251【埼玉紀行】古くからの城下町の雰囲気が人々を惹きつける小江戸『川越』

関東地方(Kanto)
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古くは江戸の町の北西、江戸時代に川越城の城下町として栄えた小江戸との別名をもつ川越の町があります。
そんな城下町なのですが、奇跡的に戦災や震災を免れたことにより、現在もなお、城跡をはじめ寺社、歴史的な建造物などが数多く残り、蔵造りの商家や土蔵が立ち並ぶ城下町の様相を残しているのです。
そのため、神奈川県の鎌倉や栃木県の日光に並ぶほどの観光都市となっています。
大通りはいつも多くの観光客であふれかえっています。
昔ながらの面影を残す川越は、ここを歩くだけでも江戸時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれます。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 本家江戸ではもはや味わうことができなくなった江戸の雰囲気が、ここ”小”江戸にはまだまだ残されているのです。

同じく歴史都市鎌倉の記事です。

242【神奈川紀行】ブラ〇モリの鎌倉回を再現してみよう
旅好きにはたまらない番組『ブラ〇モリ』。日本の各地をコアに掘り下げて紹介してくれるため、これまでに自分が行ったことがある場所であったとしても、再び訪れたくさせてくれる番組です。今回紹介する鎌倉の街も、ブラ〇モリで紹介された場所なのです。

小江戸 川越

川越の町は川越城の城下町として形成された町です。
その築城は、室町時代に太田道真・道灌父子によって行われました。
その後は、小田原北条氏によって統治が行われ、川越の城下町が形成され始めます。

豊臣秀吉による小田原攻めによって北条市が滅亡した後は、1590年に徳川家康が関東入りした後、江戸時代に川越藩が設置されます。
江戸幕府によって江戸の北西に位置する川越藩は、北方を守る重要な役割を持っていました。

明治維新の廃藩置県によって1869年に川越藩が廃藩となります。

川越の町はたびたび大火にいまわれており、特にその中でも大きかったのが1893年の川越大火です。
この被害によって、当時の川越の町にあった1/3以上の建物が焼失しました。
これをきっかけに、火災から焼失を免れるための蔵造りの建築が多く造られていくこととなります。

1922年に埼玉県ではいち早く市制が施行されました。

アクセス

川越観光の中心である蔵造りの町並みへ、
・西武線本川越駅(最寄り)
・東武線川越駅
・JR川越駅
いずれからもアクセスしやすい場所にあります。

川越へ行ってみた

一番街 蔵造りの町並み

蔵造りの建物が立ち並ぶ一番街は、底に一歩入るとまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚にさせられます。
江戸時代に造られた川越の町は、通りに沿って店が向かい合う形の町並みになっています。
蔵造りの建造物は、川越の町が度重なる火災に被災を受けたため、火事に強い建物として土蔵造りが推奨され、立ち並ぶようになります。
そんな町中にある時の鐘を中心とした一番街周辺は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

大正浪漫夢通り

大正浪漫夢通りは、メインストリートを一本東に入ったところにある200mほどの通りです。
ここには、大正から昭和初期の様相をした店舗が30軒ほど並んでいます。

菓子屋横丁

20軒ほどの昔ながらの菓子屋や駄菓子屋が立ち並ぶ菓子屋横丁は、明治の始め頃から始まったとされています。
昭和初期には70軒以上の店が立ち並ぶようになりましたが、現在は店舗数は激減していますが、川越の町になくてはならない通りとなっています。

時の鐘

時の鐘は川越の町のシンボルです。
今から約400年前、当時の川越藩主によって創建され、幾度も川越を襲った火災で、そのたびに建て替えられています。
江戸時代初頭から城下町に時を告げてきた鐘つき堂です。
現在の鐘つき堂は4代目であり、明治の川越大火の翌年に再建されたものです。
今もなお、川越の町に時を告げているこの鐘は、1日4回の午前6時・正午・午後3時・午後6時に機械によって鳴らされています。

平成8年には、環境庁の「残したい日本の音風景百選」に選ばれています。

蔵造り資料館

古くはたばこ問屋であった蔵造り資料館では、蔵造りの内部や展示などを見る事が出来ます。

山王の山車

明治26年(1893)の川越大火で災禍を逃れた山車の一つであり、蔵の中に保管されています。

喜多院

蔵造りの町並みから東には、川越大師 喜多院があります。
喜多院は多くの江戸城の遺構が残っている寺です。
その境内には、五百羅漢という500体以上もの石像が並んでいます。

830年に建立されたとされていますが、荒廃した期間を経て、慶長4年(1599)に天海が喜多院に入寺し、1614年に関東天台宗の総本山となり、元和(1617)には東照宮が置かれます。
しかし、寛永15年(1638)に寛永の川越大火が起こります。
この大火によって、川越の城下町の1/3が焼失します。
さらには、完成したばかりであった喜多院の新しい建造物を含め、山門以外の全てが焼失してしまいます。
その後、喜多院は復興され、新たに多宝塔などが造られました。
また、中院が喜多院の南にある現在の位置に移設され、移設後に現在の東照宮が造られました。

喜多院 慈恵堂

多宝塔

中院

中院は、天台宗の寺院です。
平安時代、慈覚大師によって建立された、無量寿寺を祖としています。
そして、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされる天台宗の寺です。
喜多院に天海が入り、喜多院が中心となるまでは、川越の地で中心的な寺院であったといわれています。

仙波東照宮

仙波東照宮は、日本三大東照宮(日光・久能山)の1つです。
元和3年(1617)に、天台宗の僧侶・天海によって創建されました。
しかしこちらも寛永15年(1638)の寛永の川越大火で焼失しますが、後に再建されます。

いかがだったでしょうか。
東京からほんの少し北に向かうだけで、これだけ情緒ある城下町を見ることができるとても人気のあるスポットです。
今回は紹介はしていませんが、日本百名城である川越城の訪問と合わせてこの古い町並みをじっくりと散策してみてはいかがでしょうか。