275【マレーシア紀行】イギリス植民地時代の色合いを強く残すペナン島世界遺産の街『ジョージ・タウン』

世界の世界遺産(World Heritage)
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マレーシアの北部にある小さな島ペナン島
こちらは島ではあるものの、生活するには十分すぎるほどの施設が整っており、現在では移住を考えている人々や観光客の人々にも大人気の島となっています。
マレーシアといえば多種多様な民族が集まる多民族国家でありますが、こちらのペナン島もマレー系の人々だけではなく、中華系やインド系の人々なども歴史的にコミュニティを形成しており、様々な文化が融合した街並みとなっています。

そんなペナン島の中心都市が東海岸にあるジョージ・タウンです。
18世紀末にイギリス統治が始まった地でもあり、ここからペナン島全域、そしてマレー半島へとイギリス統治下の歴史が始まります。
また、島の地の利を生かした貿易の中継港としても活躍したペナン島には、東西様々な文化が自然とはいりこんできたのです。
第二次世界大戦の被害もそれほど多くなかったジョージ・タウンには、今もなお古くから受け継がれてきている建物などもたくさん残っており、近年にはそういった建物を用いて、新たな店や観光スポットなども誕生してきており、古さを活かして新しい街づくりが進められてきているのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 東西交易の中継港として栄えたペナン島。島を代表する歴史ある都市ジョージ・タウンで、新しい発見をしてみよう。

マレーシアのペナン島に関する記事です。

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世界遺産『ジョージ・タウン』

マレーシア第2の観光都市ペナン島は、イギリスがマレーシアに最初に入植した地です。
1786年、イギリス東インド会社のキャプテン・フランシス・ライトが、東南アジア進出の拠点としてここを選び、街や砦などを築き始めたことから始まります。
マラッカ海峡の入り口にあるペナン島は、東西貿易の中継地である自由港として発展し、東西様々な文化が集まる多文化な町並みが形成されていきます。
そのときの首都が今回紹介しているジョージ・タウンだったのです。
そして今もなお、歴史的価値の高い建造物が数多く残っており、2008年にはジョージタウンがユネスコ世界遺産に登録されました。

そんなジョージ・タウンにはイギリス統治時代の雰囲気が色濃く残っているとともに、中国からの移民による家屋や寺院など、インド系の人々によるインド人街など、多種多様な人種が集まるマレーシアの中でも特にその様子が顕著に表れている街なのです。

アクセス

ペナン島へは、飛行機もしくはペナンブリッジを通った陸路で訪れることができます。
島内は鉄道はありませんので、タクシーかバスでの移動となります。

ジョージ・タウンに行ってみた

それでは、ジョージ・タウンに行ってみましょう。

ジョージ・タウンの特徴は、イギリス統治下の雰囲気を残すコロニアル調の建物と、中華系移民の人々によって造られた東洋建築。
これらが小さな一つの街に混在しているところが特徴にあげられます。

まずは街を写した数枚の写真をご覧ください。

見事なまでに東西の歴史が混在したような街の造りになっています。
ジョージ・タウンは、過去の戦災被害などがあまりなかったため、保存状態の良い19世紀の建物群がたくさん残っています。

そして近年は、そのような伝統的な建造物を用いて、若いアーティストなどが新たな表現の場としても注目している街なのです。

ビクトリア・メモリアル時計台

ビクトリア・メモリアル時計台は、コーンウォリス要塞のすぐ近くにあります。
ビクトリア女王の即位60周年を祝って1902年に建てられた高さ18mの時計台です。
第二次世界大戦中の爆撃をうけたため、時計塔はわずかに傾いているのだそうです。

コーンウォリス要塞

当時この地を支配していたケダ王国支配下にあったペナン島は、18世紀末頃まではジャングルが広がる島でした。
ところが、マラッカ海峡の入り口に位置する要所であるペナン島は、その地の利点に目を付けられ、イギリスへと割譲され、海峡植民地の一つとなります。
1786年にイギリスの探検家であったキャプテン・フランシス・ライトが初めてペナン島に上陸し、ジョージ・タウンを創設します。

その際に、キャプテン・フランシス・ライトは、コーンウォリス要塞を建造します。
名称に使われている「コーンウォリス」とは、当時の東インド会社提督の名前からきています。
建造当時は、ヤシの幹の柵で造られた木造の要塞だったのだそうですが、1810年頃に現在のような堅牢なれんが造りの砦に建て直されます。

英国王室の砲兵隊の駐屯地としての機能を果たしていたそうであり、敷地内にはその他に事務所やキリスト教徒礼拝堂、火薬弾庫やインド人傭兵の宿舎などもあったのだそうです。

奥に見えるのはビクトリア・メモリアル時計台です。

全部で17基の大砲が残されているのだそうです。

この大砲はスリ・ランバイと呼ばれているものです。
真ちゅうで造られたオランダ製の大砲であり、この大砲に触れながら祈ると子宝に恵まれると信じられ、地元の女性の信仰を集めているのだそうです。

ペナン博物館

ペナン博物館の建物は、イギリス統治時代の1821~1927年の約100年間ペナンフリースクールとして使われてい建物です。
ペナンフリースクールが移転後、ハッチングススクールが1960年まで使用し、その後1965年4月ペナン 博物館として開かれました。

館内では主にペナン島に関連する民族や文化、生活様式など関する展示があります。

ペナン島は第二次世界戦争中の日本軍とも関わりがあります。
当時のペナン島は、インドの戦略拠点としてイギリスによって統治されていましたが。
そんな中日本軍が進軍してきたものの、ほぼイギリス軍がペナン島を放棄してしまったため、日本軍が無抵抗状態の島を占拠しました。
戦中にはペナンも爆撃を受けたり、戦後は再びイギリス統治へと戻ったりと、動乱を繰り返しますが、奇跡的にジョージ・タウンへの損害が少なく、今もなお100年を超えるような建造物が多数残されているのです。

中国系の住民が多いペナン地域のためか、中国の古くから伝わる慣習である纏足についての展示がありました。
全く持って、その人の尊厳を奪ってしまう悪しき慣習です。

屋外には古いケーブルカーの展示がありました。
ペナンヒルの物でしょうか。

セント・ジョージ教会

セント・ジョージ教会は、1818年に建築された東南アジア最古のイギリス教会です。
真っ白な外観が特徴的な、大理石の床と高い尖塔をもつ建物です。

同性一族の桟橋

中国人移民によって造られた水上集落が、ジョージ・タウンの東海岸に密集しています。
クラン・ジェティと呼ばれるこの場所には、村人が皆同性の一族が水上生活を営んでいます。
元々は普通に人々が生活をする家屋や店、寺などだったところ、近年は観光地化しており、観光客向けの店やカフェなどもあります。

李一族の桟橋(Jetty Lee)や周一族の桟橋(Jetty Chew)、陳一族の桟橋(Jetty Sin)、林一族の桟橋(Jetty Lim)などがあります。

いかがだったでしょうか。
今回紹介したジョージ・タウンのみどころは、ほんの一部分だけです。
小さい街ではありますが、その中にかなりの見どころがたくさんあるため、ここで何を見て回りたいか、ある程度目的をもって回ることをお勧めしたい街です。
そのため、街巡りには自転車を使うことがおすすめです。
効率よくまわることができますよ。