282【カンボジア紀行】どんどん観光客に優しい観光地に。10年の変化を見る『アンコール・ワット今昔物語』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ユネスコ世界文化遺産の中でも、世界中の人々が一度は行ってみたい場所、それがこのカンボジアアンコール・ワットではないでしょうか。
現在からは想像もできないですが、このアンコール・ワットは100年ほどの間熱帯の密林によってその姿が覆われ、口承では語り継がれていたものの、その存在自体は半ば伝説になっていたような時期もある遺跡です。
アンコール・ワットの中央祠堂を見る風景は、そのシンメトリーな姿が美しく、今ではカンボジアの国旗にもなっているように、同国を代表する建造物です。

そんなアンコール・ワットなのですが、今ではあまりにも有名になってしまったため、あえて細かく取り上げることもないかとも考えていたのですが、自分には過去2回の2006年と2016年に訪れたという経験がありました
そして、この10年を隔てたアンコール・ワットを見比べると、この遺跡がよりフレンドリーな遺跡になってきていることが分かったのでした。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • どんどん訪れやすくなるアンコール・ワット。しかし、心のどこかでは寂しさも感じたりするのでありました。

カンボジアのシェムリアップ周辺に関する記事です。

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アンコール・ワット

アンコール・ワットは、カンボジア北部、シェムリアップ近郊にある寺院遺跡です。
1992年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
元々はヒンドゥー教ビシュヌ派寺院として作られた寺院ですが、16世紀後半に上座部仏教寺院に改修されました。

アンコール・ワットは、12世紀前半に、スーリヤヴァルマン2世によって30年以上の歳月をかけ建造されました。
また、現在の入り口になっている西参道は、13世紀後半のジャヤーヴァルマン8世によって建設されました。
1431年頃にアンコールからスレイ・サントーに都が移されると、アンコール・ワットは人々から忘れ去られていきますが、16世紀半ばに再び発見され、上座部仏教寺院へと改修されます。
17世紀前半に入ると朱印船貿易を通じて東南アジアに多くの日本人がやってくるようになり、アンコール・ワットにも参拝に訪れるようになります。
18世紀末にはアンコール・ワットのあるシェムリアップ州はシャム(現在のタイ)に割譲されることとなり、再び熱帯の密林に埋もれ、人々の記憶からも薄れていきます

現在から約160年前である1860年になって、遺跡が再発見されたことにより本格的にアンコール・ワットが調査研究され始め、多くの人々に知られることとなります。
1900年代に入ると、アンコール・ワット及びシェムリアップ州はシャム(タイ)領から、当時この地を植民地支配していたフランス領に入り、さらに研究が本格化していきます。

1953年にカンボジアが独立した後、アンコール・ワットはカンボジアの象徴として調査研究・修復が進められていくことになります。
しかし、1975年にポル・ポト政権(クメール・ルージュ)に入ると、原始共産主義の思想も相まって、多くの仏が破壊されたり、敷石にされることとなりました。
1979年になると、クメール・ルージュは政権を追われることとなりますが、このアンコール・ワットを砦として立てこもるようになります。
この時にも、祠堂各所にあった多くの仏像が破壊されたり、多くの弾痕も残ることになってしまいます。
現在これらの大部分は修復作業が行われています。

その後、1992年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

アクセス

アンコール・ワットへは、この地域に入場するためのチケットを購入する必要があります。
そのため、空港からは南東5~6kmにあるシェムリアップ市街地に入り、そこから5km北にあるアンコール・ワットへ向かうこととなります。

アンコール・ワット今昔物語

それでは、10年を隔てたアンコール・ワットを見に行ってみましょう。
なお、左側が2006年5月、右側が2016年8月のアンコール・ワットです。

西参道

こちらがアンコール・ワットの西参道です。
参道の両脇には蛇の神であるナーガの欄干がついています。
ここに建つとアンコール・ワットの中央祠堂は、西塔門に隠され見えません。
意図的に見えないような配置にされているのだそうです。
しかし、この西参道を進んでいくと、ある地点からそれまで見えていた祠堂群も見ええなくなっていきます。
なお、西参道は2017年から修復工事に入っており、2022年まで渡ることはできません。
そのため、少し南に架設された浮き橋を使ってアンコール・ワットに入ることになります。

この西参道入り口を見てもわかるのですが、アンコール・ワットオリジナルの階段は万人にとっては安全なものではありません。
そのため、いたるところに補助階段が備え付けられています。

西塔門

西参道を進んでいくと、西塔門に突き当たります。
西塔門の中には遠く中央祠堂が見えていたのですが、この階段の前まで来るとそれまで見えていた祠堂は見えなくなってしまいます。

しかし中に入ると、塔門の出口からは中央祠堂の姿がはっきりと見えるようになります

これらはすべて意図的に計算された造りになっているのだそうです。
そして一歩西塔門から出ると、横に広がる広大なアンコール・ワットの姿が目に飛び込んでくるのです。

2016年側で気になる点は、おそらく支柱が設置されている点です。
少し倒壊の危険が出てきたのかもしれませんが、観光者にとっては安心ですね。

西塔門を超えると、目の前にはかの有名なアンコール・ワットの中央祠堂群が見えてきました。
広大に広がる中央祠堂はじめ、中央伽羅の全景が飛び込んできますね。

若干2016年の建造物との色合いの違いが気になるのですが、何か手入れ等があったのでしょうか。

アンコールワット中心部

アンコール・ワット中心部に近づいてきました。
このあたりは10年を隔てても特に大きな変化はなく安心ですね。

十字回廊の沐浴場

第一回廊と第二回廊をつなぐ回廊は十字形になっており、十字回廊と呼ばれています。
この十字回廊の脇には4つの沐浴池の跡地があります。
現在はここには水はありませんが、この熱帯にあって、乾季にもなお寺院の中に水を張り続けることができることは、王の威厳と治水技術を人々に示す象徴的な物であったとも考えられています。

十年を隔てていますが、大きな変化は見られませんね。
若干石材の質感は変わったかなというような印象はあったりしますが。
今も昔も、中には入れなかったんじゃないか、と思います。

森本右近太夫一房の墨書落書き

実は日本とアンコール・ワットには古いつながりがあるのです。
当時はカンボジアの地にも日本人町があったりと、実際にアンコール・ワットに参拝した日本人も少なくはなかったのだそうです。
そんな中でも有名なのが、森本右近太夫一房(森本一房)です。
森本一房は、当時東南アジア地域と貿易を行っていた朱印船でアンコール・ワットに渡り、1632年に父母を祈念するためにアンコール・ワットの回廊にある柱に落書きを残しています。
この時の落書きが、上の写真であり、上から塗りつぶされるなどして落書きを消し去ろうとする痕跡もあるため、現在読み取ることは難しくなっています。

若干経年的な劣化も見られますが、400年近く残り続けてきた落書きだけあって、ほぼ変化なく残っています。
しかし、手の届きやすいところにあるため、観光客によるいたずらは心配です。

第三回廊 中央祠堂

アンコール・ワット内で最も天上界の神々の世界に近い第三回廊です。
アンコール・ワットは、第一回廊から第二回廊、そして第三回廊となっていますが、この第三回廊は60m四方の中に回廊がめぐらされており、その四隅には祠堂が建てられています。
そして中央には約65mもの高さのある、アンコール・ワットのシンボルでもある中央祠堂がそびえ立っています。
元々はヒンドゥー教寺院であったアンコール・ワットの中央祠堂にはヴィシュヌ神が祀られていましたが、後に上座部仏教の寺院となったことから仏陀が祀られることになりました。

ここが一番変化が大きかったかもしれません。
第三回廊に上がる階段は四方に設けられているのですが、この階段がとてつもなく危険なもののため、現在は東側にある備え付けられた階段を用いて昇降することになります。
また、重量の関係でしょうが、同時に入ることができる人数が100人と決められており、出た人数しか入ることができません。
そのため、この第三回廊に入る東側にある階段下には、けっこうな列ができています。
また、第三回廊は毎月4日間、仏教の日のため、必ず入場のできない日があります

その第三回廊への階段です。
今現在は右の写真のように、補助階段と手すりが設けられており、上り階段と下り階段が分けられているため、比較的昇り降りはしやすくなりました。
一方、2006年時点の危なさといったら・・・。
13mの高さに、とんでもない急こう配の階段が・・・、非常に怖かったことを今でも覚えています。
この時は四方どこの階段からでも上がれましたし、人数制限等もなかったと思います。
しかし、これは相当けが人も出ていたんじゃないかと思います。

というわけでいかがっだったでしょうか。
現在のアンコール・ワットですが、かなり観光のしやすいスポットになっています。
それこそ、そうだ京都に行こう、ぐらいのレベルかもしれません。
その反面、2006年に感じたアドベンチャー感はかなり薄れてしまったかなあという感じもします。
まあそれでも、ここが世界中の観光客に注目され、エリアとしてさらに発展していってくれれば、リピートしても楽しめる観光スポットとなりそうですね。