界自然遺産のような印象を受ける名称ですが、実際はカトマンズ盆地にあるかつて都であったカトマンズ、パタン、バクタプルといった三大都市をはじめ、7か所が世界遺産『カトマンズ盆地』として登録されています。
・カトマンズのダルバール広場
・パタン
・スワヤンプナート
・パシュパティナート

・ボダナート

・バクタプル
・チャング・ナラヤン
この中にあるカトマンズのダルバール広場には、広場の中央にあるシヴァ寺院や、広場の南にあるネパールの生きた女神である少女が住むクマリの館、破壊神の化身カーラ・バイラブの像といった見どころがあります。
ダルバールとは「宮廷」という意味があります。
その名の通りダルバール広場の東には、かつての王宮であり国王が住んでいた建物、ハヌマンドカがあるのです。
ハヌマンドカは、17世紀頃に建てられた王家一族の住居でした。
ネワール文化による建築様式である木造で煉瓦を用いた屋根や梁が美しい特徴を持つ王宮である一方で、西洋で見られるようなバルコニーを持つ白い建物の異なった様式を併せ持った建築になっています。
これは、当時この地域を支配していた王朝が変わったことによって、後々に西洋風の様式に変えられていった経緯があるのだそうです。
ところが、2015年4月、ネパールを大地震が襲います。
地震の被害は甚大であり、ネパールだけでも死者が8000人を超える大惨事となりました。
また、古い寺院や建造物への被害も甚大であり、中には一瞬のうちに倒壊して跡形もなくなってしまった寺院や、途中から折れてしまった展望タワーなどもありました。
このハヌマンドカも甚大なる被害を受けました。
2017年段階では、地震の被害によって屋根が大きく損壊したため、つっかえ棒で支えられた箇所が多数あり、修復のための足場があちらこちらに組まれています。
修復が実際にいつまで続くかはわかりませんが、日本を含め中国などの復旧チームも入り、日夜元の姿を取り戻すべく作業が行われています。
アクセス
ハヌマンドカへ行ってみた
それではハヌマンドカへ行ってみましょう。(2017年)
カトマンズのダルバール広場
ダルバール広場とは王宮前広場のことであり、ネパール内にはカトマンズ、パタン、バクタプルのそれぞれにダルバール広場があります。

ダルバール広場に入るとまだまだ震災の爪痕が深く残されていることが分かります。
上の写真は寺院の台座ですが、台座を残して完全に倒壊しており、跡形もありません。

こちらの西洋風の建築もまた修復中であり、支えや足場が周囲を取り囲んでいます。

大きな寺院や建物の修復が優先されているようであり、上の写真のような小さな建物についてはとりあえず四方からつっかえ棒がなされ、倒壊を防ごうとしていました。

さらに広場の東に向かって歩いていきます。
何やら柱のようなものがありますね。

こちらは近づいてみると、何やらその横に石でできたオブジェのようなものがありますね。
実はこれも地震の際に、この柱の上にあったものが滑り落ちたのだそうです。
ハヌマンドカ

それではいよいよハヌマンドカに入ってみましょう。
旧王宮正門のハヌマン門

王宮の正門には、ヒンドゥー教の猿の神ハヌマンの像があることから、ハヌマンドカと呼ばれています。
このハヌマンの像がある門をハヌマン門とも言います。


門に描かれた仏陀アイに見守られながら内部へと入っていきます。

内部に入ると修復作業真っただ中でした。
正面の建物は、上層部の屋根や梁がかなり崩れ落ちたのだそうですが、現在は修復が完了していました。
しかし壁面に関してはまだまだ足場が組まれていて、修復が行われている最中でした。





いたるところが足場だらけです。
いかに甚大な被害だったかがわかりますね。

修復作業には中国もかなり入っているようです。
中国はかなり早く修復が完了するのだそうですが、もともとの資料や写真などに基づいた検証に関してある程度でやってしまうところもあるそうなので、史跡の復旧という面では疑問が残るところもあるそうということを聞きました。
反面、日本の復旧作業については、かなり資料や写真を検証してから実際の作業に取り掛かるので、史跡の再現性はかなり高いらしいのですが、如何せん時間がかかることと、作業にかかる人の数が足りないのが現状だそうです。

ハヌマンドカ内にある沐浴場でしょうか。


内部の一角には、ハヌマンドカが地震によって損傷した際にくずれ落ちた部材などが一か所に集められていました。
一つひとつ確認しながら修復作業を行っていくのだそうです。

こちはまだ修復が始まっていない箇所でしたが、軒先が崩れ落ちてしまっています。

こちらは、ナサルチョークと呼ばれるハヌマンドカの中心に広場で、様々な国家行事などが行われます。
王朝が変わるごとに建物が増改築され、もともとはネワール様式であったとこっろが現在では西洋風の建物となっています。
いかがだったでしょうか。
ハヌマンドカもそうなのですが、ネパールを襲った大地震の爪痕は自然の恐ろしさを改めて痛感させられます。
しかしネパールの人々は、大地震で多くの建物が倒壊し、人々の命が奪われたとしても、自分たちの行いが神の怒りをかい、その結果として大地震が引き起こされたのだ、として、次の地震に対する備えを強化するのではなく、神に対して自分たちの行いを悔い改めることを行うのだそうです。
それぞれの国の人々には、それぞれの信じるものがあり、これまで培ってきた文化や考えをまわりから否定するものではありません。
しかし、人々の命と貴重な建造物、それらをこれからも永く守っていくためには、他の国との友好関係の中で培っていくことができることもあるのではないでしょうか。