257【長野紀行】城郭が城下町よりも低地に造られた珍しい穴城『小諸城(小諸城跡懐古園)』

百名城/続・百名城(Castle)
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これまでも様々な天守を巡ってきましたが、遠くから見上げる天守を中心とした城郭の迫力は素晴らしいの一言ですよね。
城郭の役割としては、戦国期には戦いに特化した城づくりが行われたわけで、以下にして堅牢な守りを実現しつつ、城内に攻め入ってきた敵に対して対峙していくのかということを考えた造りになっていましたよね。

しかし、今回紹介している小諸城は、戦国期にあった山本勘助によって造られた城として有名なところなのですが、なんとこちらの城は全国的にも珍しい『穴城』と呼ばれている城なのです。
どのような点が珍しいのかというと、城下町よりも城郭が低地に縄張りされているという不思議な造りになっているのです。
そう考えると、城の守りを固めるにあたって不利なのではないかと思ってしまいますよね。
ところが実際に小諸城跡に訪れて見ると、天然の要害である崖や谷を効果的に利用した、まるで陸の孤島のような立地にあるのです。
そのため、実際に小諸城を攻めると考えると、その難しさが伝わってきました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 今もなお穴城として造られた縄張りがしっかりと残る小諸城で、四季折々の自然を楽しみに行こう。

同じく長野県にある松代城の記事です。

244【長野紀行】真田幸村の兄 真田信之から十代続いた江戸時代の真田氏の居城『松代城』
真田一族は関ヶ原の戦いの際に、真田幸村は豊臣方に、兄である真田信之は徳川方についたのでした。結果としては、徳川方が勝利して後の世を作っていくことになるのですが、徳川方についた真田信之を祖とする真田家は、上田の地から移封された松代の地で、脈々と受け継がれていくのです。

小諸城(小諸城跡懐古園)

長野県は小諸市にある小諸城は、小諸城城下町よりも城郭が低地に縄張りされており、市街地から場内を見渡すことができる、全国的にも珍しい穴城と呼ばれている城です。
その特徴的な縄張りである小諸城は、かの有名な山本勘助が現在の縄張りを造った城としても有名です。
天文23年(1554)に、武田氏の所領となったこの地に、重臣であった山本勘介らに縄張りを命じて、複雑多岐な地形を巧妙に利用した、穴城を築城しました。
千曲川が造り出した切り立った崖、そして浅間山の火山灰大地が侵食してできた田切地形の谷に囲まれた城郭で、谷に囲まれたその様相は、堅固な戦国時代の遺構を残す城としての姿を今もなお残しています。

完成した小諸城には、武田信玄によって弟信繁の子である信豊が城主に置かれました。
それ以降、
江戸時代の小諸藩の藩庁として、藩主が入れ替わり置かれますが、元禄15年(1702)に牧野康重が置かれた後は、明治の廃藩まで牧野氏による治政が行われます。
小諸城城主はその原型を継承しつつ、帯曲輪と石積み、城壁、現在も残っている大手門などを築き、徐々に近世の城郭に改修していきました。
明治初期の廃藩で、小諸城址懐古園になりました。
小諸城跡懐古園は、三の門から本丸などの城内を大正期に近代的な公園として整備されました。
現在は、日本さくら名所百選の地にも選ばれています。

アクセス

しなの鉄道もしくは、JR小海線の小諸駅から徒歩5分で着きます。

小諸城(小諸城跡懐古園)へ行ってみた

それでは小諸城(小諸城址懐古園)へ行ってみましょう。

三の門

国の重要文化財でもある三の門から城内に入ります。

三の門を抜け、本丸跡の懐古神社に向かっていきます。
左に行くと動物園につきます。

二の門跡

二の丸跡

二の丸跡は天然の田切地形に囲まれた場所です。
二度にわたる上田合戦時には、徳川軍の本陣が置かれ、前線基地となりました。

中仕切門跡

北の丸跡

南の丸跡

南の丸入り口の横にある鶯石(うぐいすいし)です。

黒門橋

この黒門橋を超えると本丸跡です。

本丸跡/懐古神社

懐古神社は明治13年の廃藩後に、荒れ果てたていた小諸城跡を整備して小諸城址懐古園となすにあたって、小諸藩の旧士族により、本丸跡に創建されました。
本丸東北に城の鎮守神として祀られていた、天満宮、火魂(荒神)社の二社と藩主牧野公歴代の霊とが合祀されています。

鏡石

こちらの鏡石は、当城の縄張りをした武田氏の家臣、山本勘助愛用の物だということです。

天守台跡

天守台跡にはかつて天守が建っていましたが、寛永6年(1629)に落雷によって焼失しました。

天守台から城内を見下ろしたところです。

小諸市動物園

現在の小諸城址には、谷に囲まれた台地を利用して小諸市動物園が造られています。
大正15年(1926)に開園した県下最古の動物園で、ライオンなどの大型動物から小動物、鳥類にいたるまで、約50種類の動物を見ることができます。

また、その奥には、児童遊園地もあり、小さな子ども連れの家族が楽しめます。
三の門から遊園地まではロードトレインが無料で運行しており、園内には、たくさんの遊具や乗り物があり、1枚200円の乗り物券で乗ることができます。

馬場跡

水の手展望台

水の手展望台からは、千曲川を眺めることができます。

また、城域内の谷の様子がこちらです。

荒神井戸

荒神井戸は、城内唯一の井戸として重宝されていました。

出口に向かっていきます。
こちらは右側に進んでいくと北谷の底へと降りていくことができます。

というわけで小諸城址懐古園内を見てきました。
しかし、小諸城はこれだけではないのです。

小諸城 大手門

大手門は小諸城の正門(四の門)でした。
現在は、線路を挟んだ反対側に大手門単体で残されています。
小諸藩初代藩主の仙石秀久が、慶長17年(1612)創建した大手門は、平成20年に保存修理が完了し、400年前の姿に復元されました。
二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化していないことや、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館型式であるなどの特徴があります。

明治維新後には、小諸義塾の仮教室や料亭として利用されていたこともありました。

小諸義塾記念館

小諸義塾は、明治26年(1893)に木村熊二が開いた私塾で、島崎藤村や丸山暁霞(ぎょうかく)も教師を務めていたそうです。
建物は小諸義塾記念館として、校舎本館を移転復元したもので、当時の資料などみることができます。

いかがだったでしょうか。
小諸城址を見学していくと、谷の上に架けられた橋を通って、それぞれの個所を見ていくこととなります。
現在であれば、容易に城域内を歩いて回れますが、当時はとても侵入の難しかったであろう様子を見て取ることができました。
自然の要害を利用した、戦国期の城跡をぜひ見に行ってみませんか。