台南は元々は1624年に上陸したオランダ人によって開拓が始められた町です。
しかし、その後は鄭成功によってオランダ軍が一掃された後、ここが拠点とされました。
その後は台湾の政治や文化の中心として永く栄えることとなります。
現在は政治の中心は台北に移ってしまっているため、台南は古都の雰囲気が漂う街なのです。
永く台湾の中心であった町であるため、多くの廟や城壁、オランダ統治下で造られた建物など、歴史的にも価値のある史跡が数多く残っています。
そんな台南中心地から西に行ったところにある港町である安平は、台南発祥の地といわれている場所です。
元々はオランダ東インド会社によって築かれたゼーランディア城を改称して政治の中心として使われた安平古堡や、れんが造りの伝統的な町並みなど、ノスタルジックな雰囲気が漂う町なのです。
この安平の中には、2004年から一般に公開され、町中に突然現れる、元々倉庫だった建物にガジュマルの樹が絡みついた奇怪な様相を示している『安平樹屋(アンピンシューウー)』があります。
というわけで、今回のわきみちは、
同じく台南に関する記事です。

関西のラ〇ュタ、友ヶ島の記事です。

台湾中部の台中に関する記事です。



安平樹屋
安平樹屋は、長い年月を経てコンクリートの建物がガジュマルの木に飲み込まれるように覆いつくされてしまった倉庫です。
安平樹屋は、元々は1867年の清代に開かれたTait & Companyによって築かれた商家の倉庫でした。
当時の安平は貿易港として国際的に開かれていた台湾を代表する港の一つでした。
安平は台南市街の中心部から南西へ約5kmのところに広がるカキが名産ののどかな港町です。
そのため、この倉庫もグラニュー糖や樟脳の保管に使われていました。
日本統治時代の1911年には、商家と倉庫は日本製塩会社の事務所と倉庫になりました。
しかし、日本が撤退した後は倉庫は放棄されることとなります。
その後1945年に台南鹽場(台南ソルトワークス)のオフィスとなりますが、手つかずとなった倉庫の周りのあった一本のガジュマルの木が建物に絡みつくように枝や根を広げ始めたのです。
2004年に、台南市政府によって倉庫を観光客向けに改装を行い、訪問者が気軽に内部を見て回ることができるように、階段や案内板などを構築し、同年『安平樹屋』として一般公開しました。
安平樹屋の出口付近、同じ敷地内に白い西洋建築があります。
これはイギリス人が開設した貿易会社である德記洋行のオフィスだった建物であり、当時の商人の暮らしや、台湾開拓の歴史が展示されています。
アクセス
台鐵台南駅前からバスで安平古堡下車で徒歩1分で到着します。
安平樹屋へ行ってみた
それでは安平樹屋に行ってみましょう。

こちらが安平樹屋のチケットカウンターです。
かなりの人気っぷりのスポットです。

安平樹屋は、倉庫のエリアと、德記洋行の建物、屋外と大きく分けると3つのゾーンに分かれた展示になっています。
倉庫展示エリア

というわけで、元々は倉庫だったエリアです。
コンクリートにガジュマルの樹が絡みつき、少しずつ建物や壁を崩していっています。

かなりの大きさのガジュマルが立っています。
ここまで育つのにかなりかかっているような気もしますが、実際はまだ70~80年ほどっしかたっていません。
植物の成長の偉大さと、畏怖を感じますね。

外観はこのように覆われているわけですが、内部はどのようになっているのでしょうか。

内部は展示室になっています。
元々はどのような用途で使われていたのかなどが展示されています。
柱を見ると、れんが造りの部分が見えてきており、どのように造られているかがよくわかりますね。

安平樹屋の内部は、倉庫を上からも見ることができるように、階段が設置されています。


上から倉庫を見下ろしたところです。
屋根の上にまでガジュマルが生い茂っていることが分かりますね。





屋外エリア

次は屋外のエリアです。
敷地内の池の上を橋が造られており、展望施設のような物があります。

北を流れる藍水渓を眺めることができます。

展望施設から倉庫側を見てみました。
鬱蒼としていますよね。
德記洋行オフィス(台灣開拓史料蠟像館)

貿易会社德記洋行のオフィスだった建物は、台灣開拓史料蠟像館となっています。

台湾の原住民の生活についての生活が展示されています。




この建物自体も歴史的価値のある建造物です。
時間があれば、こちらも隅々まで見てみましょう。


いかがだったでしょうか。
台北に比べるとまだまだ日本人にとってはマイナーな感じのする台南の町ですが、古都の雰囲気を存分に感じることができる、まるで京都のような町です。
年月を積み重ねた史跡をのんびりと見て回った後は、食でも有名な台南で、食べ歩きなどを行ってみてもいいかもしれませんね。