277【妄想紀行】日本から一番近くて一番遠い外国『サハリン』

妄想紀行(Delusion)
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今回の妄想紀行は、日本のすぐ近くにあるになかなか気軽に行くイメージのない外国の紀行です。
日本とロシアとの紆余曲折あった歴史の経緯から、気軽に旅行先としてはチョイスするイメージのなかった、北海道からさらに北にある島、元々は樺太と呼ばれていた”サハリン“。
そんな場所であったサハリンですが、2018年からは電子ビザが解禁となり、日本からの渡航もずいぶん簡単になったのだそうです。
となれば、ぜひ行ってみよう!となるわけですが、なかなか一歩踏み出すのには勇気がいりますよね。
だからこそ、さあ今回も行ってみましょう!妄想で!!

今回は、ロシアの極東にある島、サハリンです。
今から70年ほど前までには日本の一部だったこともあるこの島。
現在もまだ、この島健在であり、当時の日本をほうふつとさせる建造物も残っていたりします。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 最も近いけど、最も遠く感じる、日本から一番近いヨーロッパ。そんなヨーロッパの雰囲気漂う、視線豊かな島を訪れてみよう。

これまでの妄想紀行です。

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今回の目的地

サハリン

北海道の北、稚内からさらに北に60km、宗谷海峡を越えた先にあるロシアの東の端に位置する細長い島がサハリン(樺太)です。
成田からも2時間10分のフライトで、南端の町ユジノサハリンスク(日本だった時代は豊原と呼ばれていた町)まで行くことができます。

見どころ

北海道の北、ロシアの東の端に位置する細長い島、サハリン
ここは現在、ロシアのサハリン州となっていますが、1905年から45年まではこの島の南半分は日本の領土であり、樺太と呼ばれていました。

総面積がほぼ北海道と同じくらいの広さがあるこの島には、かつては40万人ほどの日本人が暮らしていました。
現在は日本人在住者は日本国内に戻り、現在ではすっかりロシアの一都市になっています。
ロシアの教会や町並みなど、日本からこれだけ近くの距離にありながら、アジアの雰囲気とは全く違うヨーロッパの雰囲気も醸し出す自然豊かなロシアの田舎町なのです。

そんなサハリンですが、これだけ日本の近くにありながら、なかなかそこに足を踏み入れた人をみかけません。
そして、あまり情報も簡単に入手できるわけではなく、一種のタブーのような雰囲気すらあるのが現実です。
それには、サハリンを巡るロシアとの複雑な歴史があるのです。

サハリンを遠く感じる歴史の経緯

・1808年、江戸幕府によって派遣された間宮林蔵がサハリンの探検を実施。
 間宮によってサハリンの最北端に大日本国国境という国境標が建てられ、サハリンは日本国と宣言
・1855年に日露和親条約(日魯通好条約)が結ばれ、日本とロシア間で樺太では国境を決めないことととなる。
・1875年に樺太千島交換条約が結ばれ、樺太をロシアの領土とし、千島のウルップ島からシュムシュ島まで18の島々を日本の領土とする
・1905年に日露戦争の講和条約として締結されたポーツマス条約で、南樺太が日本の領土となる。
・1941年に日本とソ連との間で日ソ中立条約を結び、日本とソ連が直接戦争をしないことを約束する。
 しかし、1945年にアメリカとイギリスがソ連を日本と戦争に参戦させるためヤルタ協定を結ぶ。
 ここには、ソ連が日本と戦争に参戦したら、樺太の南半分と千島列島が引き渡される示されていた。
・1945年8月にソ連は日ソ中立条約をやぶり、ヤルタ協定に則って対日参戦。
 南樺太も日本から奪取
・1945年8月15日に、日本はポツダム宣言を受諾して降伏。
・1945年8月18日、ソ連がシュムシュ島への攻撃を開始し、千島の島々と北方四島を占領。
・1951年に、サンフランシスコ平和条約が日本と48カ国の国の間で締結。
 日本は千島列島と樺太の南半分に対するすべての権利、権限、請求権を放棄することを認める。
 しかし、ソ連は日本への米軍の駐留に反対していたことと、この会議に中国が参加していなかったことなどを理由に、条約に署名しなかった
 現在もなお本件に関する講和条約はソ連の継承国であるロシアと結ばれていない。

上記のことから、サハリンの南半分は、どこの国に帰属する土地なのか決まっていない状態であり、日本国内で販売してる地図上ではサハリンの南半分は真っ白な地図となっている。

妄想紀行

近くて遠い外国。
そんなイメージを常に持っていたロシア極東の島サハリン。
ヨーロッパの国ではあるものの、元々は日本だったこともあり、どこか懐かしさを感じる風景を見ることができる不思議な島。
これまで数々の写真などを見ていってみたい気持ちの高まりはかなりのものだった。

今回その夢がようやく叶い、飛行機にてユジノサハリンクスへ到着することができた。
ホント、今ここが外国だとは思えないほど近いサハリン。

そして、現在いるこのユジノサハリンスクは、元々は豊原とも呼ばれていた日本とも縁の深い町。
しかし、今現在のユジノサハリンスクは日本だったころの面影はあまりみられない。
戦後に行われたソ連式の区画整理によって、日本の色合いは薄れてしまttが、その代わりに、教会やロシア洋式の建物が立ち並ぶ町並みは、自然豊かなヨーロッパの田舎町を感じることができる。
日本からたったこれだけの距離で、ここまで雰囲気の違いを味わうことができるエリアがあるというのは驚きでしかない。
同じく日本から近い雑踏としたアジアの国々と比べると、とてもスッキリとした町並みだ。

町並みをよく見てみると、ショッピングモールやおしゃれなカフェなど、近代化の波はこの地にも押し寄せている。
やはり何事も体験してみないとわからないことはたくさんあるものだ。

さて、サハリンの旅は始まったばかり。
ユジノサハリンスクを起点に、北へ900kmの長い旅を楽しむとしよう。

・・・・・以上、妄想でしたw

わきみちポイントは?

サハリンのわきみちポイントは、ここが日本だった時代の建造物が多く残されている点です。
かつての南樺太の中心都市だった豊原(現在のユジノサハリンスク)には、多くの日本人が住んでおり、日本的な家屋や建造物が多数建てられていました。

しかし、戦後になって日本人が全て引き上げた後に、当時のソ連によって町は区画整理されていきます。
古くなった木造家屋は取り壊され、ソ連式の建物が建てられていきますが、日本が建てた近代建築については現在もなおその姿を残しているものがたくさんあります。

例えば、ユジノサハリンスク内に残るものとしては、
サハリン州立郷土博物館: 元々は日本の樺太町博物館だった建物。
サハリン州立美術館: 元々は、北海道拓殖銀行豊原支店だった鉄筋コンクリート造の建物。

他の地域のものでは、
・ユジノサハリンスクから西に行ったところにある、ホルムスクの旧王子製紙工場跡

などがあります。

ロシア(サハリン州)

サハリン州は、ロシア連邦構成主体のひとつの地域です。
北海道から宗谷海峡を挟んだ北にある、樺太島及び千島列島を管轄し、極東連邦管区に属しています。
州都であるユジノサハリンスク市(日本統治時代は豊原市)であり、南北900kmもある細長い島です。
現在約50万人ほどの人々が暮らしています。

太平洋戦争後の1945年8月、ソビエト連邦が南樺太と千島列島の全域を占領した後、1947年にこれらの地域をサハリン州に編入したことによって、現在もなおロシアの実効支配が行われている地域です。

渡航ルート

成田→ユジノサハリンスク

新千歳空港から週4便、約1時間20分のフライトです。
往復航空券は35,000円ほどからです。

千歳→ユジノサハリンスク

成田空港から直行便が週2便就航しており、約2時間10分のフライトです。
往復航空券は65,000円ほどからです。

稚内→コルサコフ

稚内からフェリーで約5時間で、ユジノサハリンスク南にあるコルサコフまで行くことができます。
往復料金は35000円ほどです。

予算

平均的には、トータルでは15~20万円が目安になるのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか。
【妄想紀行】ですので、あくまでも自分で見て聞いて体験したものではありません。

将来的に、こちらを訪れることがあった場合は、しっかりとした紀行記事としてリライトしていきます。