252【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑤

日本の世界遺産(Japan Heritage)
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日本百名城・続日本百名城のピックアップ第五弾です。
今回は、ピックアップした5つの城が全て日本百名城のお城です。
どれも歴史の中で重要な位置を占めた城であり、今までに聞いたことのあるところがほとんどではないかと思います。
城郭単体としては唯一世界遺産に登録されている姫路城、そして、織田信長ゆかりの城鎌倉~南北朝時代の城と、かなり王道である5つかなと思います。

日本百名城で選ばれた100城は、続日本百名城で選ばれたところにくらべると、登録されたのが約10年早いことや、それぞれの都道府県を代表するような場所が多いため、城や城跡を中心にした町おこしがとても広がっているのではないかと思います。
城巡りと共に、その地域すべてを知ることで、その魅力をより深く知ることができる百名城巡りの醍醐味ですよね。

今回も、これまでに行った百名城(43/100)及び続百名城(27/100)の中から、その時歴史が動いた城を5つピックアップして、ダイジェストの形で紹介してみたいと思います。

おいおい、個々に紹介する記事も書いていきたいなと思っています。

【今回のわきみち】
  • 歴史の重みと、日本の行く末を左右したかもしれない百名城を今回も5つピックアップしてみました。

百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

071【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選①
日本には数多くの城や城跡があります。どれも個性的であり、その城が存在していた年代を感じさせる作りのものがほとんどです。今回は、自分が訪問した百名城・続百名城の中で、印象深かったところを5つピックアップし、書いてみました。
113【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選②
日本にはまだまだ数多くの城や城跡があります。行ってみて初めてその広大さや特色に気づき、強烈に印象付けられる城もたくさんあります。今回は、そんな自分が訪問した百名城・続百名城の中で、後々まで印象が残っているところを5つピックアップしました。
145【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選③
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第三弾です。今回は、現存十二天守をはじめ、真田幸村ゆかり城など、バラエティに富んだラインナップになっています。その中でもやはり現存天守はその内部の様子が歴史を感じさせるものであり、その他の天守と比べると年月をとても実感することができます。
214【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選④
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第四弾です。今回は、日本で有名な城は?といわれると一般的にぱっとは出てこないかもしれませんが、どこも渋みと歴史的な重厚感のある城をピックアップしてみました。

一乗谷城(日本百名城)

どこにあるの

福井県福井市城戸ノ内町にあります。

どんな城

一乗谷城は周囲を山や川に囲まれた谷の地形を使って作られた天然の要害です。
正確には、一乗谷城跡は山頂にありますので、山麓に広がるのは一乗谷朝倉氏遺跡ですね。
両サイドが山のため、その間1.7キロメートル区間に武家屋敷や町屋といった建物が建てられ、城下町が形成されていました。

1470年頃に形成されたとされているこの地ですが、最盛期には人口1万人を超える越前の中心地だった一乗谷ですが、1573年に織田信長によって火を放たれ、消失してしまいます。
その後は、越前の政治の中心地が移されたため、この一乗谷の町の上には田畑が新たに作られ、そこから400年間人々から忘れ去られてしまいます。
このような経緯からも、日本のポンペイと近年言われています。

073【福井紀行】500年の時を超えて表れた日本のポンペイ 一乗谷城跡(一乗谷朝倉氏遺跡)
北陸地方の福井県にもたくさんの有名な城や城跡が残されています。福井県一乗谷にある一乗谷朝倉氏遺跡もその一つです。かの有名な朝倉氏の築いた城下町ということで賑わいを見せています。この一乗谷ですが、観光客に興味を持ってもらおうと、面白い試みが行われているのです。

おすすめポイント

この一乗谷の地なのですが、現在ここには一乗谷の町並が復元されています。
当時の町並みがあたり一帯に再現されています。
これだけのエリアに1万人が生活していたとなると、かなりの賑わいを誇った城下町だったのでしょうね。

さて、このような一乗谷復原町並なのですが、ここにはとても面白い試みがなされているのです。
ここ一乗谷を復元した町並にはいたるところに、往年の衣装をまとった町の人々がいます。
そして、あちらこちらで当時の生活を物語った小芝居が始まるのです。
まるで、本当に歴史の一場面に入り込んだような体験ができるのです。

観音寺城(日本百名城)

どこにあるの

滋賀県近江八幡市安土町石寺にあります。

どんな城

観音寺城は鎌倉時代の初期から戦国時代末期まで近江守護を独占し、南近江の地を支配した戦国大名六角氏の居城です。

この地で栄華を誇った六角氏でしたが、永禄11年(1568)に織田信長が観音寺城を攻撃した際に、六角氏は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城してしまいます。
その約10年後、この観音寺城のすぐ北側に、織田信長の居城である安土城が完成したことによって観音寺城は歴史的役割を終えたとされています。

104【滋賀紀行】安土城以前の要所だった、応仁の乱から戦国期にかけた名城『観音寺城』
滋賀県の琵琶湖の南にある有名な城跡と言えば、安土城ですよね。しかし、その安土城のすぐそばに、日本百名城に登録されているもう一つの城があるのです。室町の戦国末期までに、京都に向かう要所にあったこの地をおさめた城『観音寺城』。ぜひ、安土城とあわせて訪れてほしい城跡です。

おすすめポイント

かなり城としての範囲も広いため、守る側にとってはかなり至難の業の城だったそうです。
観音寺城は安土城のすぐそばにあるため、観音正寺を越え、かろうじて残っている城跡を抜け、観音寺山(繖山)の山頂付近まで行くと、円形から安土城の立つ安土山を一望することができるのです。

残念ながら当ブログはどこまでは踏み込まなかったため、写真は掲載していません。

岐阜城(日本百名城)

どこにあるの

岐阜県岐阜市にあります。

どんな城

岐阜城は、岐阜県岐阜市にある金華山(稲葉山)にあった城です。
戦国時代に稲葉山城として、斎藤道三によって築城されました。
斎藤家の居城として、度重なる織田氏による攻撃を撃退していきますが、1567年の稲葉山城の戦いで、織田信長によって斎藤龍興から奪取されます。
その際に、それまでの稲葉山城の縄張りを破却し、新たにしろと町の名前を岐阜と改め、現在の岐阜城へとつながります。

その後、幾度か城主を替えていきますが、慶長6年(1600)の関ヶ原の戦いの前哨戦であった岐阜城の戦いによって落城し、その後に徳川家康によって廃城が決められます。
当時の岐阜城の天守などは、近くに築序された加納城に移されました。

現在山頂に残っている天守は、昭和31年(1956)に再建された鉄筋コンクリート製の模擬天守です。
近年は山麓にある信長居館跡の発掘調査によって信長時代の遺物が見つかっており、その様子も見学することができます。

おすすめポイント

典型的な山城である岐阜城。
金華城とも呼ばれるこの城は、急峻な金華山(稲葉山)の山頂にあるため難攻不落の名城としても有名です。
そんな山頂にある城のため、岐阜市内の夜景を楽しめるスポットともなっています。
また、秋シーズンにはあたり一面の紅葉を見ることができ、ロープウェーから眺める紅葉の様子は一見の価値ありです。

姫路城(日本百名城)

どこにあるの

兵庫県姫路市本町にあります。

どんな城

姫路城は、兵庫県姫路市にある城です。
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存する現存十二天守の一つであり、国宝や重要文化財でもあります。
また、国の特別史跡でもあり、世界文化遺産、日本100名城の一つであるなど、日本を代表する城です。
白鷺城という名のごとく、美しい白色の天守が印象的ですね。

姫路城の起こりは、南北朝時代や戦国時代といわれていますが、現在の大規模な城郭は、関ヶ原の戦いの後に入城した池田輝政によって大改修が行われて築かれました。

山陽道の要衝という重要な拠点であったため、池田氏が転封させられたのちは何度も藩主が入れ替わったのですが、1749年からは酒井氏が入城し、明治の廃城までは酒井氏による治政が行われることとなります。

その後の姫路城は、修復を繰り返され、整備され続けていきます。

太平洋戦争中は、姫路空襲などによって城下は焼き尽くされ、天守も消失の危機がありましたが、奇跡的な偶然が重なり、城郭建築の消失は免れたのだそうです。

近年では、2009年から2015年にかけて平成の大修理が行われ、白壁の美しい姫路城を現在は見ることができます。

おすすめポイント

姫路城のおすすめスポットは、上の写真の櫓門「はの門」へと続く長い坂道です。
この坂道からは、正面に天守閣が見える絶好のポイントであり、数々のテレビドラマなどで撮影に使われているのです。
代表的な物であれば、『暴れん坊将軍』や『武蔵 MUSASHI』などです。

千早城(日本百名城)

どこにあるの

大阪府南河内郡千早赤阪村千早にあります。

どんな城

千早城は、大阪府千早赤阪村にある城です。
元弘2年(1332)に楠木正成によって築城され、鎌倉時代末期から南北朝時代に存在し、赤坂城と合わせて鎌倉幕府軍と対峙した城です。
四方を千早川の渓谷や、谷に囲まれた自然の要害を活かした堅牢な連郭式山城でした。

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇によって行われた建武の新政以降は、南朝方の楠木正成の居城となりますが、明徳3年(1392)に、北朝方に攻められて落城します。

おすすめポイント

千早城本丸跡には、現在は千早神社が建てられています。
20~30分間かけて急な階段を上っていくと辿り着くこの千早神社。
元々あった千早城は楠木正成が建てた難攻不落の城であり、幾度となく攻められても落ちなかったということから、『落ちない城』ということで、受験生たちのパワースポットそしてご利益があるといわれている神社です。

いかがだったでしょうか?
今回もこれまで訪れた日本百名城・続日本百名城の中から、その時歴史が動いた5つの城をピックアップしてお伝えしました。

まだまだこれら以外にもおすすめしたい城はたくさんあります。
第6弾以降もご期待ください。